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グリーンベレー
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1968年米。監督・主演 ジョン・ウェイン。 カービー大佐率いる特殊部隊グリーンベレーの訓練、そしてベトナムでの大活躍。 この映画には今まで見たことのなかったベトナム戦争があります。ベトコンは女を強姦しまくり、子どもだろうが老人だろうが殺しまくり、若い男は徴兵。一方アメリカ軍は南ベトナム人を身を挺して守る。戦争に懐疑的だった記者も、現状を目の当たりにして、戦争賛成派にくらがえ。でてくるマスコット的男の子は、祖父をベトコンに殺され、愛犬を殺され、仲良くなったアメリカ兵を殺されて、とさんざん。ジョン・ウェインは男の子に、自分がついている、と慰めるラスト。うーん、感動すればいいのか、笑えばいいのか、とにかく異文化にふれたカルチャー・ショックのような物が襲い、自分は神経が麻痺していました。 だからといってこの映画、駄作というわけではありません。 なかなか面白かったです。戦闘シーンも、おもったほど悪くなかったです。ヘリコプターからの機銃掃射は迫力満点。人間串刺し、といった趣向もあり、中でも自分が唸ったのは、ジョン・ウェインたちが誘拐した北ベトナム軍の将校の搬送。車で、もしくはヘリコプターで運ぶのかと思いきや、なんと飛行機。将校に縄をくくりつけ、気球を飛ばし、その縄を飛んできた軍用機に引っかけそのまま宙づりで連れ去ります。豪快な場面、圧巻。もう笑うしかありません。アメリカ映画は奥が深いです。 それと車、シトロエンがでてきます。水中に没するシトロエン。あー、もったいない、と思わず声がでました。 戦意高揚映画ですが、当時はそうだとしても今はベトナム戦争は昔の話、今なら純粋にこの映画も楽しめるのでは?
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アラモ
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1960年米。制作・監督・主演 ジョン・ウェイン。 「1836年、当時テキサスはメキシコ領で合衆国各地から集まった住民もメキシコ市民と見なされ、大統領サンタ・アナは武力でもって独裁制を押し進めた。テキサスは圧政にたえるか、抵抗かの決断をせまられた」 劣勢のテキサス軍。体勢を立て直す時間を稼ぐため、トラビス大佐を頭に、アラモ砦に立てこもる正規軍と義勇兵合わせて185人。対するメキシコ軍7000人。13日間に及ぶ大攻防戦。 長い! ぬるい退屈な場面が決戦に入るまで約2時間も続きます。 ジョン・ウェイン演じる元下院議員クロケット大佐も、にやついたどうでもいい男。ロマンスも、手紙ネタもひどい出来のコントのよう。それよりもトラビス、ジム・ボウイ両名の方が、エピソードもキャラもかなりいいです。特にトラビスは造形が深い。魅力的。男らしいです。彼の態度に、義勇兵はただの一人も退かずに残ることを決意するシーンは少し感動してしまいました。 「アメリカの正義」とやらが主題のようです。ずいぶん攻防戦に入る前はサンタ・アナと、率いるメキシコ軍をけなしていましたが、メキシコ軍は夜襲もかけず、正々堂々と宣戦布告(テキサス軍は言葉ではなく大砲で返答)、本隊が到着していつでも攻撃を仕掛けられるのに、砦に婦女子がいると知ったサンタ・アナは非戦闘員を立ち退き勧告、攻撃を待機させます。 一方テキサス軍は、夜襲、不意打ち、背後からナイフでのどをかききり食料横取りと、理想高々の割には手段を選びません。 それといくら昔の話とはいえ、まったく兵士が兵士らしく見えません。職業軍人なら、動きももっと訓練されているはず。エキストラも、主役のジョン・ウェインたちも訓練不足。動きがもっさりしていて、臨場感がありません。ただ爆破が画面のあちこちで起きているだけです。
映画を見て知ったのですが、当時はまだ銃は単発式だったようです。ジム・ボウイが奇妙な連発式銃を持っているだけです。 ちなみに西部劇のガンマンがよく使用しているコルト・ピースメーカーがアメリカ陸軍に採用されたのは1873年のことらしいです。
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シェルブールの雨傘
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1964年仏。監督・脚本 ジャック・ドゥミ。主演 カトリーヌ・ドヌーブ。 シェルブール・港町、石畳、雨が降り色とりどりの傘が行き交うオープニング。テーマ曲がとても物悲しいです。 1957年11月。自動車修理工のギイ(20才)と傘屋の娘ジュヌビエーヌ(16才)の若いカップルが主人公。二人は将来結婚しよう、ガソリンスタンドを二人でやろう、と夢をふくらませまています。 ジュヌビエーヌの母親はギイとの結婚は反対。一時の熱情にうなされているだけ、ギイには生活基盤がない、分別を持て、それにギイは兵役義務がありアルジェリアに行っている間に心変わりする、とたしなめます。 「あなたなしでは生きていけない」と嘆くジュヌビエーヌ。 駅舎で別れを惜しむ二人。ついに列車は走り出します、シェルブール駅にジュヌビエーヌを置いて。二人は離ればなれに。。。 昔、まだ10代のころ見たときは、何歌ってんの? とそのスタイルにびっくり、それとジュヌビエーヌがとても愚か、無節操な女、ギイも未練たらしい卑小な男、という印象であまりいいものではありませんでした。 でも30才になるころ再見したら、もう涙涙です。 昔は、他の男の子供を孕んだ女をもらい受けるカサールも、頭弱いんじゃないの? と思っていましたが、年を取ってみると、なんと器の大きい男だ、男らしい、男はかくあらねば、とまるっきり感想が違います。 愛とか失恋の雰囲気、好きになるのも、離れていくのも、「どうしようもない」感じがうまく伝わってきます。名作。歌ばかりの構成も見ているうちになれてきます。気にならなくなります。 恋愛はとても個人的なのだけれど、当人にとってはそれが世界のすべてになりうる、というのがこの映画を見ると分かります。 恋愛におぼれて傷ついたりしても、結果がどうであろうと、見ている観客の自分らよりも、例え愚かしくても主人公の二人の人生の方が数段上等です。
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