ダスト
監督・脚本 ミルチョ・メンチェフスキー。主演 デビット・ウェンハム。
2000年ニューヨーク。あるボロアパートに空き巣に入った黒人青年エッジ。誰もいないと思っていたら住人の老婆がいて、鼻をへし折られ、銃をつきつけられ、昔話を聞かされるハメになる。
1900年。賞金稼ぎのルーク、弟のイライジャ。兄は銃の腕は一流、性格はキレやすい。弟は聖書を愛し、まじめ、兄から射撃を習い受ける。二人は同時にフランスから来た娼婦に思いを寄せ、弟のイライジャが結婚するが、ルークは嫁と隠れて会っていた。
2年後、ルークは愛用の銃、コルト・ピースメーカー「ルカの福音」を手に、単身ヨーロッパに渡る。
時代は新世紀幕開け。洗練化されていく社会。自分の身の置き所がなくなってきたのを感じるルーク。ある日、活動写真、オスマントルコの無法地帯、反政府運動家「教師」の懸賞フィルムを見て、ようやく自分の行くべき道を発見。「教師」の賞金首を目指し、マケドニアへ。
一方、イライジャも兄の消息を追っていて、トルコ軍に混じり、行動を共にしていた。
普通、ルークとイライジャに的を絞り話が進み、語り手の老婆や聞き手の黒人青年は出番なし、もしくは最小限、映画のはじめと終わり、それと物語の節目に出てくる程度なのですが、この映画は老婆と黒人のシーンが長い長い。それもどちらが本編なのか分からないくらいの比重。
一体何をたくらんでいるのか。とても無駄です。真正面からマケドニア西部劇をやるのもどうかな、と思ったのか、真実は人の口から語られると脚色されてしまう、みたいなことを示し、本編の多少現実離れした出来事も語り手=老婆の与太話なんだから大目に見てくれ、という弁解じみたものを感じます。
映画はすべて与太話であり、いい映画はよくできた与太話。現実ではないし、必ずしも真実でなくてもいい。なーんてことは誰でも承知している訳で、誰もあえて口にはしません。映画は虚構の世界であり、それをふまえた上で観客は感銘を受けたり、語ったりしているわけです。でもこの監督はあえて、虚構・与太話だから、と断りを入れています。大人げない。もしくはマケドニア西部劇で勝負するほどの勇気がなかった臆病者か、まじめすぎるのか、インテリぶっているのか、はたまたただのへそ曲がりなのか。
惜しい映画。本編の方は魅力があった、しかし、現代の話の方がすべて無駄(何一つ面白くないエピソード)。そのせいで本編も描き込み不足。物足りない。ルークが光っていただけに残念。
もし兄弟だけの話にして、神話だろうが、現実離れした出来事だろうが、監督が逃げずに正面から四つに組んで作り上げていたら、きっと「アントニオ・ダス・モルテス」級の映画になっていたことでしょう。少しだけ雰囲気はあります。傑作になり損ねた映画。あるいはこの手法のおかげでこの程度で済み、直球勝負だったら監督の力量不足が露見していたのかも。

一緒に見た人のコメント「兄貴のルークがかっこいい。弟はいきなりでてきていったい何なの? つまらない映画。「ダスト」と「es」似てない?いらない挿入シーンが多い、いらない女のシーンが多い、宣伝が詐欺、話自体がどうでもいい。「es」の方がひどさではだいぶ上だけど。「ダスト」も「es」も監督はおったきーの変態だと思う」



ゴースト・オブ・マーズ
米。監督 ジョン・カーペンター。出演 アイス・キューブ ナターシャ・ヘンストリッジ。
舞台は植民地化した火星。囚人を護送に行った警官グループのうち、副隊長のメラニーだけが意識を失い、ベットに手錠でくくりつけられて、列車が戻る。
すぐに委員会が開かれ、何が起きたかを証言する。鉱山町シャイニング・キャニオンの警察にとらわれている犯罪者ジェームズ・砂漠・ウィリアムズを護送するため、隊長ヘレナ、副隊長メラニー、ジェリコ、デスカンソ、バシラの5人は列車に乗る。街に着くと人の姿がない。探索すると、首なし死体が大量に発見される。
面白い! 最高! とにかく面白いです。これが単館なんてもったいない。しかも客席が100あまりの小さいところ。全国規模でもいいのに。今年見た中では「少林サッカー」と並ぶ、ひょっとしたら超えたかも、と思わせるくらいの出来。
はじめの方は回想シーンばかりでくどい感じがしましたが、敵の姿があらわになるころから物語が走り始めます。見せ場の連続。出てくる奴らが皆かっこいいです。パム・グリアーはほとんど見せ場がありません。でも他の役者が輝きまくっているので失点はなしです。
主演のナターシャ・ヘンストリッジのアクションも切れがあっていいです。自分にはバシラ役のクレア・デュバルと顔がウリに見えました。さすがに髪型が違うので間違えませんでしたが。
DVDの発売が待ち遠しいです。

一緒に見た人のコメント。「面白かった。パンフに書いてあるとおり、ロックな映画だった。仲間が殺されてもなんの情感もわいてなさそうなところが、無駄を省いた感じでよかった。ナターシャ・ヘンストリッジとクレア・デュバルが似てる? 全然似てない。ナターシャ・ヘンストリッジは美人で、クレア・デュバルはブス」
 


スターウォーズ・エピソード2
監督・脚本・制作総指揮 ジョージ・ルーカス。主演 ナタリー・ポートマン。
前作エピソード1から10年後、成長したアナキンとアミダラが再会を果たす。暗殺事件がもとで護衛にジェダイ見習いのアナキンがついたのがきっかけ。2人は恋に落ちる。現実世界では共和国崩壊が始まっていた。
3分の2くらいは眠くてしょうがなかったです。アミダラとアナキンのロマンスもかったるいし、アナキンの母親の死もどうでもいいです。でもクライマックスはこれでもか、というくらい物量作戦、良かったです。眠気もふっとびます。お金を払って見る価値ありです。
最初の女賞金稼ぎがもう少し活躍するかと思えば、あっけない最期。ジャンゴ・フェットも同様。雑誌とかにずいぶん活躍するようなことが書かれていた(映画秘宝、スターウォーズに入れ込みすぎ。そんなに熱く語るような映画じゃないって。もっと気軽に見る類の映画なのに。他の記事は面白いのに、スターウォーズネタは青臭い)ので楽しみにしたら、それほどかっこよくもなかったです。ボバ・フェットの時も、もう少しこのキャラを大事にした方が、と思ったくらい、ルーカスは悪役には冷たいです。どちらかというと、観客の方が勝手にキャラクターに思い入れているだけ、のような気がしました。
ヨーダの活躍もたいしたことないです。期待はずれ。
見所はイマジネーション豊かな映像と、主役(だと自分は思いました)ナタリー・ポートマンのコスプレを含む大活躍です。
それと見ていて面白かったのは、結末が先に分かっていて過去のいきさつを後から見せていく、よくタランティーノが使う時間軸の解体を、1本の映画内ではなく、複数の映画を使って行っている点です。知っている結末に過程がうまっていく、まるでパズルが次々とはめ込まれていくようです。ってパズルは例えが間違っているかも。そんなにキチッキチッとしていなくて、ゆるゆる。アメリカ版「北斗の拳」と言ったところ。つじつま合わせの力業。
エピソード2、シリーズの中では一番面白かったです。ジャージャーの出番がへったのも良かった。いっそのこと出番すべてなくなっていればなおよかった。あのキャラクターはどうしても生理的に受け付けません。ライトセーバーで真っ二つにしてやりたいくらいです。

一緒に見た人のコメント。「面白かった。アミダラとアナキンのロマンスは要らない。それと母親の死もうざったい。みんなカットしてしまえばいいのに。ジェダイの一人一人の描写がもの足りないから、そっちに時間を割いてもらいたかった。せっかくペプシのボトルキャップを集めて、ジェダイ一人一人の名前を覚えたというのに不満。
ジャンゴ・フェットがかっこよかった。
それとアミダラ、アナキンに恋はダメよと言いながらその露出した格好はなんだ? さそっているのか? そんな格好していたら若者は暴走するに決まっているだろうに。
あと新宿プラザ、劇場発売のトート・バック、2000円の方が売り切れていたのは何だ? バカにしているのか? 上映期間中は売れよ。営業努力が足りない」

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