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少林サッカー
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香港。監督 チャウ・シンチー。主演 チャウ・シンチー。 八百長事件でサッカー界を追われたファン。かつてのチームメイトの元でパシリとして生活している。ある日、ファンはゴミ拾いの青年シンと会う。シンは少林寺拳法を世に広めたい、と願いゴミ拾いをしながら普及活動を続けていた。 ファンはシンの人並みはずれた脚力に目をつけ、サッカーをやらないかと誘う。シンもサッカーにより少林寺拳法が広まるのではないかと考える。ついにここでサッカーと少林拳法が邂逅を果たす。 シンとファンはチームメイトにと、かつてともに少林拳法を習った兄弟弟子を訪ねて回る。弟子時代とは変わり果てた姿の兄弟弟子たち。しかもシンの誘いを皆断る。。。 最高に面白い映画です。主人公の生き様もとてもいいです。人間は常に前向きに生きて行かなくては先には進めない、と映画は教えてくれます。 CGも凄い。技術も凄いんだろうけど、あくまでも技術であり、使うのは人間、そして優れたイマジネーション。少林サッカーは素晴らしい。何で日本でこれをやらなかったのか? これなら「リングにかけろ!」を完全映画化できるはず。誰かやってくれないかなぁ。 ヒロインもよかったです。3パターンとも笑いがあって面白かった。 ギャグにもキレがあり、見ている間中笑いっぱなし。笑いながらも、感動によって熱くなれる映画でした。 それと自分は見ている間中、本気であの脚力が自分にもあったらなぁ、と思っていました。
一緒に見た人の感想「ヒロインが良かった。スパイダーマンの彼女がいいと思っていたけど、抜いたね、少林サッカーのコが今年の主演女優。主人公の考え方に共感。いい映画だった」
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ワンス・アンド・フォーエバー
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アメリカ。監督 ランダル・ウォレス。主演 メル・ギブソン。 1964年、アメリカ軍基地にハロルド・G・ムーア中佐がステーションワゴンに家族を乗せて赴任してくるところから映画は始まります。その基地でベトナム戦に向けた部隊を訓練。ヘリコプターを使った新戦略、新兵器M16ライフルを武装し、ベトナムに乗り込む。 1965年11月14日。ハル・ムーア中佐率いる第7航空騎兵隊は南ベトナムの中高地、イア・ドランの谷に降り立つ。戦略的にも重要な地点。この「死の谷」と呼ばれる地区を制圧しようとしたのだが、アメリカ軍395人に対して2,000人もの北ベトナム軍にその場所は包囲されていた。猛攻を受けるムーアたち。戦闘は激しさを増し、昼夜とわず続く。次々と命を落としていく兵士。 一方、ムーアたちの家族のいる本国の基地。死亡通知を軍の不手際でタクシーがやっていた。ムーアの妻はその仕事を引き受け、死亡通知を渡して回る。 自分は結構楽しめました。ベトナムでの戦闘シーンがいい。プライベート・ライアン以後の戦争映画らしい、バーンという銃声と血しぶきではなく、トスットスッ、とか、パシュッパシュッという音とともに体に穴があいていく描写。プライベート・ライアンを相当研究したはず。 この監督はこれがやりたかっただけです。物語のきれい事や雑誌のインタビュー記事はすべてこれをやるための免罪符、隠れ蓑にしかすぎません。おそらく家族の描写やムーアの美化がなければ制作のGOサインがでなかったと思われます。アメリカの観客も見たがらないのでしょう。だから自分はとってつけたような家族の描写も許せます。ムーアの人種問題をからめた嘘くさい演説も、ヒーローじみた行動も。しかしあの奥さん同士の会合はあまりにも偽善じみていてむかつきました。奥さんも気色悪い。何様のつもりなんだか。ベトナム人が英語でメモを書いているのも変。わざわざその兵士の死体から手帳を取り出すのも変。一応、ベトナム人への配慮だろうけど、アメリカ人はこれで満足? 無駄肉をそぎ落とした「ブラック・ホーク・ダウン」のような構成のディレクターズカット版がでればいいのに。戦闘シーンは「ブラックホーク・ダウン」を超えていました。 しかし、メル・ギブソン老けたなぁ、それとアメリカ人はちょっとやばいのかも。あまりにも自分たちに都合が良すぎる。観客も作り手も。世界の中心はアメリカと考えている、それどころか世界そのものがアメリカと思っているのかも。それくらい思い上がっているのが伝わってくる映画の構成。アメリカ(だけではないかも)は反骨的な70年代映画から四半世紀を経て、再び保守的・偽善的な時代に逆もどりしているのかもしれません。 戦闘シーン以外は学芸会並。恥ずかしげもない都合の良い自己賛美の嵐。でも戦闘シーンだけでも見る価値あり、です。自分はこれだけでも満足。
一緒に見た人のコメント「感情移入が全く出来なかった。眠りそうになった。奥さん連中が気持ち悪い。パールハーバーみたい。ステレオ・タイプの家族、くだらない鼻につく演説。ベトナムだけの場面をやりたかっただけ。それも何がどうなって、誰がどうなったのか全く分からなくて退屈。まさかとなりで釘付けになっている人(自分のこと)がいるとは思わなかった」
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es
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ドイツ。監督 オリバー・ヘルツェヴィケル。主演 モーリッツ・ブライプトロイ。
タクシー運転手の主人公。新聞記事に載った「被験者求む。模擬刑務所で2週間の心理実験。報酬は4000マルク」という大学の募集広告を見る。元記者の彼は出版社に記事を買い取らせる契約をとりつけ、実験に潜入する。
男ばかりの被験者20名。看守役と囚人役にわかれ、実験がはじまる。はじめはなごやかな雰囲気だった実験も、主人公が記事のネタほしさに看守役たちを挑発することにより、しだいに息詰まる状況へと変わり始める。
そんなには面白くない、もう1度(ただでも)見たいとは思いません。駄作。
実験の場面を見せてくれるのかと思いきや、どうでもいいような女との回想シーンや、アクション活劇に転嫁してしまいます。その活劇部分もくだらない。暗室も(なんでドライバーが都合良くころがってるんだ?)、あの女も。何もかもがダメ作品。
看守役や囚人役におかれた人の感情の変化・心理描写はいっさいなし。あれよあれよと話は進みます。
だいたい主人公がたきつけなければ看守役は凶暴にはならなかっただろうに、と思えてきてしまうこと自体失敗なのでは? 「人間は置かれた環境によってどう変化するか?」が、雑誌とかの記事をみてこの映画のテーマだと思ったのですが、まったく関係ありませんでした。期待はずれ。マスコミもたぶん配給会社に金をもらった、ただの提灯持ちでしょう。自分はそれに踊らされてしまったわけです。残念。
パンフもむかつきます。心理学実験の恐怖、ナチスの影響みたいなのが、はずかしげもなく書いてあります。それとパンフ内で映画を絶賛している三池崇史、人が持ち上げるほどたいした監督じゃないんじゃない? それと宮本亜門、近藤サトらは別に今回だけではなく、元々ろくなモンじゃない。(ついつい口が悪くなってしまうくらい、むかつく映画。たぶん商売上手な戦略がなければ、こんなにはいらだたずに済んだはず。でも、まじめな映画っぽい宣伝をしなければ、自分は見に来なかった。ということは戦略的には正解)
映画館はすごく混んでました。あやうく立ち見になるところ。40分も前についたのに、席は1番前しかあいてませんでした。
一緒に見た人の感想。「つまらない。あの女いらない。実験に重点が置かれてない。ちっとも怖くない。座布団(席からあぶれた人に映画館側が提供)で見てた人はいったいどんな気持ち? こんな映画じゃ怒っちゃうんじゃない?
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