4 八正道(中道)


欲楽の生活は「苦」を招き、禁欲の苦行も理想を達成する道ではない。釈尊は、この両極を離れた中道こそ道諦としての真理であると説かれます。この中道の人格完成のための実践方法を八正道と言います。

1)正見

正しい見解・正しい見方をすることです。人は時に我見・偏見に囚われて邪見に陥り、白いものを白と言わずして黒と言い、邪であるものを邪であると言わずして正しいと言い、道理ならざるものを非道理と言わずして道理であると言います。自分の都合によって一切の事象をありのままに見ずして、迷い・悪業の源と為します。これ即ち、正しい世界観・人生観を確立すべき智慧の欠如によるものと言えましょう。この智慧を確立しない凡夫の状態においてこれを得るには、仏教の正しい信仰を必要とします。一切の正しき智慧を得た釈尊の教えを信じて、日常の生活に活かすことが大事です。そして、釈尊の説く智慧、世界観・人生観が正しいかどうかを自らの人生において体験し確立していくことによって、自分自身の智慧として発展させていくことが出来るのです。

2)正思 

正しい思惟であり、正しく考え正しい心構えを保つことです。自分の立場、自分を取り巻く環境を良く把握し、目的を達成するためには何が必要であるかを思惟する時、邪なことを考えず、思うまじきことを思わず、常に善を求めなければなりません。自分がどの様な立場にあっても、怒り・憎しみ・欲望の心を起こさず、柔和・慈悲・誠実以て、清浄な心に努めることが大事です。善き結果を得るためには、正しき智慧の基に善き考えを静慮する以外にありません。 

3)正語

正しき言葉を使うことです。正しき見方をし、正しく考えるならば自ずと正しい言葉となる筈です。人はとかく他人の悪口を言いたがり、二枚舌を使って要領よく振る舞ったり、あらぬことを真実のように語ったり、くだらぬことを付け加えたりします。仏教では、これを悪口・両舌・妄語・綺語として強く嫌います。多くの人は、いい加減な世論や人の噂に動かされてしまい、協調共存の道を失わんとします。人間関係や社会の幸福を願うのならば、社会の秩序を乱す無責任な言を弄することは厳に慎まねばなりません。正語を以て正義を唱えていかねばなりません。

4)正業 

正しき行為です。善からぬ行為は善からぬ結果を生じ、それが為に苦しみ藻掻き、また善からぬ事を繰り返します。殺生や偸盗(ぬすみ)・邪淫等、自らの生涯を餓鬼・畜生・地獄の輪廻世界に陥れるだけでなく、社会に不幸を撒き散らすものでありましょう。善からぬ行為は、例え如何なる権威によっても、如何なる利益を以て誘惑されようとも為すべきではありません。そうした悪縁には近寄らずとの決心を大事にして、正しき行為に精進しなければ、人格の完成など到底無理な話でありましょう。

5)正命

正しき生活です。正語・正業を以て生活することは言うまでもなく、規則正しい生活によって健全な心身を養い、仕事や責任を能率良くこなす事も含まれます。また人は、衣食住のために往々として正からぬ手段を取ろうとします。どんな境地に立たされようとも、決して自らの人格を冒涜するようなことは為すべきではありません。また僧侶等に説く五種邪命には、一)仏の教えに背き、奇異の相を現じて己を敬わし、利養を貪ること、二)種々の巧みな言葉・弁舌を以て自らを誇張し、人々に敬いの心を起こさしめ、利養を貪ること、三)人相や日時・方角によって徒に人心を惑わし、吉凶を占い利養を貪ること、四)大言壮語し大衆を偽り、威儀を示し、畏敬せしめて利養を貪ること、五)巧みに種々の利益を説き、人心を煽動して利養を貪ること等が上げられています。

6)正精進(正勤)

正しき努力と、勇気です。人類の理想達成のためになることを善、それを妨げるものを悪とします。仏教では四正勤として、一)すでに起こっている悪を断つ努力、二)未だ生じていない悪は、起こさない努力、三)未だ生じていない善は、これを起こす努力、四)すでに生じさせている善は、これを増大せしめる努力を説いています。仏道の修行に努めることは、ひとえに己のためならず、社会全体のために極めて必要なことです。

7)正念

正しき憶念です。人は善なること、真なることは忘れ、忘れても良いようなことは忘れず、聞くまじきことはいつまでも憶念するものです。常に自分の置かれた立場と、それを取り巻く環境を正しく知り、留意しすることであり、そして言うべきこと・言わぬべきこと、聞くべきこと・聞かぬべきこと、意識すべきこと・意識すべきではないことを念頭に置くことが大事です。自らの意識を反省し、どうあるべきかを自覚し、自らの心を統率して責任ある行動に結びつけねばなりません。

8)正定

正しき禅定であり、静慮にして精神を統一することです。人の心は外界の悪縁に、動揺し悩乱されやすいものです。如何なる誘惑にも、如何なる脅威にも、惑わされることなく心を集中して、これを防がなければけっして正しき智慧、覚りというものは得られないでありましょう。また日常の生活の中にあっても、私たちは常に取捨選択の判断を迫られています。欲情に、或いは恐怖・不安・焦りに乱されてすぐさま行為に及ぶのではなく、その一瞬一瞬にも何事にも妨げられない心の状態を得るよう努めることが大事でありましょう。
 
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