法句譬喩経 無常品 第一
第一話
昔、帝釈天はその命も尽きて、天人の五種の特徴(五徳)も失うばかりか、次には陶器を作る家の驢馬(ろば)に生まれ変わるであろうことを自ら知って憂いておりました。そして、「この三界の中に人の苦しみを済(すく)うのは、唯(ただ)仏のみである」と考えた帝釈天は、直ちに釈尊(しゃくそん)の下に駆け込んだのです。
その時、釈尊は霊鷲山(りょうじゅうせん)の石室の中で、広く衆生を救済する三昧に入っておられました。帝釈天は、釈尊を仰ぎ見ると頭を地に付けて、心に偽りなく仏・法・僧の三宝に三度帰命(きみょう)しました。ところが、その礼拝が終わる間もなく、帝釈天は陶器を作る家の驢馬(ろば)の腹の中に、生まれ変わってしまったのです。
ある時、帝釈天が生まれ変わって腹の中にいる母驢馬は、繋がれていた縄を自ら解いて走り回り、陶器を悉(ことごと)く壊してしまいました。家の主人は怒って驢馬を強く打ちましたが、そのために驢馬の腹の中の子も直ぐに死んでしまいます。すると、その魂は本の身に還って再び五徳を備えた帝釈天となったのでした。
釈尊は三昧から覚(さ)めると、帝釈天を讃めてこう言われました。
「善きかな、帝釈。よくぞ命を落とす際に三宝に帰命し、罪の報いを終わらせ、そして苦しみを除くことを得た。」
釈尊は、偈(げ)を以て次のように言われました。
一切の形ある現象は無常なり これ興(おこ)っては衰える法(ことわり)なり
それ生じれば即ち死す このことを滅することを楽となす
譬えば陶器を作る家が 土を捏(こ)ねて器を作ったとしても
一切は必ず壊れるが如しである 人の命もまた然りなり
帝釈天は偈を聞いて、歓喜してこれを受け給わりました。無常なるは何かを知り、罪と徳の報いが因果の道理によることに通達し、興っては衰える原因を理解し、そして煩悩や迷いの消えた静寂な悟りの境地に至る修行に従ったとのことです。
第二話
昔、釈尊が舎衛城(しゃえいじょう)の精舎において法を説いている時のことでありました。(舎衛城=コーサラ国の首都)
コーサラ国の波斯匿(はしのく)王は、年老い重病となった夫人を医薬を尽くさして看病させておりましたが、遂に亡くなり、悲しみのうちに夫人を葬送しました。そして、その帰途に釈尊の下を訪れました。仏の足を礼して事の次第を告げた波斯匿王に、釈尊は云われました。
「古(いにしえ)より今に至るまで、四つの大なる畏(おそ)れがある。それは、生じれば則(すなわ)ち老いて枯れ、病(や)めばその光沢は無くなり、死すれば則ち魂は去って親族とも別れなければならないことである。一切のものは無常にして、日一日として過ぎ去るものであり、恒久であることを得るのは難しい。大河の流れが昼夜息(や)むことが無きが如く、人の命の速く過ぎ去ることも、また是の如しである。」
釈尊は、偈(げ)を説いて言われました。
河の流れは速く 往(ゆ)きて返らざるが如く
人の命も是の如し 逝(ゆ)く者は還(かえ)らず
「大王よ、この世に長く存する者は無く、皆な死に帰するのであり、これを脱(のが)れる者は無い。かってこの世に現われた王であれ、諸仏であれ、阿羅漢(あらかん)であれ、五つの神通力を持つ仙人であれ、皆な身体を損ない、そして過ぎ去ったのである。
しかしながら大王よ、孝行な子の如くとなって、亡き者の霊をまつることは善(よ)きことである。仏道に於いて退転することなく、天界と人界を往来して、後に悟りを得る流れに入れるような善き行いの功徳を亡き者へ回向(えこう)することは、遠き人に食物を施するが如しである。」
釈尊がこのように説かれた時、王及び群臣は歓喜し、憂いを忘れ、そして患(わずら)いを除きました。また、ここに来たりし一切の者が、仏道に於いて不退転となったとのことです。
第三話
釈尊が弟子達と共に王舎城(おうしゃじょう)に入り、そして人々の請(こ)いを受けて説法を終え、夕方に都城を出て帰る時のことでありました。(王舎城=マガダ国の首都)
放牧されていた肥えた牛の群れが、駆り立てられ、踊り跳ね、互いに角で突き合いながら、都城に戻って来ました。この様子を見て、釈尊は偈を説いて次のように言われました。
譬えば 杖を操りて放牧し 牛に食せしむるが如く
人の身の老と死も同様である 長生を図っては またこの世を去る
幾千人の男女の 誰一人として
財産を貯えようとも 老いず死せざる者は無し
生ある者は日夜に その命を自ら攻め削り
寿命の尽きること 葉の上の雫(しずく)の如し
精舎に帰って坐する釈尊に、阿難(あなん)は礼を為(な)して、その偈の意義を説いて教化されることを願いました。釈尊は、阿難に語りました。
「汝よ、駆り立てられ、放牧される牛の群れを見たであろう。彼の牛の群れは、本より千頭あったのである。屠殺を営む者は、日々人を遣(つか)わして、牛の群れを都城より駆り出し、よき水草を求めてはこれを養い、肥えさすのである。そして肥えたものを選んでは、これを牽(ひ)きて殺すのである。殺される牛のあることも、やがては半分の数になったことも、他の牛は覚ることがない。なお依然として、互いに角を突き合わせ、躍(おど)りあがり、鳴き声を上げているのである。その無智を憐(あわ)れむが故に、私は偈を説いたのである。
これは何ぞ、牛のみのことではない。世の人々も、また同じである。自我に執着して、我が身の常(つね)には非(あら)ざることを知らず、五欲を満たしてその身を養い、快楽を得たかと思えば、互いを傷つけ合っているのである。前世の行為による報いの、にわかに死として現われることを知らず覚(さと)らず者は、彼の牛と何ら異なることはないのである。」
この法が釈尊によって説かれた時、そこには貪欲(とんよく)で身を養う比丘(びく・僧侶)二百人ばかりが居りました。彼等は皆懺悔し、自ら励んで六神通力を得、修行を極めて阿羅漢となったとのことです。
第四話
昔、釈尊が王舎城の霊鷲山に居られた時のことでした。
町に「蓮華」と言う、容姿端正なること比類なき遊女がおりました。大臣の師弟等の多くが彼女を訪ねては、大変に尊重していたとのことです。
ある時、蓮華には菩提心が自ずから生じるのを感じ、そして世間の煩わしい事を捨てて比丘尼(尼僧)になろうと考え、釈尊の居られる山中に入っていきました。(菩提心=悟りを得たいとの願い)
ところが、途中の泉にて、水を飲み手を濯いだ蓮華は、水面に映る自らの美しき容姿を見て思いました。「折角、このような美しき者としてこの世に生まれ、何故に自らを棄てて出家修行者となる必要があろうか。しばらくは、時に順いて、思いのままに快く生活するべきではなかろうか。」蓮華は、このように思うと、その場より帰ってしまいました。
今、当に教化して救わねばならぬ時と知った釈尊は、蓮華にも数段勝る絶世の美女を創り出すと、蓮華の下へ遣わしたのでした。道の向こうより来た彼女を見た蓮華は、すぐさまにその優しさと思いやりを感じ得て、声を掛けずにはおれませんでした。そして「我が家にいらっしゃって、語り合いませんか。とても気持ちの良い泉があるのですよ。」との彼女の誘いを、蓮華は快く受けたのでした。
彼女の家を一緒に訪れ、そして泉のほとりで、二人は共に語り明かしましておりましたが、やがて彼女は蓮華の膝を枕として眠ってしまいました。すると、暫くの間も経ずして彼女の命は絶え、膨れあがり腐敗し、潰れた腹からは虫が湧き出し、そして歯は落ち髪は堕ち、その身体は崩れ去ったのでした。
蓮華は、この有様に驚き怖れ思いました。「嗚呼何故に、このように美しき人が忽ちに無常なる死を遂げたのであろうか。今当に、釈尊の下に詣りて、精進して道を学ばねばならぬ」と。
仏を敬い礼を捧げて、事の次第を問う蓮華に、釈尊は答えて告げました。「人には、願っても逃れ得ることの出来ないことが四つある。一つは、若く美しくあっても、必ず老いのあることである。二つには、強健であっても、必ず死のあることである。三には、親族の仲睦まじき喜び楽しんでも、必ず別離のあることである。四には、財産を集め蓄えていても、必ず分れ散じてしまうことである。」
釈尊は偈を説いて言われました。
老いれば容色衰え 病めば自ずから壊れ
形 崩れて腐り果てる 命の終わること それ然りなり
その身は何の為にあるのか 常に臭きを放ち
病の為に苦しめられ 老死の憂いあり
欲を嗜(たしな)み 自ら恣(ほしいまま)なれば
法(=規範)に非ざること これ増すなり
因果の道理を見聞せず その寿命は無常なり
子あるも恃(たの)むところに非ず 父も兄も然りなり
死に迫られれば 親も恃むべきことなし
蓮華は、釈尊の法(おしえ)の意味を了解して喜びを現わしました。「この身は、仮の存在の如くであって、その命が久しく停(とど)まることはありませぬ。ただ、仏道への徳のみが、生死を超えた涅槃に永く安らぎを得さしめることでありましょう。」
蓮華が仏の前に進みて、比丘尼になることを願うと、「善きかな」と釈尊は答えられました。比丘尼となった蓮華は、心を外界や想念に動かされず静止すること、そして対象を正しい智慧を以て観察することを得て、敬われるべき聖者となったとのことです。
第五話
昔、釈尊が王舎城の竹林精舎に在って、法を説いている時のことでありました。
五つの神通力を得た四人兄弟のバラモン僧がおりました。各々は、その神通力によって自らの命が後(あと)七日しかないことを知りましたが、「この五神通力をもってすれば、天地をひっくり返し、手に日月を掴(つか)み、山を移し、河の流れを留めるなど、我々に出来ないことはないのだ。どうして、この死を避けることが出来ないはずがあろうか。」と考えました。
彼等は、「我は大海の中に」「我は須弥山(しゅみせん)の中に」「我は虚空の中に」「我は市中に」と、死をもたらす殺鬼に居所を知られないように神通力を以て隠れることを決めました。そして、彼等が仕えていた王に「我等は、後七日である死を逃れて、再び王に見参致します。どうか、その時には我等に功徳をなされますように。」と言って、その場を去っていったのです。(須弥山=世界の中心にある巨大な山)
七日が経ち、市中に隠れたバラモンが死んだことの報告を受けた王は、「他の三人の内、一人でも死を逃れ得た者があるのだろうか。」と考えると、馬を走らせて釈尊の下を訪れました。
礼を為して問う王に、釈尊は告げられました。
「人が離れることの得ない四つのことがある。一つには、人は生死を繰り返すもので在るが故に、時が至れば生を受けざることはない(注)。二には、すでに生まれたのならば、老いを受けざることはない。三には、すでに老いたのならば、病を受けざることはない。四には、すでに病んだのならば、死を受けざることはない。」(注:死してより、次に生まれ変わる間を中陰もしくは中有と言う)
釈尊は、偈を説いて言われました。
彼等は 空に逃れたのにもあらず
海の中にも 山石の中にも逃れたのにも非ず
如何なる所でさえ 死を脱(のが)れることは出来ず
生死は人の務めなり 自らが作(な)すことなり
まさに自らの運命を作(な)して 力を尽くすべし
人 此を知らずして 心せわしく老死を憂う
此を知り 自らの心を静めるならば
その生の尽きる時 比丘は魔の兵を払いて
迷い繰り返す生死より 脱(の)がれることを得るであろう
王は釈尊の教えを讃(たた)え、群臣・従官も信受せざる者はありませんでした。
法句譬喩経 教学品 第二
第一話
昔、釈尊が羅閲祇(らえつぎ)国(マガダ国)の霊鷲山において、諸天・人・国王・大臣の為に、不死涅槃(ねはん)の法を説いている時のことでありました。そこに一人の勇しく強き比丘が居りましたが、釈尊はその者の心を知ると、彼を山の後ろにある鬼神の谷に於て、樹下に坐して、息を整え禅定を求めるように仕向けました。
「息の長短を知り、安らぎの中に於て意(こころ)を守り、求めることを断じて苦を滅するならば、涅槃の境地を得るであろう。」との釈尊の教えを受け、その比丘は鬼神の谷に至り、坐して意の禅定を得ようとしました。しかしながら、静まりかえった山の中で、姿の見えぬ鬼神達の語る声に、比丘は恐怖におののき、心を落ち着けるどころではありません。「我が家は富豪にして、また我が一族も強きものであった。心の安定した境地を求めて出家学道したものの、今はただ鬼神の深き山にあって、連れ立つ者もなく、行き交う人も無い。ただ、しばしば鬼が来て人を怖れさすのみである。」
比丘が後悔して還らんと欲した時、釈尊は近きに現われて一樹下に坐し、比丘に問いました。「汝、独り此処にあって怖れることは無きか。」 比丘は釈尊に礼を為し、そして正直に憂いていることを答えました。すると、野生の象の王が辺りの樹下に独り来て、そして横たわり、心喜んでいる様を見せたのでした。釈尊は、比丘に告げました。「この象は、大小五百頭余りの象を引き連れているものである。そして今、それを煩わしく思って此処に至り、恩や愛情による執着の牢獄を離れて、快くしているのである。象はこれ畜生なれども、閑静を願う。然るに汝は、家を出て、自己を超越させんとしているにも関わらず、独りになったからと言って仲間を求めることを欲す。愚かにして道理に暗き者を伴にすれば、傷つき物事が潰れることも多い。独りで在れば、謀(はかりごと)も起こらぬであろう。寧(むし)ろ、独り修行して愚かなる伴を用いるべきではない。
釈尊は、偈を説いて言われました。
学ぶに同じ志の者なく 善き友を得ざれば
寧ろ独り善を守りて 愚かなる者と伴ならざれ
戒を願い修行を学ぶに 何故に伴を必要とするのか
独り善く行い 憂いなきは 人気(ひとけ)なき野の象の如し
比丘は、その教えの意を解して聖なる者への道を得、そして釈尊と共に精舎に還りました。これを聞いていた谷の中の鬼神達も皆仏弟子となり、人々を害するようなことは無くなったとのことです。
法句譬喩経 多聞品 第三
第一話
昔、舎衛国に他に施することなく邪な考えを持ち、また道徳も信じない貧しき夫婦がおりました。釈尊は、これらの愚かなる者を憐れむと、みすぼらしい修行僧にその姿を変え、そして門の前至ると一食を求めて托鉢しました。夫の不在の時でありましたが、女人は僧を汚く罵り、「もし、此処で直ちに死すことがあっても、食を得ることは出来ぬ。しかも今、健康であるくせに食を求めるなど時間の無駄である。さっさと立ち去るがよい」と言いました。
すると修行僧は、うめき声を上げて死相を現わすと、忽ちにその身体は腐敗し、鼻や口からは虫が這い出しました。それを見た女人は、恐怖で声を失い、その場から逃げ出しました。
僧は姿を元に戻すと数里離れた樹の下にて坐しておりました。家路への途中に妻を見つけた夫は、恐怖で怯えている訳を妻から訴えられて怒り狂い、まだ遠くには行っていない僧を、弓を執り刀を帯して追いかけました。そして、僧を見つけた男は、一目散に駆寄り刀で切りつけようとしましたが、僧は神通力で瑠璃(るり)の小城を忽ちに化作したのです。
城外を巡りも入ることを得れない男に対して、僧は「門を開けて欲しくば、弓と刀を捨てよ。」と言いました。男は兎に角、中に入れば鉄拳を食らわせることが出来ると企て、弓と刀を捨てて門を再び開けるように問いましたが門は開きません。僧は男に言いました。「私は汝の心中にある悪意の弓刀を捨てさせしめるのである。手にする弓刀のことではない。」
この時、我が心を見透かされた男は、僧の真に聖人にであること気付き驚き身体を震わせ、そしてその過ちを悔いて僧に額(ぬか)ずきて言いました。「我に悪妻ありて、我に悪を起こさしむ。願わくば,我を見捨てることなく導き給え」と。
男は家に帰ると、僧の神通力の徳を妻に説き、そして妻に過ちを悔いて罪を滅せさせるべく、妻と共に僧の弟子となることを願い出ました。男は礼を為して僧に問いました。「あの神通の力よりして、優れた境地に達せられいる聖者と推察致します。志は明らかにして意(こころ)定まり、憂い患(わずら)いも無きようでございます。如何なる徳の道を修行されて斯様になられたのでありましょうか。」僧は答えました。「我、学問に広く通じることに厭い無く、法を護持することを怠らず。精進し持戒し、智慧ありて放逸ならず。これに縁(よ)りて道を得、そして涅槃の境地に至れり。」
僧は偈を以て説かれました。
徳を積むことをよく持(たも)ち 法を奉じて これを城壁と為す
精進して 超え毀(やぶ)られること難くし これによりて戒・慧を成ず
徳を積みて志を明らかならしめ すでに明らかなれば智慧は増し
その智 博く学ぶなれば義を解し 義に通ずれば 法を行ずること安し
徳を積みて よく憂いを除き 心の禅定を以て歓びと為す
善く甘露の法を説きて 自ら涅槃を得る
法(ことわり)と守るべきを知り 疑を解きて正しきを見る
法(ことわり)に非ざることを捨て 行じて不死の境地に至る
僧は偈を説き終るや否や、光り輝く仏の相を現わして天地を照らしました。夫婦は驚愕し、悪を改め心を洗い、そして悟りを求める道を得たとのことです。
第二話
昔、舎衛国に須達(しゅだつ、祇園精舎の寄進者)と言う、仏道に退転することない長者(=富豪)がおりました。その親友に仏道も医術も信じない好施(こうせ)と言う長者が居りましたが、重い病にて死に至る時においても、なおもその心を改めようとはしませんでした。須達は彼に語りて勧めました。「私が仕える師は、仏陀・釈尊である。神の如き徳に被われ、見る者は福利を得ることが出来る方である。仏に仕えるかどうかは汝の自由であるが、病久しく治る様子もない故、どうか仏に請うてその説かれる法を一度聞いてみてはどうか。」
好施が応じると、須達は直ちに釈尊ならびにその弟子の僧侶に来て頂くよう請いました。彼の長者の門に至った釈尊は、その身より光明を放ち、そして坐に就くと長者に問いました。「汝、病は如何であるか。どのような神に仕え、どのような治療を作(な)しているのであるか」と。長者は答えました。「日月の神、君主、亡き父及び先祖を敬い奉じて、あらゆる限りに祈り願っておりますが、病を得てより未だ恵みを蒙ることがありませぬ。医術の類は、我が一族の忌む所であり、また仏法の福徳は素より知らざる所であります。」
釈尊は、長者に告げました。「人、世間に生まれて、無駄に死するに三つ有り。一つは、病にあって治さざること。二つには、治して慎まざること。三つには、自ら恣(ほしいまま)にして道理を弁えぬことである。この如き者には、神も先祖も力を与えること非ず。当に道を明らかにし、時に応じて安らかに自らを済(すく)わねばならぬ。一には、身の病気は当に医薬を用いるべし。二には、様々なる心の邪悪鬼は当に仏法を用いるべし。三には、賢き聖者に仕えて困苦する者を憐れみ救い、その功徳によって神々を感ぜしめて万民を助けるならば、大いなる智慧を以て煩悩による障りを除くことが出来よう。この如く行じるならば、現世は安かにして喜びあり、遂に無駄に死することはない。生れ変わる度に、清浄にして常に安らかなり。」
釈尊は偈を以て説かれました。
日(太陽の神)に仕えるは明るさの故なり 父に仕えるは恩の故なり
君主に仕えるは力を以ての故なり 功徳の故に道を得た人に仕えるなり
人は命のために医者に仕え 勝たんと欲しては勢力の強き者に依る
法は智慧の処にあり 善行あらば生生世世に明かるし
友を推し量るは務めを為すためであり 伴に別れるは差し迫れる時であり
妻を観るは寝室にあり 智を知らんと欲せば教説にあり
師は能(よ)く道を見(あら)わして 疑問を解きては明らかなるを学ばしむ
清浄なる教本を興して よく法蔵を奉持せしむ
徳はよく今世の利となり 妻子・兄弟・友
後世の福を招き 徳を積みて聖なる智を成ず
よく心を調えれば教えの義を解し 解すれば則ち戒は穿(うが)たれず
法を受け法によらば 是に従いて速やかに安きを得ん
是によって憂い怒りを散じ 喜ばしからず衰えを除き
安穏を得ようと欲するならば 当に徳の聞こえて高き者に仕えるべし
仏の説法を聞いて、心の疑いと惑いを一切除くことを得た長者は、良医に治療を任せ、心を仏法に任せ、心身共に諸々の患いを除き、そして仏道に退転することのない境地に得たとのことです。
続く