海嘯−かいしょう−



 弓道場から、矢が的を射抜くこぎみ良い音が聞こえる。
 丁度通りかかった学生会会長丹羽哲也が、足を止めた。
 いつもの如く細かい事務仕事と副会長からの逃亡中のせいで、丹羽はコートも着ず、制服の上着だけで、この冬の寒空の中逃走を続けていた。
 辺りを見回し追っ手が来ないことを確認してから、丹羽は弓道場の中をのぞいた。
 思った通り弓道部部長の篠宮紘司が、一人黙々と弓を引いていた。
 姿勢正しい自然な立ち姿から、弓を握った両手を上げ、ゆっくりと引き分ける。
 静かなで堂々とした会の姿勢。
 篠宮の周囲の空気が張りつめる。
 極限までに張りつめた空気の中、放たれる矢。一瞬のうちに的を貫く。
 放った姿勢のまま、篠宮は的を見つめていた。
 張りつめた空気が、少しずつ柔らかくなる。
 篠宮はゆっくりと弓を降ろした。
 流れるような一連の動作は力強く、男性的な優雅さと気品に満ちた武士(もののふ)の美を感じさせた。
 今の弓道場は、篠宮が作り出した神聖な場。
 入ることが躊躇われる。
「やっぱり、すごいよな」
 丹羽ほどの男が、篠宮から目が離せない。
「邪魔できねえな」
 丹羽は踵を返すと、そのまま走り去った。
 矢を弓につがえようとした篠宮が、足音に気付いて入口の方を見た。
「丹羽?」
 弓を降ろし入口に駆け寄る。
 走り去る丹羽の後ろ姿を、篠宮の目が捕らえた。
 

 「さ、さむい!」
 海に来たのは間違いだった。と心の底から丹羽は後悔した。
 曇り空の下の海は荒れていて、とてものんきに昼寝どころではない。
 しかし下手に寮に戻ったり、校舎に入れば、中嶋の追っ手がやってくる。さっさと学生会室に戻って仕事をすれば、万事丸く収まるのだが、それはなんだか面白くない。
 ポケットに手を突っ込みながら、岩場を歩いていく。
 波が高い。あまり海に近づかない方がいいだろう。
 丹羽は適当な岩場で立ち止まった。
「丹羽ー!」
 波音に半分かき消されながらも聞こえた声に、丹羽は振り返った。
「篠宮?!」
 ダークグレーのコートを着た篠宮が、岩場の上を歩いてくる。
「おいっ!ちょっと待て!」
 篠宮に向かって慌てて岩の上を走る。
「丹羽?!お、おいっ!」
 丹羽が篠宮を慌てて抱き上げる。
「こら、丹羽!いきなりなんだ?!」
「なんだじゃねえ。そんな雪駄履きで岩の上を歩いてくるな。危なっかしいだろう!」
 篠宮は弓道着の上に、コートを羽織っていた。
 もちろん足下は靴ではなく雪駄。
「別に危なくはない。俺は慣れている」
 子供の頃から弓道を嗜んでいた、神社の長男。と聞けば、確かに和装には強そうだ。
「俺が心配なんだよ」
 出来るだけ平らな岩の上を選んで篠宮を降ろす。
 一七八センチある男の篠宮を、軽々と抱き上げたり降ろしたりする辺り、丹羽の腕力が伺える。
「心配は俺だ。また中嶋から逃げてるんだろう。この寒空にコートも着ずに」
「うっ……まあな」
「さっき弓道場に来ていただろう。なぜ入ってこない」
「その……だってよ。邪魔したくなかったから……」
 丹羽の言葉に呆れたような溜め息をつきながら、コートを脱いだ。
「妙なところで気を遣う奴だな」
 脱いだコートを丹羽に差し出す。
「もう暫く逃亡するつもりなら、これを着ていろ。少しお前には小さいかもしれないが何とかなるだろう」
「ちょっと待てよ。だったらお前は?」
「俺はすぐに弓道場に戻る」
「その格好でか?」
 コートの下は、いつもの白い弓道着に袴だけ。
 相当寒いに違いないのに、篠宮はそんな素振りさえ見せない。
「すぐそこだ」
 丹羽の手に無理矢理コートを押しつけ、篠宮が背を向けた。
 風に揺れる、黒髪の下の首筋が、白く寒々として見える。
「気が済んだら、学生会室に戻れよ」
 そう言って岩の上を歩き出そうとする篠宮の手首を、丹羽が慌てて捕まえた。
「ちょっと待て!」
 篠宮を引き寄せ、再び抱き上げる。
「おい!こら、どういうつもりだ丹羽!」
「いいから」
 いたずらを企む子供のような笑顔を、丹羽が浮かべた。 


 「で……、何故こうなるんだ」
 岩の上に座る丹羽の膝に、篠宮は座らされていた。
 元通り、ちゃんとコートを着せられている。
「あんな格好で弓道場まで歩いたら風邪ひくだろ。こうしていれば、俺も暖かいしな」
 そう言って嬉しそうに篠宮を抱え直す。
「俺は大丈夫だ。中に防寒用の胴着を着ている。大体そう思うなら、学生会室に戻れ」
「仕事したくない」
「困った奴だ。なら弓道場に……」
「あそこも結構寒いだろう」
 もちろん唯の言い訳。
 弓道場での篠宮の目は、的にしか向かない。ここなら中嶋にも弓にも邪魔されず、二人きりになれる。
「ここよりはましだぞ」
 丹羽がそんなことを考えているのを、篠宮はもちろん知らない。
「いいんだよ。俺がお前とここで、こうしていたいんだ」
「子供みたいな奴だな」
 そう言って篠宮がくすりと笑った。
「何とでも言え。まっ、もうちょっとしたら、ちゃんと戻るさ。篠宮に風邪ひかせたくないしな」
「お前はどうなんだ?背中が寒いだろう」
 そう言って丹羽の肩に手を置く。
「俺は平気だ。人より丈夫だからな」
「俺だって、丈夫な方だ」
「俺ほどじゃないだろう」
「お前と比べられてもな」
 苦笑を浮かべる篠宮の、癖のない黒髪が風に乱れる。
 海からの風にも寒そうな素振りは見せず、いつもの凛とした姿勢を崩していない。
 本当は良く知っている。
 篠宮は強い。
 些細なことで挑んだ弓道での勝負でそれを知った。
 弓が上手いとか、経験があるとか、そんなことは関係ない。
 人として、男として、勝てない部分があることを、勝負を通じて丹羽は感じ取った。
 そして惹かれた。
 惹かれてみると色々なことに気付く。
 涼やかで凛とした容貌。堂々として優雅な立ち居振る舞い。面倒見が良く、懐の深い優しさ。
 どんどん深みにはまって、引き返せなくなって、篠宮に気持ちを伝えた。
「丹羽。どうした?」
 黙り込む丹羽の顔を、心配そうにのぞき込む。
「うん?なんでもないぜ」
「……そうか?」
 篠宮の指が、そっと丹羽の頬に添えられる。
 丹羽が篠宮の首の後ろに手を掛け、力を込めて引き寄せた。
 唇が重なる。
 篠宮が丹羽の首に腕をまわした。
 目を閉じて唇を重ね続ける。
 篠宮とこれほど深く触れ合える事を、誇りに思う。
 冬の海の荒々しい波音が、いつもより激しく聞こえた。
 

 唇を離すと、丹羽は篠宮を抱いたまま立ち上がった。
「帰るか。流石に寒い」
「それはいいが、降ろしてくれないか?」
「駄目。岩場を抜けるまで抱いていってやるよ」
「だから雪駄履きでも俺は大丈夫だ」
「俺が心配なんだよ」
 そんなことを言いながらも、篠宮を抱いたまま岩場を歩いていく。
 丹羽の腕の中で、篠宮はそれ以上何も言わず、俯いて目元を朱に染めた。
「なあ、篠宮」
 道に出た所で、丹羽はやっと篠宮を降ろした。
「俺が好きだって言ったとき……お前、嫌じゃなかったか?その……俺はこんなごつい男だしよ」
「嫌だったら、断ると思うが。それに丹羽がごついのは一年の時から知っている」
「あっ、そ」
 むくれる丹羽を見て、篠宮は笑って背を向けた。
「お前、あの時言ったろう。俺が強いから好きだって」
 そんなことを言ったような気がする。告白の文句としては、かなりできの悪い部類だろう。
「俺も同じだ。お前の強さが好きだ。俺にはないお前の強さが、眩しかった。初めてあった時から」
 背を向けたまま照れたように言う篠宮に、丹羽は目を丸くした。
 同じような理由だったのが、素直に嬉しい。
「だったらよ、俺、もっと強くなるから、ずっと俺のこと好きでいろよ」
「それ以上強くなるのか?」
 振り向いた篠宮が、目を細めて笑っている。
「とりあえず親父をぶっ倒せるくらいには強くなってやるぜ」
「こら、父上に向かってなんて事を」
 真面目で礼儀正しい篠宮らしい言葉。
「あんな奴、父上なんていいもんじゃないぜ」
「全くお前は」
 仕方のない奴だ。と言うように微笑みながら、篠宮が歩き出す。
 コートの裾をなびかせ、海からの風に胸を張って歩く篠宮の後ろ姿。
 丹羽は目を離せなかった。
終わり



に・・丹羽篠、やっぱり良いですね〜vv
こちらは、篠宮の会主催『篠宮生誕会』での聖京様作のフリー創作ですv
お互いの強さに惹かれあった二人の関係が、本当に二人らしくて大好きです!
そして、王様だと篠宮でも軽々お姫様抱っこできる所が素晴らしいvv
恋愛に不器用そうな二人というのが、また萌えポイントくすぐりますv(笑)
丹羽篠大好きなのですが、こちらの作品で益々丹羽篠に傾倒してしまいました!

本当に大男ながらも(??)可愛い二人を有り難うございました〜v
余談ですが、壁紙、字が読みにくかったらゴメンナサイ(汗)