夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その138 発行日   2013年3月17日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 3月に入って暴風雪が吹き荒れた結果、ベランダは2週続けて、雪で埋もれてしまった。それでも、中旬に入って、気温も平年並みとなり、降り積もっていた雪は、一気に緩んで、足元はシャーベット状の雪で、べちゃべちゃとなっている。春の陽気である。
 ベランダの雪もすっかり融けてしまった。窓から見える木には、3月になると見かけるカラスの番が、また巣を作ろうと場所探しをしている様子が窺える。今年の春は、一気に来そうである。
  言いたい放題
 自動車の飲酒運転などの悪質な交通事故に対する厳罰化は、遺族らを中心に強力に訴えられている。先月、昨年4月京都府で3人死亡、7人重軽傷を負わせた無免許運転の少年に対して、求刑より軽い刑の判決が出た(「京都府亀岡市で昨年4月、集団登校中の児童ら10人が軽乗用車にはねられて死傷した事故で、自動車運転過失致死傷罪、道交法違反(無免許運転)に問われた同市の無職少年(19)の判決が19日、京都地裁であり、市川太志裁判長は懲役5年以上8年以下の不定期刑(求刑・懲役5年以上10年以下)を言い渡した。(読売新聞より)」)。
 いつも、こんな記事を見ながら、“交通事故って何だろう?”と考えてしまう。法律を守らないという点においては、飲酒運転も無免許運転も、論外であることは疑いもないことであろう。ただ、法律を守らない悪質な運転による交通事故は、厳罰化によって根絶できるのだろうか。自動車の交通事故とは、そういうものではないと思っている。自動車事故というものは、自動車という重い機械が動くことによって、原因の如何に関わらず必然的に起こるものなのである。
 事故が起こると自動車の大きな運動エネルギーに、人間が勝てるはずもなく、死や致命的な傷を負うことになる。法律を守っても交通事故は、ある確率で起こる。交通事故を減らすには、私利私欲のためのマイカーの運転を、禁じるほかないのである。
  つくしんぼの詩
 1月の新聞記事である。「国立社会保障・人口問題研究所は18日、「日本の世帯数の将来推計」を公表した。全世帯に占める「単独世帯」(一人暮らし)の割合は、晩婚・未婚や離婚の増加などを背景に、2010年の32%(1679万世帯)から、15年に33%(1764万世帯)、35年には37%(1846万世帯)に増えると予測している。(読売新聞より)」
 3分の1の世帯が、一人暮らしの時代になった。65歳以上の高齢者世帯では、もっと高い割合になってゆく。世帯構成がこれだけ変わってゆくと、地域社会の在り方、都市の在り方、国の在り方は、今のままでは、各世帯の要望とそれを取り巻く社会との乖離が際立ってしまうだろう。一人暮らしでも、住みよい社会環境の整備が求められるのである。
  虫尽し
 この冬の札幌の降雪量は多い。毎回、親のところに行くときは、必ずといっていいほど雪かきをしている。3月となって気温も、プラスとなる日が多くなってきた。
 先日も、雪に埋もれた物置の雪かきをした。除雪した雪が、物置の高さまで堆積していて、もうそろそろ、雪を捨てる場所もなくなっている。雪かきを終え、戻ろうとすると、白い雪の上に黒い物体が落ちていた。近づいてみると、動き出したのである。大きなハエである。“えっ!どこから来たの?!”
  情報の小窓
『私たちは生まれたその日から学んでいきますが、しかし、「反抗」という怒りの種がドゥッバチャに変わると終わりです。なにも学べません。ですからドゥッバチャは、人間にとって大きな脅威となる怒りです。ドゥッバチャになった時点で人間としての成長はストップします。』
 サンガ新書「怒らないこと2」アルボムッレ・スマトサーラ著

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