「摂折論に関して」 土屋信裕 平成13年度日什門流懇話会 12月6日
研修会場 日蓮宗別格本山 「妙立寺」
顕本法華宗 14名
日蓮宗(什門流)及び単立 36名
問題提起 「日蓮聖人の摂折観をめぐって」
今成元昭師 日蓮宗勧学職
反対論説 「摂折論に関して」
土屋信裕 顕本法華宗
1 観心本尊抄と勝鬘経
今成先生は勝鬘経の「折伏すべきはこれを折伏し、まさに摂受すべきはこれを摂受せん。」を引用し、仏法を永く伝えるためには、摂受・折伏の二法を適宜に運用しなければならないとあるが、勝鬘経は次第に摂受が大乗仏教の要道であると明らかにしているとして、宗祖の「摂受・折伏の二義、仏説に任せる。敢えて私曲に非ず」(富木殿御返事)の教訓は、摂受正法を明らかにしたものと論断されています。
そして、今成先生は「日蓮聖人は折伏より摂受を重んじているという通説に反する結論を得た。」と仰られていますが、本来仏教の教化は摂受的なるものが通説なのであります。それ故に、通説と違う折伏を重んじる宗祖の立場を明らかにせんとして、「摂受・折伏の二義あり」とし、敢えて折伏を重んじるのは「私曲に非ず」と、ここで申されているのであります。
また、観心本尊抄の「この四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王となって愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧となって正法を弘持す。」(定719)とあるを、「僧たる者は摂受行によって正法を弘めなければならない」と宗祖は仰っていると、今成先生は主張されます。
進んで正法を求める者に折伏を以てなす事、正法を謗る者に摂受を以てなすことの誤りは、勝鬘経にも明らかなことです。宗祖はその上に摂受・折伏を述べるときは「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前、邪智謗法の者多き時は折伏を前」(定606)の如く、「時」を問題にしているのであります。
仮に勝鬘経が摂受の正法としての重要性を強調したものであっても、宗祖の云う仏説というのが勝鬘経のみを指すのではありません。ちなみに、宗祖が御遺文中に勝鬘経に触れているのはすこぶる少なく、撰時抄(定1012)などで法相宗の主張は「三乗の機のためには三乗は真実、一乗は方便」で勝鬘経がそれにあたり、「一乗の機のためには、三乗方便一乗真実」の法華経が末法の「時」に選ぶべき経典とされているくらいであります。
また、今成先生が引用した本尊抄の「四菩薩が、僧となって正法を弘持す」とは「摂受を行ずる時」のことであって、
折伏を行ずる時のことではありません。 末法の時即ち「折伏を現ずる時」賢王となって愚王を誡責する四菩薩に、地涌の菩薩は従うものでありましょう。末法折伏の時、日蓮聖人の如く、賢王の如く導師となった四菩薩は、破権門理を不自借身命で実践するのであり、僧となった地涌の菩薩は、僧としてこれに従うものと考えるべきであります。
ちなみに、観心本尊抄に述べられている賢王と僧とは、日蓮聖人が「立正安国論」等その他によく引用される涅槃経の有徳王と覚徳比丘(僧)の譬えに依るものであります。正法を説いて破戒の比丘を呵責した覚徳比丘は、刀杖を持つ破戒の比丘達の妬みによって迫害を受けました。この時に正法を護るために、覚徳比丘を助けて悪僧等と戦ったのがその時に国王であった有徳王であります。そして覚徳比丘とは迦葉菩薩のことであり、この有徳王とは釈尊自身であったと明かされるのです。
これを念頭において「末法に、教主釈尊の初発心の弟子である地涌の菩薩が現れる時は、正法を護持するために僧として現れ、これを護る国王として現れるはずである」と言われているのであります。日蓮聖人は正法を唱えて、悪僧ならびに幕府(愚王)より迫害を受けたのですから、日蓮聖人が賢王の加護を得る道理を説いているのです。即ちこれは、釈尊並びに諸天善神の御加護の確信を述べているのであります。
そして従来この部分の摂受・折伏は、刀杖を以て悪僧と戦う有徳王(賢王)に比べれば、覚徳比丘は正法を以て呵責(折伏)しても摂受である。刀杖を持つ悪比丘に比べても、摂受である。従って、迫害を受けている日蓮聖人もまた、正法を以て呵責(折伏)していても、それはあくまでも比較の上からは摂受であるとの意味を含まれていると解釈されてきたものであります。
今成先生が、宗祖は勝鬘経を根拠としているとする真蹟は、昭和定本第四巻の「断簡新加」でありますが、これは勝鬘経云の下に摂受・折伏の文字が並べられているのだけで、どこにも摂受が正しいとは書かれていないものであります。勝鬘経に摂受・折伏ありとしているに過ぎません。
今成先生も引用した「まさに折伏すべきはこれを折伏し、まさに摂受すべきはこれを摂受せん。」は、「衆の悪律儀と及び諸の犯戒とを見ては〜、終に棄捨せずして、我れ力を得ん時、彼彼の処に於いて、この衆生を見ては〜」に続くものであります。即ち、折伏すべき者とは剛強な「如来の戒めを蔑ろにする者」であり、摂受すべき者とは柔軟な「諭し導く者」を指すものであります。
今成先生が、宗祖は摂受を重要視している結論付けるのは、勝鬘経の次ぎに述べられている「摂受正法」の言葉に囚われてしまうがためと考えます。この「摂受正法」とは「摂受が正法」の意味ではありません。今成先生は「菩薩のあらゆる恒沙の諸願は、一切皆一大願の中に入る。いわゆる摂受正法なり。」の文を引いて、摂受とは正法に悟入させる直道であるのが明らかと言われていますが、ここで云う「摂受正法」とは求道の者・菩薩が「正法を摂受」する義を述べているものであります。
すぐ後に「世尊、我今日より乃し菩提に至るまで、”正法を摂受”して終に妄失せず。」と述べられ、次の摂受正法章に「摂受正法広大の義とは、即ち是れ無量なり。一切の仏法を得て、八万四千の法門を摂するなり。」とあるが如く、ここで云う摂受正法の摂受とは、布教方法の折伏に対する摂受ではなく、菩薩の正法を包摂することの義であります。即ち、今成先生が根拠とした「摂受正法」は、宗祖の教化のための摂受・折伏とは立場の違うものであります。
2 開目抄
次ぎに、今成先生は開目抄の「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品の如し。邪智謗法の者多き時は折伏を前とす。常不軽品の如し。」の「常不軽品の如し」は後世に挿入されたものであり、これによって宗祖を折伏行者にしてしまったと主張されます。
たとえこれが、後に挿入されたものと除いたとしても、文意が変わるものではないでありましょう。宗祖が、末法の時代を「無智悪人充満の時」と云っているならば、確かに摂受が前でありますが、末法の今の時代を「邪智謗法の者多き時」と云っておられるのですから、折伏が前であることは明白です。よしんば、「常不軽品の如し」と御先師によって挿入されたするならば、宗祖の折伏というものが、排他的な罵詈悪口や暴力を肯定するものでないことを明白とせんものでありましょう。この一節を以て、開目抄は折伏を肯定するものとしては”価値はない”とまで仰る論拠には至らないと考えます。
常不軽菩薩の精神とは、増上慢の四衆に罵詈悪口或いは杖木を以て為されても「我れ汝達を敬うて、敢えて軽慢せず、所以はいかに汝達皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」の慈悲に基づく覚悟であります。崇峻御書には「一代の肝心は法華経、法華経修行の肝心は不軽品にて候なり」(定1397)とあり、寺泊御書には「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来の不軽品なるべし、その時日蓮即ち不軽菩薩たるべし」(定515)と述べられる如くであり、宗祖の折伏と常不軽菩薩が矛盾するものではありません。
今成先生は、宗祖の折伏の精神を明らかにせず、勝鬘経の折伏を「邪魔なる種種の悪法・悪行を打ち破ること明らか」とし、しかも折伏は他宗が批判するが如く「独善・排他的なもの」の前提に立って、宗祖は「摂受を本懐としながらも、己を取り巻く環境の諸事情によって、折伏実践に明け暮れしなければならなかった。」と言われますが、これではあたかも、宗祖の折伏が必要悪であった如くの論理でありましょう。
宗祖は、折伏の精神を明らかにし、摂受・折伏は時によるべしと言われているにもかかわらず、今回の今成先生の主張は、開目抄の「時機を知らず、摂折の二門を弁えず、いかでか生死を離るべき」(定607)の訓戒に背くべきものと考えます。その時とは「仏語むなしからざれば三類の強敵すでに国中に充満せり。金言の破るべきかのゆえに、法華経の行者なし。如何がせん。如何がせん。」(定598)であります。
今成先生は、望月歓厚師の「摂折論概説」等をあげて、開目抄と如説修行抄を根拠として宗祖が折伏を旨として断定したと難じ、依拠資料に文献的な不足があるとして、この二書を除いた”価値の高い”資料によって、宗祖の真意を伺うように努めなければならないと主張されています。
今成先生が、開目抄を”価値の低い資料”とするのは、「常不軽品の如し」とあるのは、文脈からいってもあるはずがないというものです。これは「止観に云わく、それ仏に両説あり。一には摂、二には折なり。安楽行に長短を称せざれと言うが如きは是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し、乃至首を斬れと云うはこれ折の義なり。」とあり、安楽行品と涅槃経の対比であるのに、常不軽品が出てくるのは不都合だと言うものであります。
この文脈は実は「疑って云わく、念仏者と禅宗とを無間と申すは諍ふ心あり。」の疑に始まり、「汝が不審をば世間の学者多分道理と思ふ。いかに諌暁すれども、日蓮が弟子等も此の思ひを捨てず。一闡堤人の如くなる故に、先ず天台・妙楽等の釈を出して、彼が邪難を防ぐ。」(定606)と、今成先生のように主張される学者に折伏の不審を払うために、引用した中の一節であります。
さらに宗祖は涅槃経を引用して「善男子、正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、刀剣弓箭を持すべし。能く是の如く種々に法を説くと雖も〜」と述べられているのであります。この刀剣を持する者とは、先程も述べましたように、釈尊が過去世において有徳王として悪比丘と闘ったことを念頭に云っているものであり、是の如く法を説く者とは、悪比丘に瞋恚され害された正法を護持する比丘のことであります。是の如く法を説くとは、不自借身命であって罵倒や暴力を以てのことではありません。即ち、これ常不軽菩薩の如しであります。
そして、宗祖が「大経の如し。」と涅槃経を対比させない故は、すでに立正安国論にも述べられています。「全く仏子を禁むるに非ず。ただ偏に謗法を悪むゆえなり。然からば四海万邦の一切の四衆、その悪に施さずして、皆この善に帰せば、何れの難か並び起こらむ。それ釈迦以前の仏教は(有徳王の事)、その罪を斬ると雖も、能仁(釈迦)以後の経説は、則ちその施を止む。」(定224)と、謗法退治の方法は謗法の者への布施を止める事であるとしています。そして、一切四衆の謗法への布施を止めさすためには、謗法なる輩の「明らかに理非を示す」ことであると述べられているのです。
仮に今成先生主張の如く「常不軽品の如し」が後世の挿入であるという推論が正しかったとしても、それは先達が前に述べるが如く、後世の者が折伏の義を誤解して、罵倒や暴力を肯定しないようにとの配慮のものでありましょう。何れにしても、開目抄にある折伏の義は変わることなく、まして開目抄は価値が低いから除けと言うような極論に至る道理はありません。
今成先生は「望月仏教大辞典」(浄土宗の学者で望月信亨氏によるもの)の「(日蓮は)特に折伏を以て弘教の方法とし、盛んに権門の理を”罵倒”せり。」と意図的に書かれたものに、引っかかっておられるようですが、宗祖のされた折伏というのは道理に基づく批判であります。矛盾せる思想を道理を以て露わにする批判精神があってこそ、融和統一せる正しき思想も顕れてくるものと考えます。謗法の輩から瞋恚され害されても、正法を護持せんとするのが宗祖の折伏義であり、他宗や創価学会や今成先生が言われるように、相手を罵倒したり暴力を以てすることが折伏なのではありません。
3 如説修行抄
今成先生は、聖人滅後15年目には日尊による筆写が現存(富久成寺)する「如説修行抄」も真撰遺文から外せと言われています。その理由は、1)「如説修行」という語は、録外の「阿仏房尼御前御返事」に一回、法華玄義の「法華折伏破権門理」という語は、録外の「上野殿御返事」に一回のみしか引用されていない。2)真撰遺文類では摂受・折伏両語の数量がバランスが取れており、勝鬘経は摂受優先であるのに如説修行抄は折伏偏重である。3)真撰遺文類には山林棲居を摂受とする発想はない。4)軍談の語り口調が綴り込まれている。という根拠であります。
まず、「如説修行」とは宗祖の遺文に特定される語ではなく、法華経の勧持品・神力品等に見られる語であります。今成先生の主張の如くならば、「法華経」も偽書扱いせねばなりません。法華経では、悪口・罵詈等し刀杖を加えるものあっても(法師品・勧持品)、得法の増上慢を懐ける者に軽しめ悩まされたとしても(分別功徳品)、法華経を説くべしと説かれています。これ法華行者の折伏であります。宗祖ならば、今成先生の解釈する勝鬘経の摂受を取らず、天台大師の「法華は折伏にして権門の理を破し、涅槃は摂受にして更に権門を許す」の説を採るのは当然と考えます。
聖徳太子も「勝鬘経義疏」において、勝鬘夫人の「我れ力を得る時」の力とは「重悪をばすなわち勢力を以て折伏し、軽悪をばすなわち道力をもって摂受す」と述べられていますが、宗祖が邪智謗法には折伏、無智悪人には摂受と説いているのと同じでありましょう。
今成先生は、真撰遺文類で「摂受」「折伏」について述べている御書は五篇あるとして、両語の数を勘定されていますが、信仰の書を読んでその意趣を解そうとする者にとっては、理解できないものであります。要は、宗祖の一々の御書が折伏的であるのか、摂受的であるのかが判断の基準となるのではないでしょうか。ならば、昭和定本の索引を拾って、たった五篇しかない遺文を引き合いに出さなくとも、真蹟もある重要な五大部を中心に見るべきであると考えます。その上で、今成先生が宗祖は摂受が本意であったと言われるのならば、その内容を示して頂きたいと思うのであります。
4 真蹟五大部
「立正安国論」には、「悪侶を誡めずんば、あに善事をなさんや」(定214)「涅槃経に云わく、もし善比丘あって法を壊る者を見て、置いて呵責し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の怨なり。もし能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり。」(定219)「謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば、国中安穏に天下泰平ならん。」等々であります。立正安国論も、真撰遺文でありますが、今成先生の言われるように摂受の内容が数量的にも対等に扱われているわけではありません。
「開目抄」は、「仏法は時によるべし。」(定609)と法華行者の折伏の正当性を一貫して述べているものであります。法華経を引いて「もし仏の滅後に、悪世の中に於いて能くこの経を説かん、これ則ち難し等云々。日蓮が強義経文には符合せり。」(定549)「今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。」(定557)
法華経に説かれたる三類の怨敵を揚げられ、「無眼の者、一眼の者、邪見の者は末法の始めの三類を見るべからず。」(定597)と喚起されるのであり、「詮するところは天も捨て給え、諸難にもあへ身命を期とせん。」(定601)と覚悟を述べられ、「今日強盛に国土の謗法を責むれば、この大難の来るは過去の重罪を今生の護法に招き出せるなるべし。」と懺悔されているのであります。
「たとえ山林にまじわって一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず摂折の二門を弁えずいかでか生死を離るべき。」(定607)は、今成先生が宗祖に山林棲居を摂受とする思想はないと、如説修行抄を否定されたましたが、これと同じ意味であると考えます。また、立正安国論と同じく「涅槃経に云わく、もし善比丘、法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の怨なり〜」「章安云わく、仏法を壊乱するは仏法の怨なり、慈なくして詐はり親しむは是れ彼が怨なり、彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり、よく呵責せば是れ我が弟子、駈遣せざらん者は仏法の怨なり等云々」(同)と続けられるのであります。
「観心本尊抄」は、地涌菩薩の自覚を促すものであります。「末法の初めは、謗法の国にして悪機なる故に之を止め、地涌千界の大菩薩を召して〜。また迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる故なり。」(定716)「経に云わく〜毒気深く入って本心を失へるが故に〜」(定716)「分別品に云わく、悪世末法の時」「今の遣使還告は地涌なり」(定717)
「今末法の初め、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失い、天地転倒せり。〜此の時地涌の菩薩、始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。因謗堕悪必因得益とは是なり。」(定719)釈尊の久遠の弟子を自覚する者は、地涌の菩薩であります。
地涌の菩薩は、悪世に大難を耐え忍びながらも、本心を失って、そんなものは要らぬと言う者に、もはや他に依るべきものはないと法華経を服せしむのであります。因謗堕悪必因得益とは謗法の因によって悪に堕ちいる者も、必ず謗法の因によって利益を得ると言うことであります。即ち、謗法の者にあえて対置して法華経の縁を結ぶ折伏逆化であります。
「撰時抄」には、「それ仏法を学せん法は、必ず先ず時をならうべし。」(定1003)「天台云わく(文句)、時に適うのみ。章安云わく(涅槃経疏)、取捨宜しきを得べし、一向にすべからず等云々。釈の心は或る時は謗じぬべきには、しばらくとかず。或る時は、謗ずとも強いて説くべし。或る時は一機は信ずべくとも、萬機謗ずべくばとくべからず。或る時は萬機一同に謗ずとも強いて説くべし。」(定1004)
今成先生は、宗祖の根拠とする仏説は勝鬘経であるとされましたが、勝鬘経の教化における摂受・折伏の差別は、相手の機によるものであります。しかるに撰時抄では、法華経を説くにあたって経説に機に依るもの、機に依らざるものがあるとし、「せんずるところは機によらず」「仏眼をかって時機をかんがへよ」(定1005)とし、大集経によって末法闘諍言訟して白法穏没せん時を優先させるのであります。その時とは、強いて説くべき時であります。強いて説くとは、折伏の義であります。
「智と申す小僧一人あり。〜南北の邪義を破りて、一代聖教の中には法華経第一」(定1012)「最澄と申す小僧出来せり、〜此を申すならば喧嘩出来すべし、もだして申さずば佛誓にそむきなんと〜」(定1014)と、天台大師、伝教大師の呵責謗法を揚げ、仏法を滅ぼすものは、仏教の外に非ずして内なるものであると、他宗に対する批判が行われるのであります。
「報恩抄」には、「愚眼を以て経文を見るには、法華経に優れたる経ありと云はん人は、たとひ如何なる人なりとも、謗法は免れじと見えて候。しかるを経文の如く申すならば、いかでか此の諸人仏敵たらざるべき。」(定1198)とあり、「智法師と申す小僧出来せり。」(定1201)「最澄と申す小僧あり。」(定1207)と、御先師のその呵責謗法を揚げ、今日蓮が時「謗法の人々も国に充満せり。日蓮が大義も強く攻め懸かる。修羅と帝釈と、仏と魔王との合戦にも劣るべからず。」(定1223)
「法華経には『我身命を愛せずただ無上道を惜しむ』と説かれ、涅槃経には『寧ろ身命を喪ふとも教えを匿さざれ』と諫め給へり。今度命を惜しむならば、いつの世にか父母師匠をも救い奉るべきと、ひとへに思い切りて申し始めしかば〜」(定1237)「正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮の智の賢きにはあらず、時のしからしむのみ。『我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮堤において断絶して、悪魔・魔民、諸の天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしめること無かれ等』云々。」(定1249)と仰られているのであります。
6 摂受と折伏の関係
宗祖の折伏が摂受と離れたものではないことは、その御遺文の内容が三類の怨敵に対して折伏的なものであっても、問答形式となってその宗祖の折伏に疑を生じて問う者には、摂受となっていることにあります。また、一般の信者に宛てられた御書が、大変に心温かなものであることからも容易に理解できます。「邪智謗法の者多き時は、折伏を前とす」とは、折伏のみを取るの意ではありません。三類の怨敵である悪世中の比丘並びにこれを外護する権力者、或いは内心は私利に惑い、国家国民の安泰など考えてもいないにも係わらず偽善を気取る宗教指導者を折伏・批判し、そして罵詈悪口あるいは刀杖を加えられながらも、何故にそこまで批判するのかと仏教に対して真摯な疑問を抱く人々に、懇切に道理を示して摂受していくものであります。
邪義多き時、正義を掲げれば、邪なるものは益々盛んに攻め立ててくるのは道理であります。これに屈せずして、正義を立てるのが折伏であります。この有り様を見て、如何なるかと問うてくる者を導くのが末法の摂受でありましょう。邪義に勢力ある時は、折伏に摂受を具足し、正義に勢力ある時は摂受に折伏を具足しているものであります。宗祖の本懐云々に、折伏・摂受に偏する差別があるのではないと理解するのは、仏教を習う者の当然のこと。宗祖の本懐は、本仏釈尊の本懐を広宣流布することのみであり、末法に仏教を護り復活させるためには、仏説によって「時」に応じて「折伏」を表としているのであります。
願わくば、今成先生の敢えて門下の通説に異論を掲げられたことは、宗門の活性となって、宗祖の精神を門下に復活させんとする機会になることを、期待致すものであります。
「この四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王と成って愚王を誡責し、(愚王に)摂受を行ずる時は、僧と成って正法を弘持す。」
(括弧)内は、意義に即して理解のために補足しました。日蓮門下において摂受を主張する者は、古くからこの一節を誤読しています。この文章を正しく読めば、日蓮聖人が僧侶として奏上された「立正安国論」が、当に愚王に対する摂受の書であることがよく分かります。これは、僧侶は摂受を以て正法を弘持すべきだと言ったものではありません。僧侶は、愚王を折伏など出来るわけがありませんから、愚王に対しては摂受を以て導くわけです。5W1Hが基本ですね。
追伸:日蓮宗勧学職の今成元昭師が、日蓮聖人には折伏の義は無いと主張し始めてから、早8年になろうとしていますが、今尚「○神」関係者の方々に後押しされて講習会等で次のように述べているそうです。
「佐渡より以降の御遺文には、不軽菩薩をもって『法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す』と言う理解を説いるものは無い。不軽菩薩は折伏逆化の修行者であると教示している明確な真蹟遺文を示してもらいたい。」
観心本尊抄には「今末法の初、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共にこれを失し、天地顛倒せり。迹化の四依は、隠れて現前せず、諸天はその国を棄ててこれを守護せず。この時地涌の菩薩、始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。『因謗堕悪必因得益』とはこれなり。」とあります。
「因謗堕悪必因得益(いんぼうだあくひついんとくやく)」とは、「法華文句記」から引用したもので、謗法の因によって地獄に堕ちいる者も、必ず謗法の因によって利益を得ると言うことであり、不軽菩薩品に説かれたことです。即ち、法を壊る者を呵責し強いて説く→折伏、法を謗る逆縁の者を順縁へ→逆化です。
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