男と女
1966年仏。監督 クロード・ルルーシュ。出演 アヌーク・エーメ ジャン・ルイ・トランティンヤン。
レーシングドライバーをしている、妻に自殺され先立たれたジャン・ルイ・デュロック。映画の記録係をしていて、スタントマンの夫を事故でなくしているアンヌ。それぞれの子どもが同じ寄宿学校の生徒。面会に来て汽車に乗り遅れたアンヌをデュロックがパリまで送り届けたのがきっかけで二人は恋に落ちる。
モノクロとカラーの交差。別に回想シーンがモノクロ、というみたいな法則はなく、現在だろうが過去だろうが、リズムに乗って画面が切り替わります。とても斬新。
でもあの「ダバダバダ、ダバダバダ〜」とか言う音楽はうざいような。
当時は新車だったんでしょうが、今となってはヒストリック・カーが大挙出てきます。主人公が乗っているのはムスタング。モンテカルロ・ラリーではミニ・クーパーが優勝。シトロエンが出ているし、そのほかにも名前が分かったのだけでもポルシェやらルノーが(不明の車多数)。レース・シーンでなくても主人公二人を乗せたムスタングの後を2CVが走っていたり。ムスタングは雨が降ると視界が悪そう。
アンヌ役のアヌーク・エーメが美人。アンドロイドのような美人。1932年生まれ。と言うことはこの映画の時は34才。とても見えないです。この文章を書いている自分と(2002年6月)同い年。うーん、驚き。自分の方がかなりオヤジ。これが凡人とスターの差でしょう。
この映画を見るとフランス人がやたらかっこよく見えます。それと子どもが可愛いのは万国共通。電話が直通ではなく、交換手がいるのもなんとなくおしゃれ。車にも乗りたくなります。やたら主人公が車で移動していて、車で長距離を移動するのもなかなか乙なもので、と思えてきます。
甘ったるい映画が苦手な人も、車目当てに見ては?






アラビアのロレンス
1962年英。監督 デヴィット・リーン。主演 ピーター・オトゥール。
1935年モーターサイクルに乗る男が自転車をよけて事故死。映画はその男の生前の姿を映していきます。男の名前はT.E.ロレンス。貴族の父を持つ私生児。英国軍人、カイロに勤務。軍の中でも変わり者で通っている。他の英国軍人にはなじめずにいる。
ある日、アラブの情勢を探れと指令を受け、アラビアに潜入。アラブとトルコ軍が交戦中。イギリスはアラブに肩入れをしていた。
ロレンスは砂漠をわたり、ファイサル王子と会う。トルコ軍の近代兵器の前に為す術のないアラブ。戦況は劣勢。情報収集の任務を逸脱して、ロレンスは王子にアカバ攻略を持ちかけ、50人の兵士を借りて死の大地を横断する。砂漠に、アラブに魅せられていくロレンス。ついに現地民さえ無理と考えていた横断に成功、敵の背後を突き、奇跡を起こす。
雄大な映画。スケールが大きいです。クローズアップも大画面に合わせてほとんどありません。せいぜいカメラはよっても上半身くらいまでです。
砂漠の美しさ、怖さが印象的。死の大地横断のとき、途中井戸なし、持参の水のみ、ラクダにやる分はない、ラクダが死ねば人も死ぬ、という状況。でもそんな中でもロレンスは貴重な水を使ってひげを剃っている。イギリスにはなじめないながらも、どこまで行ってもイギリス人なロレンス。中途半端な主人公。アラブを愛しながらも、どこか見下していて、主人公の存在自体が矛盾そのものを現しています。
中学生の時、初めてテレビでこれを見たとき、「つまらない映画」と思いましたが、今回(2002年6月34才)も感想は同じです。
映画自体どこか上品ぶった所があり、アクションも迫力がないし、スカッとしません。主人公もろくなやつではなく、しかも始終難しい顔で悩んでいるか、わがまま言って調子こいているか。アカデミー賞7部門獲得も何かうさんくさい、審査員の見る目がないのか、この年が不作だったのか、はたまた(この可能性が一番高い)自分の見る目がなくてこの映画の良さがわからないだけなのか。




ラスト・ショー
1971年米。監督 ピーター・ボグダノヴィッチ。主演 ティモシー・ボトムズ。
1952年、場所は「この町には退屈しかない」と言われるテキサス州アナリーン。主人公のサニーはダメ人間の父親を持ち、アメフトの試合では負けまくり、彼女のシャーリンともしっくりいかずわかれ、車はオンボロトラックという、あまりぱっとしない高校生。
仲のいいのは頭の少し弱いビリーと、車を共有していて、デートの時は優先的に使ってしまうデュエーン。
ビリーの父親は映画館ロイヤル劇場、レストラン、ビリヤード場を経営するサム。
デュエーンの彼女は美人のジェイシー。ジェイシーは好きな男が出来ると簡単にデュエーンを捨て、男が処女が嫌いと分かるとデュエーンを利用、そしてまた別れ、男が結婚をしてしまうとやけくそになり、サニーを誘惑して駆け落ちをしむける。
サニーは高校の教師の妻40女と不倫をして、ジェイシーに誘われるといい気になり、まだ未練たっぷりの友人デュエーンとジェイシーのことで殴り合いのケンカ、40女を捨ててジェイシーと駆け落ち。でもジェイシーにはそんな気はなく、あっけなく連れ戻されてしまう。ジェイシーは父親の運転する車で、サニーはジェイシーの母親の運転する車で。その時に、昔、サニーと不倫していたと、ジェイシーの母は言う。
映画は終末へと静かに向かう。昔のままではいられない主人公たち、そしてロイヤル劇場も。
アメリカの田舎町。何もないへんぴなところ。でも一皮むけば、ツインピークスばりのドロドロした世界。街を出ていく者、残る者、死ぬ者、朝鮮戦争の影、テレビの普及にしたがい廃れる映画、ロイヤル劇場も最後の映画を上映する。こんな何十年と取り残されてきたような街にも時代の終わりがやってきます。
川辺での釣りのシーンが秀逸。いるのはサニー、ビリー、父親のサム。サムはサニーに昔、20年も前にある女(あとで分かるのがこれがジェイシーの母親)と不倫していたと語る。
「今でもあの女がここへ来ればおれはのぼせる。バカだと思うだろ? でもないのさ、あんな女にのぼせるのが一番利口なんだ。一番バカなのは何もしないで老いぼれる事さ」
非常に感銘を受けた台詞。それを言うサム/ベン・ジョンソンはこの映画でアカデミー助演男優賞をとったそうです。とても味のある役柄。彼自身が時代そのものを象徴しています。
それと自分はジェイシー役のシビル・シェパードがよかったと思います。「タクシー・ドライバー」のベッツィ同様、ひょっとしたら美人でむかつく役をやらせたら天下一品なのでは?

「ギルバート・グレイブ」といくつか設定が似ているところがあります。頭の弱い少年、主人公の中年女との不倫、退屈な田舎町、ある重要人物の死と時代の終わり、街を出ていかない主人公。どちらが面白いかと言えば、自分は断然「ギルバート・グレイブ」の方。こちらにはジョニー・デップやディカプリオ、ジュリエット・ルイスらが演じた登場人物のような、愛すべき人物がいないからです。

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