優しい監獄 − Gift For Kurosu
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囲まれている。 獄寺はぴたりと足を止め、露骨に眉を顰めながら煙草を取り出した。 慣れた仕草で一本咥える、火を点ける、小さな煙を吐き出す──戦闘態勢を整える。 「穏やかじゃねーな、こりゃー」 半歩後ろから山本の声がした。ツナと獄寺の半歩だけ後ろを歩いていたこの少年も、獄寺に合わせて足を止めている。 この状況下に在って尚、何処かのんびりとした口調──だが、獄寺がチラリと視線だけで振り向いてみれば、鋭い殺気を孕んだ枯葉色の瞳が、周囲を油断無く睨み付けていた。 「どうしたの?二人供?」 立ち止まった獄寺と山本に気付かず、数歩先に行ってしまったツナが振り向き、怪訝そうに首を傾げる。 「敵襲です、十代目……!!」 「え〜〜〜っ!?」 獄寺の押し殺した声にツナの素っ頓狂な悲鳴が重なって、静かな夜の公園に響き渡った。 「獄寺くん……」 ツナはそこで言葉を区切ったが──そのじっとりとした視線は
「また何かやらかしたの?」
と、盛大な疑いを湛えて如実に語りかけている。 「…………」 獄寺は無言で首を横に振った。 獄寺と山本の足を止めた気配は、その数10〜15だろうか。これが単に街の不良グループなどなら、獄寺や山本の敵ではない。数分もあれば一掃出来る。 だが、三人を取り巻く悪意に満ちた敵意──“殺気”は、そこらの不良供がちゃちな喧嘩ごっこを繰り返して育むレベルを超えている。戦場の、死線の、根本的な次元が違うのだ。 「どこのファミリーのもんだ……」 獄寺は低く唸るように問いかける。 応えたのは。 カチャ。 微かな金属音。 「……!!」 咄嗟にその場を飛び退く。 ボスッ!! 朽木が割れるような音がして、獄寺が立っていた地面に小さな穴が穿たれた。この国では原則として、一般人が持ち得ないはずの武器──自動小銃から放たれた、鋼の飛礫。 「ちっ、問答無用かよっ!?」 獄寺は派手な舌打ちをしながら──直後、激しい悔恨に襲われる。 それこそ不良グループの襲撃なら、その標的は獄寺である可能性がすこぶる高い。 だが、違う。こんなにも冷酷な殺気を湛え、物騒な武器を躊躇無く操る事が出来るのは、夜よりも尚深い闇の世界に生きる者だけ──すなわち、マフィア。 マフィアが単なる気紛れで徒党を組み、日本の中学生を襲うわけがない。 暗殺。 思い当たった瞬間、獄寺の頭から血の気が引いた。 しまった。敵の襲撃という突発的な状況下で、部下が一番に確保すべきは主の身の安全でなくてはならないのに。今の獄寺の行動は、ただ自分の身を護る為だけにその場を放棄してしまったのも同じだ。 「十代目……っ!!」 掠れる喉で叫んで、慌ててツナを振り返る──と。 「おいおい、獄寺、あんま危ない友達作んなよー?」 意外な程の至近距離で、山本が呆れたように笑った。 「いや、山本……同感だけど……これに関しては多分、直接、獄寺くんがってよりかね?」 山本の隣でツナが苦笑しながら、山本に
「ありがとう」
と礼を述べている。どうやら先程の銃撃の際、山本が咄嗟にツナを引き寄せて銃弾を避けたらしい。 「野球バカのワリには上出来じゃねえか」 しかし、獄寺が頬を緩める暇も無く、舗装された散歩道の木立ちの陰から黒い影がスウッと伸び上がった。一つ、二つ、三つ──獄寺達を取り囲んで、その数ざっと、十ばかり。皆が黒スーツに黒ネクタイ、サングラス姿。手には紛れもない、鋼の凶器。 「暗いのにグラサンかけて……前、見えんのかよ?」 獄寺の悪態に答える様子は、無論無い。 「穏やかじゃねえな」 山本がもう一度、しかし今度は幾分静かな口調で呟いた。意図的なのか無意識なのか、その声はまるで苔に染みる水のように穏やかに、獄寺の心を落ち着かせる。強張っていた心が解れる。 獄寺は唇の端で苦笑した。 緊張してんじゃねえよ、俺……。 そして、微かな深呼吸を一つ。 「油断すんじゃねえぞ、まだ何人かコソコソ隠れてやがる」 「……みたいだな」 「いいか、十代目だけは絶対、何があってもお護りするぞ」 それは何気無い、定型文句のはずだった。 「……ああ」 だから、山本が放った提案に、獄寺は一瞬、思考を止めた。 「だから獄寺……ツナと一緒に、こっから逃げろ」 「……は?」 そうして思わず凝視した山本の顔には、気負いなどまるで無くて。 くそう、善い顔してやがんな、コイツ。 瞬間、頭に浮かんだ場違いな思考に顔を顰めた。 「ちょ、何言ってんの!?山も……っ!?」 驚いたツナが思わず咳き込みそうになる背中をポンポンと叩きながら、山本はやはり気負いの無い顔で笑って見せる。 「ここで三人固まってたら狙い撃ちされるだけだって」 「だからって、何で!?」 「俺一人なら何とかなるから大丈夫」 「何とか…って……」 「俺さ、オモチャのてっぽーくらいは避けれるんだぜ?小僧に鍛えて貰ったからな!」 「いやいやいや……」 オモチャじゃねえんだよ、バカヤロウ……。 獄寺は苛立ちを放つような短い息を
「ハッ」
と吐き、背中合わせになった山本を振り向かずに低く唸った。 「じゃあ、俺が残る」 「ダメだ」 「何?」 「お前の花火だと、ツナを追っ掛ける奴がいても爆発に紛れて気付かないかもしれねえだろ?……俺の方が確実に、こいつら全員を足止め出来る」 「……っ……なんでっ…テメエは……っ!!」 今迄、太陽の光を浴びて、太陽の方を向いて生きて来たくせに。 何故、裏の世界の理を、裏の世界を立ち回る術を知っているんだ。 「ダメだ、山本!そんなのは絶対に許さな――」 「自惚れんなっ!!」 何時になく厳しい口調のツナの言葉を遮って、吼えた。 「獄寺くん!?」 「テメエ、何様のつもりだっ!?」 山本を振り返り、向こうを見据えたままの背中に向かって、更に吼える。 「よっぽど自信があんだなあ?俺達が足手纏いだって言いたいのか!?それとも、美しき自己犠牲の精神ってヤツか!?……ハッ、ケンコー骨ごときが、いきがってんじゃねえよ!!」 「あのな、獄寺……」 山本が苦笑しながら、頭だけで獄寺を振り返った。 「……っ!!」 その表情が、初めて一瞬、固まる。 「獄寺っ!!」 そして獄寺は、物凄い勢いで山本に引き倒されていた。チリリと、宙に舞った髪の幾筋かが、熱い何に炙られる感触がした。 獄寺の下敷きになって地面に倒れ込んだ山本は背中を激しく打ったらしく、破裂音に似た咳をしながら、しかしなんとか、体勢を立て直して立ち上がろうとする──が。 「ウゴクナ」 十に近い数の銃口は、地面に転がった獄寺と山本を正確に捉えていた。 「……まずいかな、こりゃー」 山本がふうっと息を吐いた。 「ワリー、こんな転んだりしないで、別の避け方出来れば良かったのにな」 「……違ぇだろ」 銃弾に気付き、他人を引っ張り倒して助ける──あの一瞬で、それ以上の何が出来る? 悪いのは、頭に血が上って敵への集中を切らした俺だ。 俺の所為だ。 俺の。 「獄寺くん……山本……」 ツナがフラフラと、獄寺と山本の側にへたり込んだ。懸命だ。個々の離脱が困難になった今、現状を打破するには、三人揃っての一点突破しかない──敵に隙があればの話だが。 隙くらい、作ってやるさ。 獄寺は 「くっ」
と息を飲んだ。 「……十代目……と、野球バカ……」 「何?獄寺くん?」 「俺がチビボムで煙幕を張ります、その隙に……」 「そんな……下手に動いたら、火を点ける前に打たれちゃうよ?」 「弾の一発や二発くらっても、点火くらいは出来ます」 俺はお荷物にはならない。 「何言ってんの、おかしいよ、獄寺くん!?」 「獄寺……?」 なめんな、山本。 俺はお前に護られるつもりはない。 訝しげな表情で覗き込んで来る山本の瞳を睨み付けた。
俺が、お前を、護るんだよ。
心の奥底で強く宣言した。 次の瞬間。 「獄寺、俺はお前に護られなくても大丈夫だ」 「……な!?」 心の内を見透かされ──それを一瞬にして否定されたような衝撃だった。言葉を失って目を見開く獄寺の動揺に、山本は気付いていたのだろうか? いずれにせよ、少年は強がりでは在り得ない表情で力強く頷き、確かに笑って見せた。 「お前が身体張ってまで、ツナと俺と両方を護る必要はないからさ?お前がツナを護ってくれるんなら、俺は俺で何とかするから……な?」 「おま……っ」 瞬間。 山本の腕が跳ね上がった。 「!?!?!?」 途端に弾ける空気の圧縮音、金属が断ち切られる音、金属がバラバラと地面に落ちる音、黒服達が動揺する気配──山本が何時の間にか手にしていた
『山本のバット』
を振り上げて刀に変化させ、飛来した銃弾を一瞬で斬り飛ばしたのだ。 「走れっ!!」 山本が鋭く叫ぶ。 「……っ!!」 獄寺の足は反射的に走り出していた。その後ろにツナ、そして山本が続く──が、黒服達の動揺はすでに収まりつつあった。完全に素手のツナ、まだ得物を見せていない獄寺ではなく、唯一武器を構えた山本に銃口を向け直す。 ヤバイ……っ!! 懐の得物に手を伸ばした獄寺だが、前方に新たな殺気が現れた事に気付き、更に焦りを深くした。まだ姿を現していなかった刺客──だからこそ山本は、ツナを一人で逃がす選択をしなかった。そして獄寺も、それに気付いていた。 だからこそ今、爆薬は後方ではなく前方へ。 護るべきものは──俺はお前に護られなくても大丈夫だ──山本ではない。 「クソッタレェェェッ!!!」 ごぅぅぅんっ!! 爆炎の向こうで、待ち構えていた殺気が吹っ飛んだ。後は爆発の余韻を蹴散らして駆け抜け、この戦場を離れるだけ──だが。 バカヤロー、ケンコー骨が無かったら、右腕は動かねえんだよ……っ!! 獄寺は走る速度が鈍るのを承知で、新たなダイナマイトの導線を引き出しながら後方を振り返った。すぐ後ろを走っていたツナが隣を駆け抜けて、視界が開ける。 「!?」 山本は刀を振り切った体勢のまま動きを止めていた。 山本の超人的な運動能力は、銃撃の第二幕すら斬り飛ばし、或いは避け切ったらしい。だが、次は絶対に斬り切れない、避け切れない、そんな状況──絶対的な危機。 「山本ぉっ!!」 「……行け!!」 「……っ!!」
それでも尚。 お前は俺に護られる事を望まないのか。
獄寺を見据える山本の眼差しは、依存心の欠片すら宿さない。 無表情な黒服達の口元に、微かな嘲りが浮かんだ気がした。 感情の無い指先が、山本の死の引き鉄を絞って行く。
*****
山本武は笑っている。 媚びるでも諂うでもなく、唇は何時でも柔らかな線を描いている。
山本武の瞳は澄んでいる。 惑いも恐れも無く、眼差しは何時でも凛と前を向いている。
同い歳のくせに、何時でも余裕綽々で澄ましているのが気に入らない。 だから、その笑顔に瞳に、無様な恐怖が浮かぶ様を見てみたかった。 そうすれば俺は──。
なのにお前は笑い続けるから。 だったらいっそ、この手で恐怖を刻んでやろうかと。
*****
ひゅんっ!! しなやかで獰猛な何者かが、水銀灯に照らされた大気を切り裂いた。 「ぐあっ!?」 短い悲鳴。 「やま──っ!?」 獄寺は山本の名前を叫ぼうと身を乗り出しかけた──が、悲鳴の主は山本ではなかった。 腕を押さえて蹲ったのは、山本を包囲していた黒服の一人だった。震える左手で押さえた右腕の手首、その先に本来在るべき人体のパーツは、この一瞬で全て消え失せていた。行き場を失った赤い奔流が、ボタボタと地面に落ちて行く。 爪も、指も、掌も、無骨で無粋な凶器ごと。 嘶く跳ね馬が食い千切った。 「ディーノさんっ!?」 「山本、こっちだ!!」 「はい!!」 唖然とする獄寺の目の前で、山本はディーノに向かって跳んだ。次の瞬間、山本がさっきまで立っていた地面が蜂の巣に変わる。 ディーノは山本の腕を掴んで引き寄せると、不敵に笑って鞭を構えた。 「山本、俺の側を離れるなよ?巻き込みたくないからなっ!!」
鞭が一閃した。
「ロマーリオ、すまないが、後片付けは頼む」 「そう思うなら手加減して下さいよ、ボス……掃除だけでも大変ですよ、こりゃ」 「う……」 「ま、いいとこ見せたかったのは解りますがね」 ロマーリオは笑って、部下達にてきぱきと指示を与えて行く。 そんなロマーリオに小さく手を掲げ、ディーノは山本に向き直った。山本の左頬に鋭く奔った赤い線を見て、微かに眉を顰める。避け切れなかった銃弾が掠めたのだろう。 「あんまり無茶しないでくれよ、山本」 伸ばした指先で血糊を拭き取り、そのまま掌で包み込むように頬を撫でた。 「何時でも護ってやれるわけじゃないんだからな」 「でも、来てくれた」 「次は解らないだろ?」 「大丈夫、その時は自分で何とかしますから……だから今日は、これで十分」 山本がニコリと笑って、ディーノはそれに微苦笑で返す。 「なら、護れるチャンスには全力で護りに行くよ」 「ん!よろしく!!」
獄寺はそれを、少し離れた場所から眺めていた。 ディーノが差し伸べた手に、山本が躊躇いなく飛び込む──たった一瞬の光景が、頭から離れない。たった一瞬の光景を、何度も何度も繰り返す。 何で素直に
「よろしく」
だよ……俺に護られる事は拒んだくせに……!! 胃袋の底がジリジリと焼けるような感触に吐き気がした。 むかむかむかむか。 それは胃袋を真っ黒に焦がし尽くし、更には肺胞を、心を、浸食して行く。
そして。 熱を閉ざした。
「獄寺くん……?」 「どうかしましたか?」 獄寺は笑った。 何処か窺うようなツナを振り返り、ツナのカバンの土埃をパンパンと払う。 「十代目、ご自宅までお送りします」 「え?…あ、うん……ありがとう……でも、山本は?」 「あんなんだし、大丈夫でしょう?」 獄寺が指差した先で、山本はロマーリオの
『男の治療』
中だった。大袈裟に巻き付けられた包帯の下から、明るく笑う声が聞こえて来る。 「そうだね」 ツナは優しい苦笑を浮かべながら、先に歩き出していた獄寺の背中を追って来た。 「ディーノさんってやっぱりカッコ良いよね」 「あんなヘナチョコのどこがっすか」 ツナの言葉に悪態で返す獄寺は、平静過ぎる程冷静だった。
*****
「どうしたんだろ、山本……もう三日も家に帰ってないって……」 「もしかすると、ファミリーの抗争に巻き込まれたのかもしれません」 「……え!?」 「もしそうだとしたら、そこらに知られるわけには行きませんから……山本の親父には、俺の家で夏休みの宿題の合宿中とでも言っときましょう」 「う、うん……でも…もし、誘拐とかだったら……」 「いや、大人しく誘拐されるようなヤツじゃないでしょう?」 「でも、ほら、誘拐犯の身の上話に同情して着いて行っちゃったりとか……」 「…………」 「有りそうじゃない?」 「……あー、まあ……誘拐でもマフィア絡みでも、ディーノのヤツがどうにでもしますよ」 「そっか、ディーノさんが調べてくれるなら……」 「俺達はしばらく様子を見ましょう」
少し安心した様子のツナの声に、心苦しさと──微かな優越感を感じながら、獄寺は視線の先に横たわる肢体を、踵でゴロリと転がした。 「ん……」 微かに漏れた声が届いたのか、携帯の向こうでツナが首を傾げたようだった。 「獄寺くん、誰かいるの?」 「いや、テレビですよ」 平然と応え、
「じゃあ、山本ん家への連絡はお願いします」
と頼んで、通話を切った。 「心配するだけ無駄ですよ、十代目……こんなヤツ」 この少年はきっとツナにも、護られる事を望まない。心配すればするだけ、護りたいと願えば願うだけ、その想いは行き場を失くして消えて行く──想いの宿主の心を酷く優しく傷付けながら。 携帯をベッドの隅に投げると苦々しく呟き、足先の肢体を今度は強く蹴り付けた。 「おら、起きろ、メシだ」 コンビニの袋を頭の上にガサリと乗せてやると、袋の中のペットボトルの冷たさに触れたのか、少年が心地良さそうな溜息を漏らして薄っすらと瞼を持ち上げた。長い睫毛の隙間から、枯葉色の瞳が覗く。 「???……ああ、おかえり、獄寺」 そして山本武は、仏頂面した獄寺を見つけて、笑った。山本はきっと、冤罪で閻魔に裁かれるような事があっても、こんな顔で笑うのだろう。 欠伸をしながらぐっと伸びをする山本の手首で、銀色の手錠が光った。喉元に巻き付く黒革の首輪から伸びる鈍色の鎖が、ジャラリと重い音を立てる。同じような鎖付きの革帯を嵌められた右足首は胡坐を掻くのに向かないようだ。山本は床に横座りになって、獄寺がコンビニの袋からピラフや調理パンを取り出すのをワクワクした顔で眺めている。 「……カレーまんは俺のだからな」 「え?一個しかなかったのか?」 山本は残念そうに眉を顰めたが、しかし、駄々を捏ねるような事はしなかった。 「ま、いっか」 軽く呟いた後、至極当然のように、獄寺に向かって顔を突き出した。 「ん」 口をカパッと開くと、虫歯一本無い見事な歯列が覗く。 「…………」 獄寺は複雑な表情を浮かべながら、親鳥に餌を強請るヒナ鳥みたいなその口に、ピラフを山盛りにしたスプーンを押し込んでやった。パクリと食い付く山本の唇がプラスチックのスプーンを挟み込んだのを確めてから、ゆっくりと引く。ピラフだけが残された口をモグモグさせながら、山本が満足そうに笑う。 こんなハズじゃなかった。 獄寺は自嘲の溜息を吐きながら、次の餌をくれと強請るヒナ鳥に、ドレッシング前のサラダのレタスを与えてやった。
ツナの心を痛めている山本誘拐事件の犯人は獄寺だ。三日前、山本を部屋に連れ込んで拘束した。 誘拐に至る迄の苦悩を綴った身の上話は必要無くて、家に遊びに来いと言ったら 「珍しいのなー」 と、嬉しそうにひょいひょい着いて来た。部屋の片隅に積んであった 『DANGER』
の刻印入り火薬箱を珍しそうに眺めていた後頭部を思いっきり殴り飛ばし、昏倒した長身に苦労しながら、手錠と首輪と足枷を嵌めた。 そこまでは予定通りだったのに。 医療用テープで両手をグルグル巻きにしたのがいけなかったのかもしれない──いや、そもそも相手が山本だという時点で、ある程度の予測はしていたのだが。 昏倒からそのまま熟睡に以降したらしく、獄寺が思ったよりも長い時間沈黙を続けていた山本は、陽が暮れてから更に数時間してやっと、目を覚ました。蛍光灯の光に瞳を瞬かせながら、頭上から覗き込む獄寺を確認する。 「獄寺?」 「……よお」 「……これって、ナントカプレイってヤツ?」 「プレイじゃねえよ、歴とした監禁だ」 「ああ、そうなのか」 「……そうなのか、じゃねえだろ」 おいおい、そんな軽くて良いのかよ。 監禁した本人ですら、この後の山本の身の安否を気遣いたくもなる。 そんな獄寺の心も知らず。 山本は獄寺の言葉を信じているのかいないのか──或いは、獄寺の言葉以上に獄寺を信じているのか──軽い調子で頷いた後は、中途半端に終わってしまった獄寺の部屋の観察を続けるように、キョロキョロと辺りを見回していた。 山本の思考回路は理解不能だ。しかしこれはまだまだ、ちょっとした誤差の範囲内の事で。 だから獄寺は、この後に山本が発するであろう言葉を信じて待っていた。それはけして獄寺の想像力が豊か過ぎたワケではなく、とても平凡で、成り行き上当然と言える言葉のはずだった──が。 「なあ、獄寺」 「何だ?」 「腹減った」 「は?」 「俺、部活の後から何も食ってねーんだ」 「……はぁ?」 山本は緊張感の無い台詞で、獄寺が密かに腹に括っていた覚悟を台無しにした。事前から丁寧に、キリキリと腹を痛める程に張り詰めていた緊張の糸が、容赦無く断たれて行く。獄寺はしばらく力が抜ける思いで、空腹を訴える虜囚を眺めていた。 それでも獄寺は、腹を空かせているヤツに飯を与えないわけには行かないと、何処ぞの海賊船のコックみたいな使命感に導かれ、レトルトカレーの皿をテーブルの上に置いた。すると山本が、困ったように呟く。 「食えねえ」 「……監禁されてる身分で好き嫌いかよ」 呆れ顔で溜息を吐いた獄寺に山本は首を振り、手錠とテープでガチガチに固められた手を顔の前に掲げて見せた。 「違う違う。手がほら、こんなんだから」 「……ああ」 獄寺の中に一瞬、陵辱の狂気が浮かぶ。 「ばぁか、折角首輪まで付けてんだ、犬みてえに這い蹲って食えよ」 四つ這いになった山本の頭を踏み付け、床に敷いた皿に押し付ける。首の鎖を強引に引き上げて、苦悶に歪む顔が仰け反る様を眺めるのも良い。オアズケのまま放置して、
「クンクン」
と鼻先で媚びるように鳴かせてやりたい。 だが、獄寺が暗い誘惑を行動に移す為の時間を、山本は与えてはくれない。 「獄寺が食わせてくれよ。ほら、あーん」 「……甘えてんじゃねえ」 甘えるな、だけど、喫茶店で周囲に不快感をばら撒く恋人同士みたいに口を開けられたら。 それから、山本の口にせっせと食事を運ぶのは、この三日間の獄寺の日課になっていた。
コンビニに一つだけ残っていたカレーまんに食い付く。山本の瞳に微かな羨望の色が宿ったのを見て、獄寺は他愛もない優越感に浸った。不本意な現状への、小さな小さな報復だ。 この三日間で獄寺は、
『監禁』 というのはただ、鎖に繋いで部屋から出られなくする、それだけを示す単語でしかない事を思い知った。試しに辞書を引いてみれば、成る程確かに、
『自由に行動させず、一定の場所に押し込めておくこと』
と書いてある。今迄、それはもっと薄暗くて陰湿な意味を持つ事なのだと勘違いしていた。 その勘違いは、獄寺が世間に無知を恥じる程的外れなものではない、が、少なくとも“山本武”という標的に対して当て嵌められるものではなかった。床に敷かれた布団とマットが剥き出しになったベッドが、それを象徴している。 最初の日の夜、食事を終えた山本は
(実は某教育番組のように、歯磨きも獄寺が世話してやった)、当然のように獄寺のベッドによじ登って来た。 「……何してやがる」 「へ?だって、布団、これっきゃねえじゃん?」 「一緒に寝られるわけ……寝るわけねえだろ!ボケ!!」 「でも、他に寝る場所ないだろ?」 「……っ……だあ〜〜〜〜〜っ!!布団やるから!ホラ!床で寝ろ!!」 そして獄寺は、硬いマットの上に直接寝転がって眠る生活を余儀無くされた。 自分のテリトリーに引き摺り込めば山本をコントロール出来ると思ったのは大間違いだった。結局自分は山本のペースに翻弄され、抗えないでいる。 山本に支配されているわけではない。ただ、山本の領域を犯せない臆病者なだけ。一度は決めた覚悟を、山本が蹴散らしてしまったからだ。 こんなハズじゃなかった。 咥えた煙草を歯先でイライラと揺らしながら、獄寺は携帯を睨んだ。 まだかよ……このままじゃ、持たねえよ……。 銀の装飾を施したメタル・ブラックの携帯電話は、息を潜めて沈黙を続けている。
*****
「……何だと?」 「本体が何処に在るのか、それはまだ解らないんだけど……潜り込んだ鼠くんの話を信じるなら、そういうコト。あの鼠くんは最近オイタが過ぎて立場が危ないから、ガセネタばら撒いてる余裕は無いと思うけど」 「血染めの暴れ馬は……動くのか?」 「更に血塗れになるのを承知で?……あのボーヤ達が持ってるのは、あの一件だけの情報。もし鼠くんの情報を手に入れたとしても、今はまだ動く価値は無いでしょうね」 「動く価値……」 「ま、少なくとも、アンタのボスに危険は無いワケだし……アンタだって動く理由はないんじゃないの?」 「動く理由……」
朝方、髭が浮き出した顎を気にしながら、マリエッタ姉さんは気の無い吐息を吐いた。 マニキュアが剥がれかけた指の間で揺れる煙草を眺めながら、獄寺は彼女の言葉を頭の中で繰り返す。 動く価値と動く理由。 それは酷く単純な事でも構わないのだろうか。
*****
五日目の朝。 携帯が鳴った。獄寺はまだ薄暗い部屋の中で、着信画面も確めずに通話ボタンを押す。 「…… …… ……
……」 回線の向こうで、意味を成さない言葉の羅列が訥々と紡がれる。 「……!!」 半寝状態だった獄寺はの頭は一瞬で覚醒し、無意味な言葉の羅列に不可解な言葉で短く応えた。相手の緊張が微かに緩む気配がして、次の瞬間、低く早口なイタリア語で一気に捲くし立てられる。獄寺はそれらを正確に聞き取り、相槌を打ち、時折質問を投げ掛けながら、最後に
「オケィ」
と呟いて回線を切った。 「……やっとか」 深い息を吐いた瞬間、カーテンの隙間から朝日が差し込んだのはただの偶然なのだろうが──獄寺にはそれが、神様の皮肉のように思えた。カーテンの向こうに広がる明るい世界を嘲笑うように、低い声で呟く。 「今日の日本は全国的に晴れ、一部で曇り、所によって──」 チノ、アメガ、フルデショウ。 ククッと喉を鳴らしながら、煙草を求めてベッド脇のテーブルに手を伸ばす。それを妨害するようにまた、携帯の呼び出し音が鳴った。チッと舌打ち一つ、今度は着信画面を確めて──思わず、唇をニヤリと歪ませた。 通話ボタンを押す。 「ヘナチョコ、何だよ、こんな時間に………………ああ、そうだ……あぁ?…………いや、必要ねえよ。今からアンタんトコに行くつもりだったから──っ!?」 電話の相手にぶっきらぼうな応答をしながら、獄寺は唐突にギクリと身体を竦ませた。眠っていると思っていた山本が、床に敷いた布団の上に座り込んで獄寺を見つめている。キラキラ輝く枯葉色の瞳は、
「電話を代わってくれ」
と、如実に語り掛けていた。 「…………」 しかし獄寺は、その視線を乱暴に振り切った。 『おい、どうかしたのか?』 回線の向こうの相手が、一瞬黙り込んだ獄寺の変化に気付いたのか、声をかけて来る。ヘナチョコのクセに勘の良い男だ。 「……あー、何でもねえ」 獄寺はその追及を適当にかわすと、通話を切った──途端、非難の眼差しが注がれる。 「今の、ディーノさんだろ?」 「ああ」 「何で変わってくれねえんだよ。久々に話せると思ったのに」 ディーノと話がしたい。 それは、この監禁生活で初めて山本が見せた、小さな我侭。 獄寺の中に、五日前に霧散したはずの覚悟の欠片が舞い戻って来る。 「……テメエ、自分の立場、解ってんのか?」 「立場?」 「初っ端にも言ったよな?……テメエは俺に監禁されてんだよ」 「監禁、か……なあ、獄寺?」 山本が、ふと思い出したように首を傾げる。 「そういやお前、何で俺を監禁なんかしたんだ?」 「……っ!!」 それを今更聞くのか。 五日前、お前がそれを口にしていれば、俺はこんなに苦しまずに済んだのに。お前を犬のように扱う暴君の体裁を設える事が出来たのに──そうなる覚悟は、出来ていたのに。 「……っ…ざけんじゃねえ……っ!!」 ガッ!! 山本の頬を拳で殴り飛ばした。加減無く、力一杯。不意を突かれた山本の身体が、座り込んだ布団の上で大きく揺らぐ。ガラ空きの腹に更に強烈な、体重を乗せた一撃を叩き込む。 「……っが……ア……」 山本はシーツに頬擦りするように倒れ込み、込み上げる嘔吐感に耐えて身体を震わせる。ヒューヒューと風を切る喉元を左手で押さえ込むと、身体を仰向けにして馬乗りになり、右の平手でバシバシと頬を殴った。右、左、交互に何度も。 「何で?じゃねえよ、ムカつくんだよ…っ!!……テメエは何時も一人で澄ましてやがって…っ……泣けよ…喚けよ…っ……無様に悲鳴上げて叫んでみろよ……っ!!」 「ご、く…寺……っ!?」 「……ディーノと話してどうするつもりだったんだ?……俺に監禁されてるから、ディーノさん助けて!……なんつってなあ?そうやって媚びるつもりだったのか?」 「なっ!?…待て、よ……俺、そんな……」 「うるせえ!!」 山本の胸倉を掴んで、ギラギラした灰緑の瞳で睨み付けた。山本の枯葉色の瞳に、微かな動揺が浮かぶ。 戸惑う身体を引き摺り上げてベッドに叩き付けると、山本の首から伸びた鎖が、スプリングの硬いマットの上で銀色の蛇みたいに、ジャラジャラと断末魔の叫びを上げてのたくった。 なのにそれでも、山本は──。 「……!?……っ…何でだよ!!……何で、俺には…笑うんだよ……こんな事されても……」 きつく握り締めたシャツが千切れそうな勢いで、山本の上体を揺さぶる。叩き付ける。 「なあ…ごく、で、ら……俺……っ」 山本の言葉は、首に絡めた両手に力を込めて圧し殺す。 「……っか……は…ご、く……っ」 まだ何か喋ろうとする山本に焦れて、首を握る手に更に力を込める。 「ばぁか……違えんだよ……」 そんな言葉はいらねえんだよ。 欲しい言葉はそんなんじゃねえ。 俺が欲しい言葉は。
「助けて下さいって言えよ……っ!!」
無様な恐怖を浮かべて助けを請えよ。 そうすれば俺は、お前を護るチャンスを得る事が出来るから。
だけどお前は笑い続けるから。 だったらいっそ、この手で恐怖を刻んでやろうかと。
*****
獄寺の慟哭が、耳鳴りのように頭の中で響いている。 山本は
「ごめん」
と呟いて、遠退く意識に縋る手を放棄した。
*****
「──と……ま、もと……山本」 誰かが呼ぶ声がする。 山本は混濁した意識の中で、ずっと頭の中で響き続けていた声の主の名前を唇に乗せた。 「……ご、くでら?」 「残念、ハズレ」 「……ディーノさん?」 薄っすらと開いた視線の先で山本を覗き込んでいるのは、緩く波打つ金髪と薄茶色の瞳を持つ美貌の青年──跳ね馬のディーノは、山本が即座に名前を訂正すると、安心したように笑った。 「良かった、脳への酸素は心配無さそうだ」 ディーノは山本の頭をポンポンと弾むように撫ぜた後、山本の手に巻き付けられたテープを丁寧に剥がして行く。弱粘性の医療用テープなので、粘着料が肌に残る事もほとんどなく、山本の指先は程無く自由になった。 次にディーノは、ポケットから小さな鍵を三つ取り出した。先ずは手錠から、一つ目の鍵を差し込み、それでは合わないと知って二つ目を差し込む。今度は外れた。満足そうに頷いて、引き続き足枷に取り掛かる。 「…………」 「……ああ、これ?」 手際良く作業を進めていたディーノだったが、しかしやがて、鍵に絡まる山本の不思議そうな視線に気付き、肩を竦めて微苦笑した。 「さっき、スモーキン・ボムがウチの事務所に来て置いてった」 「獄寺が?」 「うん、俺達が嗅ぎ付けるのが遅いって怒られたよ」 俺達もかなり必死だったんだけどなあ。 疲れたサラリーマンみたいな口調でぼやきながら、その間にも山本の足枷と首輪の鍵をカチャカチャと外して行く。先刻の立ち回りの際に首輪の装飾が少し肌を傷付けたらしく、ディーノは殊更丁寧に、黒革と金属の輪を山本から取り除く。 そして山本は、五日ぶりに自由の身になった──実際には、山本にとってそれは、特別に自由を感じる出来事でもなかったのだが。 本当に自由になったと感じているのは、今何処かにいる獄寺の方なのかもしれない。 久しぶりに見た自分の指を無意識に曲げ伸ばししながら、山本はふと、そんな事を思う。 本当は気付いていたのだ。この五日間、獄寺が何処か窮屈そうな顔で山本を見つめていたのを。だけどその理由が解らなくて、ただ、山本は山本である事しか出来なかった。獄寺に何もしてやれなかった──あの瞬間までは。 俺を殴りたかったのかな? いや、どうも違う気がする。 山本は首を捻った。 「……獄寺は?」 山本がディーノに視線を向けると、ディーノは何故か曖昧に笑い、手の中で弄んでいた拘束具を床に放り投げた。 「喧嘩しに行った」 「誰と?」 「イタリアン・マッド・モンスター」 何処か茶化すようなディーノの口調に、しかし、山本が誤魔化される事はない。 「……ヤバいヤツなのか?」 「まあ、結構ね」 イタリアン・マフィアの世界でも、異端として扱われるファミリーが存在する。狂気染みた研究を好む科学者ばかりが集まった、いわゆるマッド・サイエンティストの集団だ。とはいえ、変にちょっかいを出したりしなければ、彼等は自己の探究心を満たす為の研究に没頭しているだけなので
(合法・非合法の論議は、マフィアの世界では無意味だ)
、大して害は無いはずだった。 しかし最近、そんな狂科学者達に厄介な依頼を持ち込む組織が現れた。裏の世界の中でも特に、非合法、非人道、非倫理、非道徳、そんな部分ばかりを寄せ集めたような組織の通称は、愛想も捻りも無くただ、
『モンスター』
──それが、今回の事の発端だった。 山本相手にそんな背景を説明してやるワケにも行かないので、ディーノはまた、曖昧な微笑で誤魔化そうとする──が、山本が急にベッドから飛び降りようとしたので、慌ててその身体を押し留めた。 「どうしたんだ!?」 「助っ人。そんなヤバいのに、獄寺一人で行ったんだろ?」 制止する腕を振り払って飛び出そうとする山本を、ディーノが諌める。 「バカ、アイツの気持ちも考えてやれよ」 「……っ!!」 途端、山本の身体から力が抜け落ちた。余りにも呆気無く。 「や…山本……?」 少々強い声音だったのは確かだが、落ち込む程酷く怒鳴り付けたつもりはない。山本を落ち込ませたりなんか、絶対にしたくないのに──ヘタレ・ディーノが顔を覗かせる。 しかし山本はそんなヘタレにも、頼るような視線を簡単に投げてくれる。 「なあ、ディーノさん……獄寺の気持ちって、なんだろ?」 「……え?」 「解んねえんだ……何で獄寺は、俺を監禁なんかしたんだろ?」 五日間、全く気にもしなかったクセに、自分が何気無く放った一言で豹変した獄寺を思い出して、それこそが獄寺にとって大切な事だったのだと気が付いた。けど。気付いてはみても、獄寺が自分を監禁するだけの価値が、理由が、全く解らない。 心底困惑している様子の山本から、山本が行方不明になってからの──獄寺に監禁されてからの──少年達の五日間がクッキリと伝わって来たから、ディーノは少しだけ獄寺に同情するような溜息を吐いた。 「……護りたかったんだよ」 「……???」 山本が首を傾げる。 「ちょっと前、お前達三人、襲撃された事があっただろ?」 「ああ、うん」 「あれ、狙われてたのはツナじゃなくて、お前」 「……え?」 それがどんな研究で、彼等がどんな成果を望んでいたのか、それはまだ解らない。狂人と怪物が手を組んだのだから、通常の思考で理解するには、恐ろしく時間がかかるのだろう。 ただ、彼等が
『雨の属性』 を持つ人間を掻き集めていた事は確かだ。彼等は生死に関わらず、強い 『雨』
の波動を帯びた人間を世界中で狩っていた。例の件で回収した、組織の殺し屋達の遺体全てから微弱な 『雨』
の波動が検出された事は、今後の展開に関わって来るのだろうか。 獄寺はそれを偶然か必然か、独自の情報ルートで知ったらしい。同時に、山本が 『雨』
の波動を、眩しい程の強さで宿している事も知った──組織が存在し続ける限り、これからも山本を狙い続けるだろう事も。 これもやっぱり、山本には言えないけれど。 「アイツはお前が危ない目に遭うと知ったから、だから、護りたかったんだよ」 だけどせめて、不器用なりに必死だった獄寺の、価値と理由くらいは伝えてやろう──実は酷く単純な事なのだけれど。 動く価値と動く理由、それはただ、山本を護りたい、それだけの事。 それはまるで、自らの爪で姫君を傷付けてでも護りたがる獣のような、拙く不器用な優しさだった。 だから、悪魔から姫君を護る為に、檻の中に閉じ込めた。 だから、未来の姫君を護る為に、悪魔を倒しに行った。 「護りたい相手が自分を護る為に危険に飛び込んで来るなんて、本末転倒だろ?」 「……何で?…だって……俺、獄寺に護られなくても……」 「山本、強いとか弱いとか、そういう事じゃないんだよ」 「……じゃあ、何で?」 「オスの本能、かな」 ディーノは眉を聳やかして笑い、山本はやっぱりまだ不可解だと言いたげな表情でディーノを見た。 そんな山本にディーノは、少しだけ獄寺に対する優越感を含ませたヒントを与えてやる。 「山本は、俺には護らせてくれるよな?危ない時には助けてって、手を伸ばすよな?」 「うん」 「俺は山本よりそんなに強いか?俺以外は山本よりもそんなに弱い?」 「……違う……そんな事、ない」 「じゃあ、どうしてだ?」 「……え?」 「答え、それは、メスの本能だから」 「???」 「後は頑張って考えろよ?」 「え……ええと?」 眉を顰めて考え込んでいる思考を煩わせないように、ディーノは山本の身体をひょいと横抱きにして立ち上がった。 「オス?……メス?」 山本は自分の身体が持ち上がった事にも気付かない様子で、唇を尖らせながらブツブツと呟いている。その集中力の源みたいな眉間の皺に軽くキスを落して、ディーノはゆっくりと出口に向った。
玄関扉の前で振り返ると、薄暗い廊下の向こうに、光が差し込む部屋が見える。 カーテンとテレビとガラスのテーブル、危険物の箱とヘヴィメタのCD、コンビニ弁当の殻が詰まったゴミ袋、マットが剥き出しになったベッド、床に敷かれた布団、革と鎖の拘束具──それが、獄寺が山本の為に拵えた監獄だった。 ディーノは悼むように丁寧な一礼をしてから、外の世界に向かう扉を潜った。 金属が軋む音を立てて扉が閉まり、オートロックが作動する。
そして、優しい監獄は。 主不在のまま静かに、役目を終えて眠りに就いた。
Fin
2008.10.19 雪童翁
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こちらの小説は、以前雪童さんに個人的にリクエストしていた獄山監禁を書いていただいたりした戦利品だったりします(えへ!)本当にこんな素晴らしい小説をありがとうございますー!!リクする際に色々な注文(本当にすみません!!)をさせていただいたりしたのですが、獄→山で痛い系上等!監禁で獄寺が雲雀かディーノか野球部先輩に嫉妬!みたいな本当に無茶な事ばかり言ってたんですが、全てを全部拾って盛り込んでくださって…(ほろ)本当に雪童さん凄すぎます!!
獄寺の山本に対する苛立ちや山本の監禁されてからの獄寺に対する接し方や…もうもう、たまらなく萌えました!!山本も獄寺を信じてるからこそ監禁されてもいつもの山本で居る事が出来たといいますか!そして、獄寺のもどかしさが、本当にたまらなかったです。
そして、こちらの小説のタイトルをつけてください…と雪童さんから仰っていただいたので、自分のなけなしの脳みそを使うよりは、こちらの小説の一文から頂いた方がいいだろう…と思いまして、自分的に印象に残ってます「優しい監獄」と勝手につけさせていただきました。だ…大丈夫だった…でしょうか!?
このたびは、本当に素敵な小説をありがとうございました!
そして、色々無茶ばかりすみませんでした。
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