絞死刑
昭和43年。監督 大島渚。
内容は映画内の言葉で言うと「Rの肉体は死刑を拒否した」に始まり、「RはRであることを試みる」を経て「RはすべてのRのためにRであることをひきうけた」で終わります。
詳細な死刑執行シーン。朝鮮人のRは二人の婦女暴行殺人のために処刑されますが、失敗。死ねなかったRは記憶喪失に。心神喪失状態では刑の執行が出来ないので、RにRであること、罪を認識させようと教育部長、所長、医務官、教会師、保安課長、検察官、検察事務官らがRの生活、犯行を再現した芝居を始めます。
貧乏、ゆがんだ家庭、差別、空想をすることにより何とか生き続けているRの日常が浮かび上がります。
人を殺すのは悪? 死刑で人を殺すのは悪? 国家とはなんだ? クライマックスは黒い日の丸をバックにクローズアップの応酬。

なくなったカット。
自分はこれを高校生の時に映画館で見ているのですが、その時に見たカットがDVDでは削除されていました。想像力の乏しい者には見えない女、小山明子が抹殺されるシーンでのこと。保安課長が足にすがりつく女を発見、残すところ女が見えないのは登場人物の中では検事のみ。首を縄でくくられ、女が落ちる瞬間に「見えた!」と検事が言ったはずなのですが、DVDでは女が落ちるとすぐ「RはRであることに到達する」と文字のカットになってしまいます。
佐藤忠夫著「大島渚の世界」で調べてみると、確かに自分の記憶違いではなく、その台詞のカットはあったはずです。何で削除されたのでしょうか?

1958年に実際に起きた小松川高校事件に材を得て映画を作ったそうです。若き日の大島渚の才気と情熱がほとばしるような映画です。昔の大島渚は大変オススメです。「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」ここら辺しか見ていないのですが、どれも決して「きれい」「上品」とはほど遠いいびつな作りですが、エネルギーがグツグツと煮えたぎるような印象がします。


切腹
昭和37年。監督 小林正樹。出演 仲代達也 三国連太郎 丹波哲朗。
時代劇の傑作。自分が今まで(2002年2月現在)見た時代劇の中で五指に入ります。
この映画、素晴らしいところばかりなのですが、特に力が入っているのは脚本。よく練られていてこれだけ話術の優れた映画は他に類を見ません。これを見ると、この凝った話術を堪能できる、日本語で思考する日本人に生まれてきてよかった、と自分は思いました。おおげさ? そんなことはありません、この映画を見れば話術、台詞、言葉の凄さが分かります。
それと主人公仲代達也の気迫に満ちた演技、対するは三国連太郎+丹波哲郎、どの役者も重厚な演技です。仲代達也の腰の重心を落として歩く様は、まさに剣豪といったところ。
物語の構成は回想シーンをふんだんに使い、ちょっとミステリーっぽい、パズルが1ピースずつカチッカチッとはめ込まれていくような、終盤にさしかかって全貌があらわになる仕組みです。
話は井伊家の江戸屋敷に仲代達也扮する食い詰め浪人、津雲半四郎がこのまま生きていてもしょうがないので最後はせめて武士らしく死にたい、当家の玄関先を切腹に使わせていただけないかと申し出てくるところから始まります。
家老(三国連太郎)は思いとどまらせようと、最近同じように井伊家の屋敷に来て切腹を願い出た若者の話をします。当時浪人たちの間では武家屋敷にいき切腹をさせてくれと願い出て、お金をせしめるのが流行していました。井伊家はこの若者もそんなタカリの一人と見透かしながらも、切腹の用意をして、当てがはずれた若者が「一両日だけでも待ってくれ、かならずここに戻るから」というのを受け入れず、半ば強引に切腹に持っていきました。しかも若者の脇差しは竹光。刀は武士の魂、最期は自分の刀で、と井伊家はその竹光で切腹を強要。竹光での切腹シーンは凄惨の一言。ホントにむごいです。
実はその若者は仲代達也の娘婿で、仲代達也は自分が死ぬ前に井伊家から詫びを、せめてあのときは行き過ぎたことをした、とわずかばかりの反省を聞き、それを冥土のみやげにしようとしていたのです。
大名取りつぶしにあって食い扶持を失いその日暮らし、元気なうちはそれでも幸せだったが、娘は無理を重ねたせいで体を壊し、追い打ちをかけるように赤ん坊も高熱を発する。薬代もなく、現金化できるものもない。追いつめられた娘婿。と、事情を語ります。
井伊家はもちろん自分の非を認めるどころか仲代達也に武士道を説き、タカリにきた娘婿は武士にあるまじき行為、武士の風上にも置けないとバッサリ。
すると仲代達也は反論に出て・・・

昔、もう15年以上前に見たときの自分の感想は「仲代達也かっこいい。でも逆恨みっぽくない?」でした。でもそのころの両親の庇護を受けている少年だった自分と、生活臭の漂った(それほどは苦労していませんが)中年になった今では、年齢を重ねた違いが出て、生活していくことの大変さの片鱗をかじっている分、貧乏浪人の心情が分かり、完全に仲代達也側の視点で映画に見入っています。
貧乏ゆえに恥も外聞もなくなる、恥や外聞なんかよりも人間として大切な物がある。仲代達也は娘婿が武士の魂というべき刀を質に入れていた事を知ったときにそのことを悟り、衣食住足りてる井伊家の武士たちには理解できず、むしろ侮蔑しています。
生きていくために捨てられるプライドはただの見栄であり、最後の最後まで捨てられずに残ったプライド(人間の尊厳)は死を賭してまでも守らなければならない、と言う事がこの映画の主人公から伝わってきました。






仮面ライダー555 パラダイス・ロスト
仮面ライダー555の劇場版。テレビは見ていなかったのですが、甥っ子と一緒にビデオを借りて見たらはまってしまいました。
仮面ライダー・シリーズは戦隊ものと較べたらはるかに大人向けの内容です。
クウガもアギトも龍騎も。
555の内容は人類の進化系オルフェノクと旧人類の戦い。仮面ライダーとはオルフェノクの特殊武器にすぎない、という設定。この映画では人類の残りはわずか2千余名。人類側のレジスタンスのリーダーの真理は救世主555が現れるのを待っていた。
設定は面白かったのですが、映画の出来は予算、日程を多少考慮してもほめられたモノではありません。
まぁしょせん子供向け、と割り切り目くじらを立てるのもどうかとおもいますが、人からお金を取る以上、もっと真剣に作るべきでなかったのではないかと憤りを感じました。
同じ劇場版ならアギトや龍騎のほうがクオリティは高かったです。
555の中で特にひどかったのはエキストラ。素人丸出し、ていうか彼らには罪はなく、もうちょい制作側にしきりのできる人を用意できなかったのかと悔やまれます。
緊張感がまるでなく、見ているこっちが気恥ずかしくなってくるような、まるきりかみ合わない演出。
良かった点は結花が死ぬところ。お前はベルバラのアンドレか? とツッコミたくなりましたが、唯一の感動場面です。
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