片膝を付いた姿勢からすっと、音も無く立ち上がる。聞こえるのは袴が磨かれた床を滑る音と、降り続けてる雨音のみ。
右手に鷹羽の矢、左手に末弭(うらはず)を下にした二寸伸びの竹弓を構える。
視線を左の方角の的に向け左足、次いで右足と滑らせて足踏みの構え。筈を中仕掛に掛け、緩やかに視線を上下させて弓を弦を矢を見つめる。その間に重心をしっかりと固定させ、ふっと軽い息。
取り懸け、手の内、そして物見。尖った頤をくっと引き絞り、秋雨に霞む的場を見つめる。引き締まった腕を円を描く様に動かしながら頭上に掲げ、大三、三分の二を経て、口割りで止める。引き分け、会。矢を射る上で最も重要なモノに当たる、この動作。
流暢な動きの前半、そして相反する様に厳しい空気を漂わせる後半。きりきりと心も身体も絞り上げて、ただ一心に感覚を研ぎ澄ます。
この後に続く離れをより完璧にする為の、無限とも言えるその時間。早気では無く、かと言って無駄に時を流すのでは無い。
やがて絶妙の間合いが訪れて、矢は弦から”離す”のでは無く”離れて”行く。
矢が的に刺さる詰まった音が静寂に響いて、そして衝撃で手前側に向いていた弓がくん、と返って、再び弦をこちらに向ける。
そのまま数秒の沈黙『残心』を経て、そして最初と同じ動作で足を滑らせ、弓倒しを終えて終了。
すらっとした体躯が見せた、一部の隙も無いその優雅な一連の動作。しかし当の本人は余り満足はしていない様子。
矢が刺さっているのが的の中央を遥かに外れた箇所だと言うコトも一因であるけれども、本当の理由は彼の後ろにじいっと立ってる人物の気配のせい。何をする訳でも無く、でも気配を消しもしないでただ黙って射場の冷えた板壁に凭れている。

「何か用なのか」

別に。問に答えるのは抑揚の無い、でも艶のある短い声。
前を通ったら気配があった、だから覗いて見た。こんな陽気にどんな物好きが矢を打っているのか、ってね。
季節は秋も半ばを過ぎた頃、一雨毎に冬の色が濃くなり、景色はだんだんと彩度を落として行くそんな時期。弓を持つ手も素足も共に、冷ややかな大気に曝される。

「そしたら案の定、お前だった」

まあそういうバカはお前以外にいないだろうって方が、正しいかも知れないけどな。
きしっと杉板を軋ませて壁から身体を離し、そのまま綺麗な手をすぐ脇の壁に掛けられている弓のひとつへと掛ける。
その様子に、切り揃えられた前髪の下の目がすっと強張る。あの弓は自分の物では無い、けれども幾ら他人の物であっても、心得の無い者に無造作に触れられると言うのはやはり、気分は良く無い。でもソレを咎めたとしても、聞く相手では無い事も重々に承知している。だから黙って、視線で責める。しかし薄いレンズの向こう側の切れ長の瞳はその視線に真っ向から目を合わせ、そしてさらりと無視をする。
良くもまあこう毎日々々、同じ事を繰り返して飽きないモンだな。
弓を下ろした侭で立っている自分の脇にすっと立ち、矢立てに置かれた矢を引き抜いて手に取り、中仕掛けにを掛けて一気に絞る。ソコには型も何も無い、しかし強さと優雅さはあった。だからつい、視線を奪われる。

「大体、動かない的を狙ってナニが面白い」

声にはっとすると、きりっと構えた矢先がすうっと滑って自分を狙っていた。
生きていない血を持たないモノを射落して何が楽しい、そうじゃないか?篠宮。
眼鏡の向こう側の冷えた双瞳、尖った鏃(やじり)そのままの光と強さを持ったその視線。
楽しいとか面白いとか、そういう次元の事では無い。はは、バカバカしい。
ぎりぎりと絞られる弦。
今は”道”だなんて立派な字を与えられてあたかも高尚って面をしているが、元は殺し合いの為の道具だろ?あんな的じゃ無い、人の胸や生き物の頭を射抜く為に使われた物だ。
くっと瞳が細まり、そして長い指が掴んでいた弦と筈をふっと離す。ひゅっ、と鳴ってくるりと裏返る弓。ソレは先程、自分も行った弓返り。
手の内がしっかりと整わないと出来ないその動きを、どういう訳かあっさりとこなすこの男。
そして放たれた矢は自分の頬を掠めて、矢道の芝生で戯れていた野鳥のすぐ脇に突き刺さる。
カタチは決まっていても、流石に弦の引き加減までは捉え切れてはいないらしい。それでも距離は充分、あと数メートルで安土に刺さるだろうといった具合に、背筋が冷える。
驚いて飛び立つ鳥の羽音が、やけに大きく聞こえた。

「・・・ソレを言うならばお前の空手も同じだろう」

同じく”道”の一文字を付けられて、スポーツに成り変わっている。
確かに。
弓をがらんと放り投げ、両手を摩りながらふっと笑う。
道具は手荒に扱うな、中嶋。
でもやはり、そんな声はさらっと無視。投げられた弓を拾おうと、屈んで伸ばした片肌の腕。そのすらっとした薄い皮膚の肱(かいな)を掴む、長い指。

「道具は手入れを怠ると、裏切るそうだ」

だから何だ、俺は手入れを怠った事なんて無い。俺だってそうだ、ちゃんと手入れをしてる。

「お前の空手は、道具なんて使わないだろうに」

「何も”道具”は”物”とは限らない」

腕を握る手の力が暗に伝える、ニュアンス。その意味を悟ってくっと顰められる、綺麗なラインの眉。
振り解けない事は無いけれども、どう出ても結果は同じだと言う事も判り切ってる。そして自分が抗えば抗う程に、相手を刺激する事も。
だから弓と同じ様に視線で禁める、眼鏡の向こうの冷えた双瞳を。


濡れた大気、張り詰めた空気。
駕篭の中の少年達の、秋の憂い。


『愁』





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ねこちゃんが「中嶋は攻めでね、篠宮は受けなの、だから中篠よろしくvv」
と言ったので、言われるままに書きました(笑)
中嶋はSで鬼畜で根性悪で賢くてメガネだよ、とも言われました。そして最近
とんとメガネに弱い私は、あっさりとその言葉に陥落しました。
はっ、篠宮サイトなのにコレじゃあまるで中嶋シンパみたいな発言だわ。
ともかく、楽しかったです。また機会があったら書きたいね、うん(え?)