「ありがとう臣、助かった」
ったく、理事長もいい加減だよね。もっと早くに言ってくれれば良いのに。言いながら差し出す、制服のブレザー。雑誌の取材でしたっけ。そう、テニス関係の。別に普通の格好でも良かったとは思うんだけど、こういうのってマナーだし。ソレに僕ももう、最上級生だからね。そうですね、早いモノです。
「でもどうして?」
そして受け取ったブレザーと入れ替わる様にして押し出す、紅茶のカップ。どうしてって、ナニ。いえ、成瀬くんロッカーにブレザー持っているでしょう。臣。
「悪い意味に取らないで下さい、純粋な疑問です」
詰まった言葉を気にしてか、両手を挙げた降参みたいなポーズで、笑う顔。判ってる、僕はそんなに器が小さいつもりはナイよ。そう零しながらカップを取り、眺める春の空。でも、でもね。
「アレは・・・、ちょっと着れないんだ」
穏やかな視線の先、ソコには残り少ない桜の花びらが、あの日と同じくらいに強い春風に舞っていた。




『ブレザー、ですか?』
『ああ、持ってないか成瀬』
ソレは、春休み間近のある日。いつも通りコートで朝の練習をしていた僕の元へと、アナタは不意に息を切らせて走って来て。そしてそんなコトを、言って来た。ありますよ、部室のロッカーに。すまない、少し貸してもらえないか。
『忘れていた、今日が卒業アルバムの撮影日だったコトを・・・』
『アルバム、ですか』
そうだ。集合写真があるんだ。右へ習えは好きでは無いが、着なければ着ないでどうにも目立ってしまって。アナタの口から出た『卒業』と言う言葉に、胸の端がぴりっと引っ張られる。でもそんな色は微塵も見せずに、明るい笑い。はは、確かに。でも珍しいですね、篠宮さんが行事を忘れるだなんて。するとアナタも、キレイな微苦笑で答えてくれる。ああ、引き継ぎやら引っ越しで忙しいのにかまけていた、とんだ失態だ。
『少し・・・、待ってて下さい』
そう言ってラケットを置いて、踵を返す。取って来ます、すぐ戻りますから。すると、
『待て、俺も行くっ』
僕の背中に掛かった、柔らかい声と足音。え、良いですよそんな。いや、借りるのは俺なのだから、付き合おう。は、い。そして結局、並んで歩く部室までの数分の道のり。
『桜・・・、今年は早いのかな』
『どうでしょうか、でも卒業式に間に合えば良いですね』
そうだな、間に合えばキレイだな。見上げた空、強い風に揺れる枝を見ながら交わす、他愛ない会話。でも僕が見ていたのは、枝じゃなくてアナタの髪と横顔。ソレはもうあと僅か、綻ぶ桜と入れ替わる様にして消えてしまうモノだから。だからと目に焼き付ける、黒い髪の一筋を艶やかな視線を、凛とした鋭い面差し全てを。
『成瀬は、桜は好きか?』
そんなカタチの良い、薄い唇が呼ぶ僕の名前。そうですね、好きですかね。そうか、俺も桜は好きだ。だからこの時期は良く、ココに来ていた。そう、風に揺れる髪を片手で押さえて、眩しそうな表情。ああ、そう言えば良く見かけました。薄い霞みたいな花が、篠宮さんには良く似合うなって思いながら、見ていました。ナニを言い出すかと思えば、お前は(笑)
『後のコト・・・、任せたぞ』
言いながら、僕の頭にふわりと触れて来る、しなやかな手。その心地良いチカラにふっと目を閉じながら、薄い笑いでちくりと零す。ホントに良いんですか?
門限破りの常習犯に、寮長なんか任せて。俺はヒトを見る目には、自信があるつもりだ。では僕は、そのお眼鏡に適ったという訳ですか。
『そうだ』
『・・・判りました』
手とは裏腹な、チカラ強い言葉。その一声に閉じていた目を開き、間近の紫黒の双瞳をじいっと見つめて、ヒトコト。任せて下さい、アナタが選んだ俺ならば、決して期待は裏切りません。ああ、頼んだぞ。そして。
『どうぞ』
アナタのすらりとした手に渡す、僕のブレザー。すまない、ちゃんとクリーニングして返すから。そんな、良いですよ。どうせ殆ど着てないんですから。
『ソレより、遅れますよ』
言いながら、くっと押し出す背中。いつも時間にウルサい寮長さんが遅刻したら、他のヒトに示しが付かないでしょ。あ、ああ、じゃあ。そう言い残し、駆け出す背中。ソレを見送りながら。
『参ったな、今日は風が強い・・・』
ホコリがヒドいね、目に入る。そう、滲んだ視界を指先で拭う。残された日は、もう数日。その間に俺は何回、アナタの身体に触れられるのだろうか。そしてアナタは何回、俺の名を呼んでくれるのだろうか。



ナンとなく、練習に戻る気はしなかった。だから部室の壁にぼおっと凭れて、アナタに似合うと言った桜の枝を見つめながら、時間を潰す。そうやってドレくらいの時間が過ぎただろうか、いい加減マズいかなと思いながらコートに戻ると。
「あ・・・」
アンツーカーのコートを囲む、腰高のフェンスに揺れる、赤いブレザー。篠宮さんが持って来ました、時間を取らせてすまなかった、でも助かった、ありがとうと、伝えて下さいって。ボール拾いをしていた下級生が、そう伝える。ソレに手を挙げて答え、
”気にしたみたいだな、僕が居なかったコトを・・・”
丁重な伝言を思いながら、風に揺れる袖口を捉え、取り込もうとした時。
「・・・ナンだ」
気付いた僅かな変化に、思わず破顔。ねえ、コレ篠宮サンがココに掛けてったの。はい、そうですけど。そう、判った。言いながら、ブレザーをそおっと手に取る。そしてソレを、風の中でゆっくりと広げてみると。
「はは、コレ」
僕の手の中の僕のブレザーは、ほんの少し、少しだけだけど両の袖口が折り返されていた。この学園の制服は、ブレザーの袖から下のシャツを長く出し、ソレを折り返してカフスで留めると言うタイプ。なのでシャツの袖とブレザーの袖の長さが合っていないと、バランスが悪い。しかし借り物のブレザーはどうやら、アナタの身体にはサイズが合わなかったらしい。だからと言うコトで、アナタはこうやって袖を折り返して、纏ったらしい。へえ、篠宮サンの腕って、コレくらいの長さなんだ。ナンか意外だな、手も脚も長いイメージがあるヒトなのに。なのに実際は、僕の方が長いんだ。そんな、思いがけなく知った事実に、また微笑。でもふっと思う、いつもは隙なんか無いヒトなのに、なのにそんなアナタらしくない、こんなケアレス・ミス。ソレは、今までの僕にはナンとも嬉しい、アナタを知る大切なヒトコマなのだろうけれども、今の僕にはどうにも堪らない。だってそうだろう、こんなコト、今頃知ったって遅すぎる。知るならもっと、早くに知りたかった。もっともっと、アナタがこの学び舎から飛び立つ春より、もっと前に。そう思いながら、折られた袖口をそっと撫でる。するとその指先にふわりと落ちる、早咲きの桜とひとひらの冷たい雫。ソレに思う、春がこんなにも切なく、そして苦しい季節だと言うコトを。



そしてあの時以来、僕のブレザーは折られた袖のまま、ずうっとロッカーの中にしまわれている。今はもういないアナタのサイズを温もりを、そっとその身に纏ったまま。




『桜花抄』



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こんにちは、成篠推奨委員会委員長の葉月です(笑)今回は以前にメッセで出た、卒業式ネタのひとつより。
旅立つ篠宮を見送るなるっちの、ちょっと切ない春。普段があんな明るいカンジのヒトなので、余計に滲みそうです。
大っぴらに落ち込んだり凹んだりも、出来なさそうだし。決して埋められない、年齢差と言うモノを痛感する季節でしょう。
BGMはKツメイシの「さくら」で、良い曲です。