注意・このSSには『近親関係(弟×兄)』を表記した部分があります、またこのSS内における柾司像にも、捏造甚だしい箇所が多々あります。苦手な方はどうぞ、ご注意下さい
大丈夫な方は、下方へどうぞ。。

























飛行機は昼前に空港に着くと言っていた、ソレから電車を乗り継いで、駅からはバスかな、ソレともタクシーか。いや、ナンにしたってココに着くのはきっと、夕方辺り。そう、教えられた時間から今日、何度目になるか判らない程に繰り返している逆算をまた仕掛けつつ見つめる、窓の外。吹き抜ける、あの夏の暑さはドコへやらと言ったカンジの、秋の香りを孕んだ空気。その風に揺れる、もうすっかりと盛夏の色合いを落とした庭の植え込み達。そんな景色に、思う。あの時は確か、外は一面の雪景色だった。だとするともう、半年近く逢っていないと言うコトになるのかな。呟き、窓から離れて向かうのは、部屋の奥に置かれたベッド。その脇に置かれた、幾種類もの薬やら器具やらが所狭しと並んでいるせいですっかりと狭くなってしまっているテーブルから取り上げ見つめるのは、小さな写真立て。ソコに笑う自分と、そんな自分をすぐ傍から優しく見つめる、しゃんとした胴着姿で垰やかに笑う顔をそっと指先で擦りながら、零すヒトイキ。
僕には兄が、一人いる。名は紘司、歳は僕よりも三歳上の今年18歳。その兄は弟の僕が言うのも何だけれども、とにかく素晴らしい人物。清廉潔白と言う言葉をカタチにしたら、きっとこんな風なんだろうなと思わせる様な、凛とした見目と風情。幼い頃から続けている弓道のせいだろうか、いつだってしゃんと伸びた美しい立ち居振る舞い。常に己は勿論、どんな人間に対しても時には冷淡に見える程に公平且つ厳しい態度で接し、でもうちに秘めた優しさと思いやりの心は激しい程で。ああもう、上げて行ったら切りがない。兎に角、この兄の弟として生を受けたコトは、僕にとって最高にして最大の幸せ。この弱い身体が、その為の対価だったとしても後悔は持たない。ソレくらいに、唯一で絶対な兄の存在。そう、写真立てを胸に抱え込んで零す、ヒトイキ。その時、僕の耳に届いたは車のエンジン音。次いで聞こえた、車のドアを開け閉めする音と話し声、石畳を歩く靴音。からからと開く、玄関の引き戸。そして。
「・・・ただいま、いま戻りました」
聞こえた柔らかい音色の声での挨拶に、写真立てを置いてぱっと立ち上がる僕。そう、ソレは僕が待ちに待ち焦がれていた大切な存在の声。聞き間違うコトなんて絶対にあり得ない、兄の声。だから部屋から飛び出し、長い廊下の先にある玄関へと早足で一目散に向かい、
「にいさんっ」
言いながら飛びつく、まだ靴を履いたままで母と並んで三和土に立っていた兄の胸。そしてそのまま、矢継ぎ早に質問攻め。どうしたの、メールじゃ飛行機は昼って言ってたよね、早くなったの。でも、ソレでも大分早いよね、どういうコトなの。そんな僕の様子を『柾司、余り騒ぐと身体が』と、心配そうに声を掛ける母と、僕の背を窘める様に落ち着かせる様に擦りながら、丁寧に質問に答えてくれる兄。ああ、空港に行ったら丁度、前の便にキャンセルが出ててな。だから席を取り替えてもらって、その便で来た。そうしたら電車も、良い具合にタイミングが合ってくれて。お陰でスムーズに早く着けた、良かった。そう、そうなんだ。
「でも嬉しい・・・」
早く来てくれたってコトは、長く居られるってコトだよね。そう言って更に兄へとしがみつく、僕。しかし暫しの沈黙の後、そんな僕のコトをそっと身体から離した兄が、すっと屈んで僕と視線を合わせた上で浮かべたのはいつもの穏やかな笑みではナイ、ドコか固く険しい表情。そして次いでその、カタチの良い薄い唇が一瞬の戸惑いの後で浮かべて零した言葉に、僕の心は一瞬にして凍り付く。
「・・・柾司、実は」

実は暫く、ココに戻るのは止めようかと思っている。




兄が帰って来たら、寝る間も惜しんで色々なコトをしよう、話そうと思っていた。聞いて貰いたいコトも沢山あったし、聞きたいコトも山ほどあった。でもそんな気持ちや計画は全て、兄が放ったあのヒトコトで粉々に砕かれて消えてしまった。だからあの後、引き止めた兄の腕を振り払いナニも言わずに自室へと駈け戻った、僕。そしてドアに鍵を掛けた後、そのままずるずるとその場に座り込んだままナニもする気には、いや出来なかった僕。そんな僕の背に掛けられた、小さなノックの音と、
「・・・柾司、柾司すまない、驚かせて」
でも考えた末に決めたんだ、だから理由(わけ)を聞いて欲しいと言う、あんなに聞きたくて堪らなかった、でも今じゃあ辛く切ないモノにしか聞こえなくなってしまった兄の声。だから立てた膝に頭を落とし、両手で耳を塞いで踞っていた僕。もうナニも聞きたくナイ、ナニも受け入れたくナイ。ナニも知りたくナイ、ナニも見たくナイっ。そう内心で叫んだ瞬間、
「あ・・・・っ!」
胸に走った、ぴりっと言う鋭い痛み。次いで感じた、肺と心臓とを鷲掴みにされて揺さぶられる様な息苦しさと、ばくばくとまるで壊れたポンプみたいに、大きな音を立てて脈打つ胸、全身を走る悪寒にちっと舌打ち。ナンだよ、ナニもこんな時に出なくても良いじゃナイかっ。こんな、最悪のタイミングでっ。そう脳裏で零しながら、左胸に当てる片手。次いで壁に掛けられた時計の秒針を見つめ、必死に繰り返す深呼吸のリズムに合わせて立てた指で打つのは、胸に当てた手の甲。そして強く強く、心と身体に言い聞かせるのはいつもの言葉。ソレは奇しくも、今こうやって僕を追い詰めた兄が以前、発作を起こした幼い僕の手を握りながら繰り返し囁いてくれた言葉。大丈夫だ、ナニも怖がるコトはナイ。お前(僕)の傍には何時だって、俺(兄)がいるから。だから大丈夫、大丈夫だ柾司。
”兄、さん・・・っ!”
ドコがどうと言うのは良く判らないけれども、生まれつき何かが歪んでイビツだった僕の心臓。そう、いま僕の身に起こっているこの激しい動悸と呼吸困難は、そんな心臓が僕の感情の変化について行けずに、軋みと悲鳴を上げたせい。この心臓の為に僕は、幼い時から幾度となく入退院を繰り返し、何時間にも及ぶ手術や治療を受け続けて来ていた。そんな僕にとって、健康で利発な兄は憧れの極み。その気持ちは、弱い心臓が成長する身体に付いて行けなくなるにつれ、どんどんと深く増して行って。そう、兄は正に僕の全てに等しい存在だった。そんな兄が今日、突然に切り出して来た別れの言葉。理解なんか出来ない、いや出来る訳がナイ。だってそうだろう、学校にも行けず友達もろくにいない僕にとって、兄はたったヒトツの外との繋がり。兄が連れて来る光が、兄が運んでくれる風が、僕に取っての世界の全て。その兄に見捨てられたら、僕は一体どうすれば良い。何の為に今まで、あんな辛い時を過ごして来たって言うんだ。
全てはこの兄と、出来るだけ長い時間を過ごしたいが為の我慢。1分でも一秒でも、兄の傍で兄を感じたいが為の努力。なのにその想いを、アナタが砕くの。
何もかもを投げ出し、ただアナタと一緒にいたい一心だけで静かに過ごして来た僕の今までの時間を、アナタはそのヒトコトで一瞬にして葬り去るの。そんな僕の耳にまた届く、兄の声。柾司、柾司頼む、話を聞いてくれないか。そして。
「お前の・・・、為なんだ」
ズルいヒトだ、ソレが正直な気持ちだった。そう言われたらもう、僕はナニも出来ない。だって僕は今まで、そして今も兄がドレだけ僕を思い、僕を大切にしてくれているかを知っているから。だから乱れた呼吸を何とか整え、未だ息苦しさとショックでくらくらしている意識を身体を立て直しつつ手を掛ける、ドアノブ。かちりと外すロック、すっと細く押し開ける扉。するとまるで、そのタイミングを見計らっていたかの様な素早さで掴まれる、扉の反対側のノブ。次いでくん、と引かれ、開かれる扉。その弾みで、前につんのめった僕の身体。ソレを柔らかく抱き止める、しなやかな腕(かいな)。そしてそのまま包み込まれる、広く温かい胸。掛けられる穏やかな、でも音色の奥に微かな不安と震えすら感じさせる声。その声が、僕に私語(さざめ)く。
「母さんから、聞いた」
俺が戻る少し前に、お前また具合を崩したんだってな。確かこの前もそうだっただろう、だから俺は心配で。お前が俺を慕ってくれているコトはとても嬉しい、だがそうやって俺を思ってくれているコトがお前の身体に負担を掛けているとしたら。だとしたら俺は辛い、辛くて堪らない。そんな言葉と共に、更に強く抱かれる身体。畳掛ける様に零される、まるで切ない祈りの様な言葉。あと少しなんだ柾司、あと少しで年齢が満ちる。そうなれば治療法の選択肢も広がるし、その結果新しい道筋だって見つかるかも知れない。だからソレまではどうか大人しく、身体を大事にしてくれ。
「後生だ、頼む・・・」
「兄、さん・・・」
ちなみに、僕の心臓が何故こんなコトになったのかと言う根本的な原因は、全くの不明。しかも完治への唯一の道は、心臓移植のみ。しかし僕の年齢での移植手術は、法律で禁じられている日本。かといって海外に移植を行いに行く程の経済的余裕は、うちにはナイ。いや、もしどうしてもと言うのであれば、家族は全てを投げ出してでもそうしてくれるだろう。でもソレは、ソレだけはして欲しくなかった僕。今だって充分すぎる程の手と愛情を掛けてくれている両親や兄を始めとする、周りの人々。その人達にコレ以上の迷惑は掛けられない。
安静にしていれば長らえられると、医師は言った。だから僕は学校に通うコトも、友達と遊ぶコトも諦めただ静かに大人しく、息を潜める様にして生活をして来た。全ては時が満ちるまで、僕が国内で移植を受けられる条件を得る為。この弱い身体を、ただひたすら守り保つコトだけに専念して来た。そして今年、僕は15歳の誕生日を何とか迎えられた。残すは後一年、しかしこの一年が一番危険なのだとも、医者は言った。見えて来たゴールに焦る気持ちと、弱い心臓のせいで他の人間に比べれば多少はゆっくりと地味ではあるが、ソレでも所謂『成長期』と言うモノを迎え、活発な新陳代謝を繰り返し発育を続ける身体。でもそんな順調な成長とは裏腹に、相変わらずの脆さで胸に埋まったままの、いつ止まるか判らないネジ巻のゼンマイを中に入れた、ガラス細工みたいに脆い心臓。だから兄の心配、杞憂は極々当たり前のコト。兄の言いたいコト、そして言っているコトにも間違いはなかった。ソレに兄とて、自分が戻るせいで僕が調子を崩すとなれば、例えコレが喜び故のコトであっても心苦しいだろう。ソレは判るし、申し訳ないとも思う。でもさっきも言った通り、他にナニも持たない僕にとってこの兄は正に、唯一無二の大切な存在。しかも加えて、いま兄は長くやっていた弓道の実力を高く評価され引き抜かれ、地元の学校ではナイずっと離れた場所にある全寮制の学校に通っている。だから逢えるのは、夏と冬との長期休暇の時だけ。ソレでも、一年の頃はまだ良かった。しかし学年が上がり、持ち前の責任感の強さと生真面目さを買われて『寮長』と『部長』に抜擢されてからは、責任者としてその長期休暇の殆ども寮に残らなくてはならなくなり、結果長い休みとは言えココへと戻って来られる日数は、ほんの数日にまで激減した、兄。そんな環境と現実に追い打ちを掛けられ、益々強く激しくなって行く僕の兄への執心。そしてその気持ちに乱れ崩れる、僕の心と身体のバランス。ソレを気に病む、兄。でも、そんなリスクを冒してでもどうしても兄が欲しい、僕。全ては救い様のナイ、ヒドいジレンマ。だから、だから。
「・・・判り、ました」
兄に逢えなくなるのは何よりも辛いけれども、でもソレ以上に兄を苦しませ悲しませるコトはしたくナイ。だったら僕が選ばなければならない道は、ただヒトツ。そう覚悟を決め、震える覚悟で口に出す言葉。そのヒトコトに、正に『ほっ』と言う声が聞こえそうな程に深い息を付いた兄。次いで俯いた僕の頭を優しく優しく撫でる、大きな手。繰り返される、すまないと言う囁き。すまない柾司、お前にこんな辛い決断をさせてしまって。でも判ってくれて嬉しい、俺は嬉しい。その言葉と手の感触に、込み上げる切なさみたいな感情を必死になって押え込む僕。返す、ぎりっと奥歯を噛み締めながらの苦渋の言葉。判りました、兄さんの言う通りにします。もうナニも言いません、言いません。そんな僕の頭を背を、また優しく撫でる兄の手。振り掛けられる、柔らかい声。柾司、すまない。本当にすまない。その感触に、目を閉じ思う。そうだ、コレで良いんだ。コレが今の僕達にとっては最良の選択、苦しいけれども悲しいけれども、でもソレは僕も兄もきっと同じ。兄も僕と同じ様に悩み、そして決断したんだ。だったら僕も答えなければならない、兄の気持ちに答えなければ。しかし、
「アイツに、言われたんだ」
しかしそうやって兄の胸に頬を寄せていた僕の耳に届いたのは、思いがけないヒトコト。その言葉に、思わずごくりと飲んだ重い息。再びひくりと鈍く疼いた、胸の奥。握り締めてしまった、背に回していた掌の下のぴんとしたシャツ。そして脳裏で繰り返す、その言葉。兄さん?兄さん今、ナンて言ったの。アイツって誰、僕は知らない。僕はそんなの、全然知らないっ。でも兄は、そんな僕の激しい動揺には全然全く気付いていないと言った様子で話を続ける。ソレも今まで、最も兄に近しい存在だと自負していた僕ですら一度たりとも見たコトがナイ、優しく穏やかな表情で。ヒトコトたりとも聞いたコトがナイ様な、柔らかく甘い声で。その様子に、すうっと冷えて行く僕の内心。ぴしぴしと細かいヒビを走らせる、決意の気持ち。しかしやっぱり、兄はそんな僕に気付きはせずに、話を続ける。言われたんだ、アイツに。お前のそんな状態を話したら、少し距離を取ったらどうだと意見をされて。俺があんまりお前を構うから、お前が落ち着かないのでは、と。
兄が口にした『アイツ』と言うヒトコト、その言葉を耳にした瞬間、ざっと全身を駆け巡ったのは『恐怖』にも似た冷えた感覚。そう、ソレは正に『恐怖』そのもの。突如現れた見えない『アイツ』と言う存在に、兄を奪われると言う恐怖。今まで一ミリの溝さえなかった僕達の間にイキナリ出来た、底の見えない深い亀裂に吸い込まれる様な絶望感。そして浮かんだ、ざらりとしたイヤな手触りの思いと考え。そうか、つまりはそう言うコトか。兄は僕を想って別れを切り出したんじゃナイ、その『アイツ』とやらとの時間と生活との方が大事になって、僕がジャマになったんだ。僕には兄しかいないのに、なのに兄には僕以外に、いや僕以上に気持ちを寄せる相手が出来た。僕の知らない世界の中で、僕の手が目が届かないトコロで、そういう相手を手に入れた。そう思った瞬間、僕の中に一気に吹き上がったのは鈍く重たい色合いをした冷たい炎。その舌先は先ず理性の箍を焼き落とし、そして冷ややかな熱と共に意識へ全身へと這い出て行く。そんな僕の内なる激しい憤りに、ようやく気付いたらしい兄。大きな背を屈め、俯いてぎりぎりと言い知れない思いを噛み締めていた僕に向かい、声を掛ける。どうした柾司、苦しいのか、具合が悪いのか。言いながら、頬に額にと触れて来る手。その手を捕らえ、低く私語(さざめ)く。具合、そうですね。
「悪いですよ、ものスゴく・・・っ」
「まさ、しっ!?」
言いながら、精一杯のチカラでぎりっと握り締める、弓をやるせいで固くなってしまった指先を持つ兄の手。その言葉と思いがけない僕の行動に、兄の顔がさっと曇ったのが判った。でももう、僕にはコレ以上この兄が二言目には吐く『僕の為』とか『僕を思って』とかと言う、残酷な呪いの様な言葉に耐える術がナイ。だから込み上げる気持ちそのままに、掴んでた手を放り投げる様にして払いつつぶつける言葉。僕の為に、僕を思って。兄さん、いつもそう言いますよね。でも知ってましたか、そんなの、ちっとも僕の為になんかなってなかったってコトを。ってか大体、兄さんはナニも判ってナイっ。兄弟なのに、兄のクセに僕のコトをナニひとつ理解なんかしてなかったっ。柾司、お前っ。
「とにかく落ち着け、身体に障る」
そう言い、僕の肩を押え込むすらりとした指先を持つ両腕。掛けられる、明らかに内心の動揺を必死になって押え込んでいると言った風な音色の声と、表情。
どうしたんだ一体、ナニが言いたい。いや、言いたいコトがあるならキチンと聞くから。だからとにかく落ち着け、興奮は身体に良くない。そんな言葉と共に、腕のラインに沿ってすっと撫で下ろそうとした、肩の両手。でも僕はその手を声を荒く払い除け、不安気に僕を見つめる曇っても尚まだ充分に端正な顔に向かい、更なる言葉を吐き付ける。良いです、そんなおざなりの心配なんてイラナイ。上辺だけの労りなんて、必要ナイ。するとサスガに良い加減、そういう僕の行動と言動とが癪に触ったのだろう。きっと引き締まった口元と、かっと鋭く尖った深い闇色をした兄の双瞳。そして薄くカタチの良い唇から零された、低い声でのヒトコト二言。おざなり?おざなりとはなんだ、上辺だけとはナンだっ、俺はっ。でももう、今の僕にはナニも届かない。ココにいる僕の中にあるのはただただ、もう抑えるコトが出来なくなってしまった、実の兄への暗い情念だけ。その気持ちに背を押されつつ、薄い笑いで語尾上がりに呟く言葉。
「『俺は』・・・、ナンです?」
ってか、もううんざりなんですよ、そんなの。言いながら、ぎちりと視線を絞って見つめる、信じられないと言った色合いを隠しもしないで僕を見ている、兄の瞳の奥。そして一気に畳掛ける、今までずっと自分の中に秘め続けて来た思い。兄を大切に想っていたからこそ、決して口には出すまいと誓い続けて来た、正直な気持ち。だがもう、ソレを隠す必要はなくなった。兄は僕を、その優しさで傷付けた。だったら僕も、同じ様に傷付けてやる。僕は兄を、この胸に抱え続けて来た深い『愛情』と言う名の刃で切り裂いてやる。そう内心で呟きつつ、じりっと縮める距離。そして構える、冷えた囁き。
「兄さんは、いつもそうだった」
俺は俺はって、そうやってナンでも自分だけの考えと判断とで決めて掛かって。ソレが僕に正しいコト、イチバン良いコトだと思っている。確かに、アナタは僕の実の兄だ。でもだからってアナタが考える全てが正しい、全てが僕に良い方向に働くとは限らないっ。僕を思ってココには帰らない?違うでしょう、僕じゃない誰かを想っているから、帰らないんでしょう?柾司、良い加減にっ。その時だった。
「・・・っ!!」
ぎりっと締め上げられる様な痛みを発し、再び縮んだ僕の心臓。がくりと崩れる膝、込み上げる、ヒドい吐き気と頭痛。ナンてタイミング、コレじゃあ益々、兄は僕から離れて行ってしまう、アイツのトコロへと行ってしまう。そんな僕に駆け寄り、先程の憤りはドコへやらと言ったカンジの表情で屈み込んで、激しく上下する僕の背を抱き支える兄の腕。胸を擦る、兄の掌。次いで僕の腕を肩に掛けて立ち上がらせ、ポータブルの呼吸器が置かれているベッドへと連れて行こうとする仕草。その僅かな距離の道すがらも掛けられる、あの声での労りの言葉達。僕がずっとずっと信じ、ソレこそ祈りの様に頼って来た優しい音色での言葉の群れ。柾司、柾司大丈夫か。もう少しだ、もう少し我慢しろ。そうやって辿り着いたベッドに僕を降ろした後、呼吸器の電源を入れ操作する兄の指先。
その手に手を添え、
「兄さん・・・、本当に僕を思っているなら・・・っ」
本気で僕を、ソコまで僕を大切に想っているなら。言いながらするりと伸ばす、呼吸困難による細かな震えを纏ったもう片方の手。その手で掴むのは、ベッドに片膝を付き壁に掛けられている酸素マスクを取ろうとしていた兄のシャツの胸ぐら。次いでその手を支えにながら、ゆっくりと詰めて行く互いの距離。そうやって充分に距離が近付いた所で、すっと腕を絡める広い背中。そして。
「・・・俺のコト、拒まないで」
恐らく初めて聞いただろう『俺』と言う一人称と囁きに、びくっと震えた兄の肩。でもソレは見なかった、気付かなかった振りで続ける、耳に項に今にも息が掛かりそうな距離での独白。ね、お願いだから俺を避けないで。そしてそのまま、頬を擦り合せる様にしながら顔をそっと横に滑らせ触れるのは、薄く開いた兄の唇。何時だって柔らかいラインで笑い、僕を励まし慰めてくれる言葉を零してくれた、でもその反面で僕にやるせない気持ちをずっとずっと抱かせ続けて来た、カタチのキレイな薄い唇。ソレを優しく咬む様にして開かせ、差し込む舌先。そして捕らえる、ナニをどう言えば良いのか判らずに固まってしまっている、熱くて濡れたイキモノみたいな兄の舌。途端、びくりと揺れた身体。次いで音がしそうな勢いでくん、と飲まれた息。がちゃりとシーツに落ちた、手にしていたマスクの一式。そして。
「まさ、柾司お前っ・・・!?」
離せっ、ナニをしているっ。そんな言葉と共に激しく振り解かれる、重ねた唇と絡めた腕。その案の定の様子に、暗く歪んで尖る俺の気持ち。零す、低い囁き。ナンだよ、他の相手ならば良くて俺はダメなの?弟なのに、俺は誰よりもアナタに近い存在である、実の弟なのに。言いながら、肩で息をしつつ再び狙う兄の唇。しかしソレを無言で拒み、威嚇し諌める兄の強い視線。その目に目を合わせ、じいっと見つめる。拒絶はもとより覚悟の上、軽蔑も蔑みも構わない。
でも兄さん、残念ながら最後の切り札は俺の手にあるんだ。だからダメだ、どんな目をしてもどんな態度を取ったとしても、アナタは俺には敵わない。そう脳裏で囁き掛けつつ、構えるトドメ。ソレは兄が、いやこの兄ならばこそ決して逆らえない、卑怯なヒトコト。でも、ソレはお互い様でしょう?兄さんだってさっき、本当に俺の命が縮んで消えてしまう様なヒドい決断を勝手に下したんだ。だったら俺だって、容赦はしない。兄をココに留める為ならば、俺はナニを言ってもナニを失っても後悔なんかしない。ってか、元々僕には兄しかいないんだ。だから、だから。
「・・・抗わないで」
言いながら浮かべる、幼い笑いと切ない表情。繰り返す、少し憂いを含ませた声での囁き。お願いだから、お願いだから兄さん、もうコレ以上は抗わないで。
アナタのチカラで拒まれたら、いやアナタにコレ以上避けられたら。
「俺、きっと死んでしまう」
俺の言葉に、ぎくりと揺れて強張った兄の全身。ぴしりと青ざめ、凍り付いた表情。その隙を逃さず、一気に全体重を掛けて兄の身体を押し倒した、狭くて固い俺のベッド。ふたり分の体重を受け、鈍い音を立てて軋んだスプリング。次いで聞こえた、背を打った痛みのせいか、ソレとも病弱な筈の実の弟に組み伏せられたと言う屈辱と驚きのせいかも知れない、押し殺した悲鳴みたいな短い声と吐息。ソレらを耳に収めつつ、独り言の様に呟く。
「・・・アナタが、悪いんだ」
あんなに近くにいたのに、こんなにも傍にいたのに。なのに少しも俺を判ってくれなかった、俺の気持ちに気付いてくれなかった。いや、気付かなかったならソレでも良かった。でもアナタは俺の気持ちには気付かなかったと言うのに、他の誰かの気持ちには気付いた。ソレが俺には、どうにも悔しくて辛くて堪らない。言いながら手を伸ばす、俺がさっき吐いたヒトコトのせいで最早凍った様に指先1本、瞬きヒトツ起こせなくなっている兄のシャツの胸元。次いで指を添える、整然と並びきっちりと掛けられているボタン。ソレらを順に緩めつつ、頬に首筋に振り掛けるキス。繰り返す、今までは兄から僕へと与えられて来ていたあの言葉。大丈夫、ナニも怖がるコトなんてナイ。アナタの傍には何時だって、俺がいるから。だから大丈夫、大丈夫だよ兄さん。そして俺の指先が最後のボタンを緩めて外した瞬間、はらりと左右に割れて落ちた布の中から露になる、醜い縫い痕だらけの俺の胸とは違う、ぴん、と貼られたまっさらな絹地みたいに美しい、兄の素肌。そのなだらかなラインと温もりとに手を頬を這わせつつ、目を閉じる俺。


兄を押し倒した時、下に敷かれ引っ張られて外れた、呼吸器から連なり酸素マスクへと繋がるゴムのチューブ。途端、部屋に鳴り響き出すそのコトを知らせる赤いライトの点滅と、小さなアラーム音。ソレはまるで、今の俺と兄とのふたりの気持ちを表しているかの様に見えた。でももう、後戻りは出来ない。そう、こんなにも深く強く、弱い身体が壊れて崩れるのも構わずに兄を愛し欲してしまった俺には最早、浄罪の路ナンかはドコにもナイ。だったら前に進むだけ、例えその先にあるのが奈落の深淵でも罪の業火でも、ただひたすらと前に進む。俺に出来るのは、ソレだけだ。そう脳裏で零しつつ、恐らくチアノーゼを起こしているだろう冷えた俺の唇で再び触れるのは、温かそうな淡い赤色をした兄の唇。


『Via Purifico(浄罪の路)』

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テニスの某捏造兄弟(笑)では『兄×弟』を熱烈に推奨ですけど、ヘヴンでは『弟×兄』が絶賛大ブームな私です、こんにちは。ソレにしても、もっと軽く流すつもりだったと言うのにナンかハマってますよ、うん。しかも凄まじい捏造っぷりで、柾司好きーな皆様にはホントすいませんと言うしかありません。でも好きなんですよ、こーいう後も先もナイ系が。なのでどうか、ご容赦を←救えない
ではでは、また。