「お盆・お彼岸法話 2008年度」(壇信徒向け)


お盆とお彼岸といえば、お墓参りでございますね。そう言えば、最近人魂とか狐火って見たことあります? 何で人魂って出てくるか知っている方? 御存知の方もいらっしゃると思いますが・・。昔は土葬のお墓でしたでしょ。それで雨が降ったりなんかして、身体にある燐が地面に出てくるそうです。 そこに紫外線やら何やらが当たって、発光する物質になるそうです。で、お墓にはお供えがしてありますよね。昔は野山ばかりでしたから、それを狐が夜に食べに来るんですね。それで、その発光する燐が狐尻の尻尾に付く。で、狐がぴょーん・ぴょーんと跳ね回ると、人魂がひゅーん・ひゅーんって墓の回りを飛ぶわけです。それを知らないで昔の人は「嗚呼恐ろしや〜、ナンマイダ、ナンマイダ、オシマイダ〜」とやるから、見えないものまで見えてくる。それを「狐が化ける」って言うです。「南無妙法蓮華経」と唱えれば、化け物出て来ないですよ。ただの、可愛い狐なんですね。

で、お墓のお話になりますけど。どうでしょう。皆さん、亡くなった後の終の棲家が墓の下なんて、暗くて狭くてジメジメして、あんなとこ嫌じゃないですか? ああ、そこのニコニコしているお母さん。何々、私ん所は日当たりの良いところだから、大丈夫だって? お墓の下に陽は入りません。暗いんです!(笑) 別に皆さんは、亡くなったらお墓に住むわけじゃないですね。 じゃあ、どこに行くんでしょう? 念仏を唱える宗派では、阿弥陀仏の極楽浄土に往生するんだって言いますけど、阿弥陀仏って、お釈迦様が説かれた方便の仏、架空の仏ですよね。西方百万光年だかの極楽浄土も、お釈迦様が説かれた架空の浄土ですから、実際にあるわけじゃない。じゃあ、どこに住むんでしょう? それはね、皆さんのお子さんや御縁のある方の心の中、もうちょっと言っちゃうと遺伝子なんですけど、精神の中に生き続けるんです。皆さん、よーく考えて下さいよ。今まで皆さんの生命というものは一回も絶えていない。現在のホモサスピエンスという人類になって数十万年になりますけれど、皆さんの命という者は一回も途絶えていないです。だから、此処に今居るんですね。どっかで死んでお終いになっていたら、科学的にも今存在していないです。皆さんの性格には、先天的なものと後天的なものがあるでしょ。後天的というのは、おぎゃーと生まれてからの経験によるもの。で、先天的というのは前世のどっかで経験して得た性格なんです。例えば25歳ぐらいで子供を生むとしましょうね。自分から20代遡ると約500年です。お父さんとお母さんにお父さんとお母さんがいて、そのまた・・そのまた・・そのまた、そこのお母さん、止めて下さいよ! 20代遡ると、一体何人になると思います? 2の20乗ですから何と100万を超えます。 たかだか500年遡るだけで、皆さんの心の中には100万人の御先祖さんの経験、魂が入っていらっしゃるわけです。 しかも心は「一念三千」と言って何でも入っちゃう。そして、識という精神の遺伝子ですから 自ら経験していなくとも、他人に深く感動したり、強い印象を持ったりすれば、その人も御先祖さんと一緒に心の中に住んじゃうわけです。死んだらもう何も無くなってしまうわけではないんですね。皆さんは、いつまでも人の心の中に生き続ける、いつでも生まれ変わる可能性があるってことなんです。

で、皆さんが亡くなってから住む人間の心の中、大きく分けると十界といって、十の精神世界があるんです。勿論、今居る皆さんの心の中にも、十の精神世界があるんですよ。その十の精神世界というのは 仏様の住む世界(法華経では霊山浄土とも言いますけど)、仏の世界から菩薩・縁覚・声聞というお釈迦様のお弟子の世界、そして一般に六道に輪廻すると言って、天・修羅・人と所謂三悪道と言われる餓鬼・畜生・地獄を中心とする世界が在ります。皆さんが、法華経の信心をしっかりして、最初の四聖諦というお釈迦様のお弟子の世界に住めれば、もう六道の世界にぐるぐると輪廻し続けることもないのですけでも、そうでない場合は、この世でどのような生き方を皆さんがされてきたかで、どこの世界に住むかが違ってきます。まあ、天・修羅・人ならマシですけれども、餓鬼・畜生・地獄の世界に住むようになったら、どうします? 人の心の中で、餓鬼のように「嗚呼あれが食いてぇ、あれが欲しい」と貪欲に言い続けますか。恥も外見もなく、「道徳なんかくそ食らえだ」なんてと畜生のように言い続けますか。それとも、人の心の中で「うげぇ〜」と、地獄の苦しみを叫び続けますか?どうです、そんな自分を想像するのは嫌でしょ。皆さんのお子さんやお孫さん、そして色んな人の心の中で、そんなふうに生き続けたくはないですよね。そんな風にも、生まれ変わりたくないですよね。だからね、お釈迦様の教えを聞いて、如何に生きるべきか、如何に人の為になるか、との正しい信仰が今必要になってくるわけですね。ですからね、「宗教は迷信だ。信用などせん。」と宗教を馬鹿にしている人は、今生の人生もどうなるか分からない、来世の人生もどうなるか分からない。法名・戒名というのは、お釈迦様の弟子になりました、として頂くのですけれど、死ぬときにお坊さんに立派な法名・戒名を頂いても、それで安穏として浄土へ行けるわけではないんですね。

で、お墓のお話に戻りますけれども。何で、お墓や仏壇が必要なんでしょう?何で、お墓参りをする必要があるんでしょう? さっきお話ししたように、皆さんは亡くなっても人の心の中に生き続けているんでしたよね。人生色々と忙しいものですから、普段はなかなか思い出して貰えないですけど、お墓参りをした時には、ずーっと意識が集中して素直になってきますから心の中にも現れ易くなっているわけです。勿論、これはお墓参りをする人の信心が深いか浅いかも影響してきますけど、お墓って、そのためのモニュメントなんですね。で、どうします? 「まあ、ろくでもない親父だったけど、うるさい婆だったけど、お盆だから取りあえず来てやったよ。ああ、それにしても熱い、熱い。さぁ、ビール、ビール。」って、さっさと踵を返されたら、悲しいですよね? それよりも、お子さんやお孫さんがやってきて、「じいちゃん、ばあちゃん、仕事やら人間関係やらで、今大変だけど、何とか頑張ろうと思うけん。どうか応援してくれや。」と心に願った時に、「おお、頑張りぃや。ここで挫けたら、つまらんぞ。皆も応援しとる。」と、「あんたは、いつも気を張り過ぎとる。あんまり悩みすぎんと、すこーし、気を楽にしたら、色々なものが見えてくるよ。」と、色々と声を掛けてあげたいでしょう。「じいちゃん、ばあちゃん、何とか乗り切ったけん。それば報告に来たよ。」と言われたら、一緒に喜んで「ようがんばっしゃた、お前なら必ずやると信じておった。人生、まだまだ、色んな事がある。これからも応援しとるけの。」とか、「身体を大事にして、これからも家族一緒に明るくな。」と、声を掛けてあげたいでしょう。そのように、お墓参りとかいうのは、自分の心の中に生き続けている、おじいちゃん、おばあちゃんであるとか、お父さんお母さんであるとか、御先祖であるとかと、実際に会話をするためのものなんです。で、皆さんが本当にお話を出来るかどうかは、皆さん自身の信仰を高め、そして亡くなった後にも、お釈迦様のお弟子として心の中に生きて貰わないと、それが出来ないんですね。

で、お釈迦様の弟子になるって、そんなに難しいことじゃないんです。別にね、自分の性格を変える必要もありません。皆さんは、皆さんの性格のまんまでいいんです。それには、意味があるんです。一般に長所・短所と言われますけど、本当は長所も短所も無いんです、長所も短所も同じものなんです。例えば、悪く言えば「あいつは出しゃばりで生意気なやつだ。」となりますけど、良く言えば「積極的」なわけですよね。悪く言えば「あいつは消極的で使い物にならん。」なんて言いますけど、良く言えば、「謙虚」ですね。悪く言えば「あいつは、呑気な奴」良く言えば「寛大」。悪く言えば「神経質な奴」、良く言えば「思慮深い」で、本質的には長所でも短所でもない同じものなんです。で、何が違うかというと、お釈迦様の教えがそこに有るか無いかなんですね。お釈迦様の教えがあれば、生意気な性格は「積極的」に、消極的な性格は「謙虚」に、呑気な性格は「寛大」に、神経質な性格は「思慮深く」、つまり短所と言われるものは皆長所に、悪もすべて善に「くるっと」変えてしまうのがお釈迦様の教えなんです。ですから、いつでもお釈迦様の教えが受けられるように「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えて、お釈迦様のお弟子であることを常に意識しておく必要があるわけなんです。永遠に実在するお釈迦様に、何時もお側に居て頂いて、その導きが何時でも得られるように、心を込めて今後も「南無妙法蓮華経」と御題目を唱え続けて頂きたいと思います。


で、なんでパイロットで坊さんしはるの? と大変興味があると思います。今、全日空でB737機長なんかをしてますけど、生まれは東京駒込の蓮華寺で、尊敬するおじいさんは顕本法華宗の管長猊下もされていました。ところが親父は「坊主は性に合わない」と、大学は中退、私が小学校に上がる時には、浮気で子供を作って家庭は崩壊、おまけに仕事も失うで生活も苦しかったわけです。その割にはプライドだけは高くて、酒を飲めば暴力を振るうで、新しい奥さん、つまり継母の「うっぷん」なんかが全部私の所に来てしまったわけです。まあねぇ、ストレスが高じると、自分の腹を痛めた子と、前の女の子供ですから、しょうがないって言えばしょうがないですけど。お陰で、性格がちーっとばかし、拗けてしまいました(笑)。皆さん、ストレスを溜めちゃ駄目ですよ。ストレスが溜まると、人に優しく出来ないですから。で、そういう少年期を過ごしながら、高校時代は、全国大会出場を懸けて柔道の練習と、深夜までのアルバイト三昧、おまけに祖父が用意してくれた進学の費用も使われてしまいましたから、その後は自衛隊の方へ進みました。まあ、世界共通で昔から「金が無くて優秀なら軍隊に行け。」ってな諺があるくらいでして、調子に乗りまして、お陰様で飛行幹部候補生になって、F4ファントムという戦闘機パイロットになりました。まあ、当時は仮想敵国だったソ連の爆撃機が、しょっちゅう領空侵犯するものですから、スクランブル発進で、バリバリバリって飛んで行って、それを追っかけ回していたわけです。楽しかったですね〜(笑)。ところが、人生ってのは、どこでどう転ぶか分からない。一生懸命努力して、這い上がってきて、そして花形の仕事を手に入れて、結婚もして子供も出来て、漸く軌道に乗ってきたなと思った矢先に、自分の力ではどうしょうもない大きな壁にぶつかったり、事件に巻き込まれるものなんですね。

まあ、ご多分に漏れず、私もそういう運命になりまして、それで、「自分の道は自分で切り開いてやる」とばかりに、10年努めた自衛隊を辞めて東京に戻り、当時はやりの青年実業家を目指して奮起しようと思ったわけです。まあ、そうは言っても、私みたいな商才の無いのは所詮「武士の商法」で、家族抱えてお金は出て行くばかりで、週末はタオルを首に巻いて引っ越しトラックのアルバイトです。「このままで終わってなるか」と自分を信じて365日働けども、一向に見通しが見えて来ません。おまけに、バブルの景気も弾けそうでして、「やばいぞ、こりゃ。」ってな時に、一生懸命やっていれば不思議な御縁は働くものなんですね。実は航空自衛隊を辞める前に、司令官に直接呼ばれて「組織運営を学べ」と副官(秘書室長)という仕事をさせて貰っていたのですが、その司令官が当時日商岩井という商社、今はニチメンと合併して双日と言いますけども、そこの顧問に天下っていたわけです。それで、今度は商社で、また自衛隊の仕事、アメリカの防衛産業と防衛省の仕事を担当するようになりまた。この間捕まりましたけど、ちょうど、介護事業で大もうけをしたグッドウイルの折口会長、知ってます? 彼は防衛大出身なんですけど、その彼が日商岩井でディスコ「ジュリアナ東京」って、もう女の子が、こんなんなって踊ってたディスコですね。その「ジュリアナ東京」を折口さんが手がけている時でした。その後、彼は独立したんですね。そして、この間防衛省の賄賂事件で捕まったあの守谷元政務次官、覚えてます? その守谷さんが、防衛庁の航空機課長で所謂「天の声」を発していた時ですね。

勿論、政治家も相当からんでいましたよ。それで「何が天の声だ!」ってな感じで、航空自衛隊の幕僚は皆私の先輩ばかりですから、「ここは、現場の意見をきっちり通しましょう。」って、私が資料を作る、先輩がそれを防衛秘密の文書として提出する、私が資料を作る、それをまたマル秘の判子を押すって感じで戦っていたわけです。ところが、一件50億も60億もする仕事ばかりですから、敵も多い、やり甲斐のある戦いなんですけれど、プレッシャーはのし掛かる、夜は遅いで身はボロボロ、おまけにですよ。当時は私も若くてイケメンでしたから、女性からの誘惑も多くてですね。ああ、そこのお母さん! 今でもイケてるって言って下さい(笑)。それで、遂にカミさんが切れちゃった・・。しかも、当時航空自衛隊のパイロットが民間に大量に流れて、国会でも問題になった時期で、今民間に来ないと、もうパイロットとして採用がないという事態になっていたわけです。それで、先の司令官、日商岩井の顧問ですけれども、大きな仕事も二三は片付きましたんで、相談に行ったんです。そしたら、さすがに元パイロットですね。「お前は、まだ若いから飛べ。」って粋な計らいをしてくれまして、それで円満に商社を退職して、またパイロットの道に戻ることとなったわけです。

それでね、今でこそ機長として国際線なんかも飛んでいますけれどもね、お釈迦様や日蓮聖人は、まだまだ私に修行させたかったみたいなんですね。民間の航空会社に入ったら、今度は派閥争いに巻き込まれてしまうんです。私、小さいんですけど、身体は鍛えてあるし、目つきが鋭いので、何処行っても目立つ存在みたいなんです。おまけに媚びを売らないから、すぐ標的にされちゃうんですね。「土屋さん、ここは靴を嘗めても」って心配して言ってくれたりする人も居るんですけど、「うちのガキには、靴を嘗めてもなんて教えてない! 子供に教えていないことを親が出来るわけはない。」って言い返しちゃう性格ですから、益々徹底的な攻撃の対象にされちゃうわけです。商社と違って仕事の成果で勝負できる世界じゃありませんから、もう権力的に完全に潰さるんです。そりゃ、大人のイジメはエグイもんで、訓練は嫌がらせ、試験には通らないようにする、仕事は干されるで、「もう、死ぬか〜。」ってなもんですよ。土屋信裕、最 大 の 危機です。カミさんと子供残して、負け犬としてこの世から抹消されるか、「神も仏も無いっていうのかぁ!」て叫びました。

そこで、いよいよって言うか、遂に仏教に戻ったんですね。私がまだ子供の時、尊敬するお爺さんは、よく心配して「ひろ坊は、(私、ひろ坊っていうんですけど)、ひろ坊は不憫だから、何かと助けてやってくれ。」と周りの人に言ってくれていたそうなんです。私が二十歳の時には亡くなりましたけれども、それでも祖父は何時でも自分を見守ってくれているはずだ、「ひろ坊、挫けちゃいかん。」と声を掛けてくれていると思うからこそ、私の場合は頑張って来れたんです。だから、仕事やら何やら変化が有れば必ず、お爺さんとお婆さんの入っているお墓に参って、「じいちゃん、ばあちゃん、頑張ってますんで、どうか今後も応援お願いします。」って言いに行っていたんですね。だからこそ、祖父のやっていた仏教に、必ずこの苦しみを脱する答えがあるはずだ、と考えたわけです。32歳の時ですから、もう15年程前のことです。もう、徹底的に仏教の勉強をしました。毎日、座禅も瞑想もしました。このまま続けたら、精神が崩壊するんじゃないかと思う所までやりました。

それでね。最後に救われたんです。法華経の一番大事な寿量品には「常懐悲感、心遂正悟」、常に悲しみを懐いて、心、遂に正悟する、とあるわけなんですけれど、その最後に救われた直前に思ったことはですよ。「嗚呼、なんて事だ。自分ほどに、御加護を受けてきた人間は居ないじゃないか。それに気が付かなかった自分こそが、この世に生きる価値も無い、最低の人間だった。」と心底気づいた時なんです。つまり、自我というものが完全に落ちたんですね。本当に、そう思った瞬間に、お釈迦様は目の前に現れるんです。目の前の世界がバァーと法華経に説かれた通りの世界になって、お釈迦様が「私は常に此処にいて、何時もお前を導いているのだよ。」と手をかざして下さるんです。嗚呼、法華経に説かれたことは真実だった、嗚呼、日蓮聖人の仰っていたことは本当だった。お釈迦様は、確かに精神の世界に実在する。もう。そこから本当に生まれか変わっちゃうんですね。もう、どんなことがあっても、心底苦しむことは無い。何があっても大丈夫。もう、今まで自分だと思っていたものが、そりゃ上っ面の自分で、本当の自分がそこに現れたって感じです。嗚呼、これはもう、お坊さんになって恩返しするしかない。悦びを持って生きる残りの人生を、お釈迦様が仰る通り、日蓮聖人が仰る通りに、皆さんにお伝えする力を付けなければと、そう思って今色々と努力をしているところなんです。

で、その一部なんですけど、ここ5年程は日蓮聖人の御遺戒に基づいて、毎年カンボジア、そしてインドで、現地の言葉に翻訳した法華経を2万冊を、のべ4000人の現地の僧侶を動員して配ってきました。カンボジアの首都プノンペンやアンコールワット、インドのブッダガヤや霊鷲山のあるラジギール、今仏教復興の地となったナグプールと、本当に立派な有志参加者の皆さんと協力して、400〜500人の現地のお坊さんを引き連れて、御題目を挙げながら大行進をして法華経を弘めてきました。後で機会がありましたら、御上人がDVDを持ってますので、見せて貰って下さい。

と、言うわけで自己紹介の方のが長くなりましたが、散々私に振り回されてきたウチのカミさんなんか、「あんた、誰のお陰で今まで生きてこられたと思っているの」と言っているくらいです。でね、私が言うんです。「いや〜、女性は偉いよね。好きになった男が成功するようにと一生懸命に支え、腹を痛めて男の子が生まれれば、立派に社会に出れるようにと懸命に育て、女性はずっと男を育てているんだよね。世界で日本の女性ってNo1って言われるけど、『なでしこ』って花言葉知っている?」「うんうん、何?」「傍らに控えめながらも可憐な花を咲かせ、しかも芯(しん)が強い。」「うん、うん、それで。日蓮聖人は何て言ったの?」「うん、信心と申すは、妻は夫を財(たから)となし、夫は妻を命とするが如し」 でウチのカミさん、「でしょう、貴方は宝だけど、私は命よ、命! それでお釈迦様は何て言っていたの?」「うん、お釈迦様はね、夫は妻を尊敬し、家政を委せ、時々は飾りを与えよって。」「ねぇ、あなた。飾りを与えよって言ってるでしょ、さぁ、飾り飾り!」というわけで、最近は私もデパートで振り回されております(笑)。


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