夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その148 発行日     2014年1月19日
編集・著作者       森 みつぐ
  季節風
 今年、最初の寒波が来ているが、昨年に比べたら然程でもないようだ。親のところに行くとき、昨年から雪のシーズンは歩くことにしている。全く生き物の気配がなくなってしまう札幌の冬、その冬でも元気にしているのはカラスくらいであろうか。カラスの生命力には、いつも感心してしまう。
 歩道に積もった雪を除雪車が排雪してゆくが、所々で道を外れ、雪下から地面を掘り起こしている。そんなところを見ていると、緑色の葉を覗かせている草が見える。冬の間、こんな風にして春を待っているのだろう。もうすぐ冬も、折り返し点である。
  言いたい放題
 「昨年の全国の交通事故死者数は4373人で前年より38人(0.9%)少なかったことが6日、警視庁のまとめでわかった。死者数が前年より減少したのは、2001年から13年連続。ただ、65歳以上の高齢者は前年より39人多い2303人で01年以来12年ぶりに前年より増えた。(読売新聞より)」
 交通事故死者数が毎年減少していることは、大変喜ばしいことである。ただ、未だに毎年4000人以上の人が、便利さを追い求める人々によって命を奪われているという現実には納得していない。交通事故死の記事の数日後、「脊髄損傷 幹細胞で治療」という記事が載っていた。その中に、「脊髄は脳からの指令を手足に伝える重要な神経が集まる中枢部で、交通事故などで重い傷を負うと、手足に重いまひなどの障害が残る。…(省略)…毎年5000人増えていると推計している。(読売新聞より)」と。
 交通事故の場合、死者数だけが取り沙汰されることが多いが、寝たきりとなる重傷者数もかなりの数に上るのだろう。親が亡くなった場合は、交通遺児の問題も重くのしかかってくる。どう考えても私には、マイカーだけは納得できるものではない。他人の不幸の上にしか成り立たない幸福とは何だろうか。私には、そんな幸福は要らない。
  つくしんぼの詩
 会社の入ったころ、定年退職する人を、“60歳って、やはり老人だな!”と思いながら見ていたことを思い出す。今年、私も、その年を迎えることになる。いざ、自分がその年に近づいてきても、未だに、“老人”だなんて思うことも、感じることもない。65歳まで働く気になれば、働くことも何ら問題はないだろう。
 ただ、一労働者として働く気は毛頭考えていないので、今後も、今のままライフワークにいそしむことになるだろう。60歳を超えると、あっという間に老ける人、生き生きと生きる人、その差は歴然としてくる年齢でもある。それは、その人の生き方次第であろうか。
  虫尽し
 私が昆虫フィールドにしているのは、定山渓の林道である。昔からよく知られた昆虫採集の場所だが、採集している人とは、そんなに出会うことはない。私も一週間に一、二度の平日になので、そんなに見かけることはないのだろう。
 7月、ミドリシジミの季節に林道を歩いていたら、70代と思われる5〜6人が網とカメラを持って歩いていた。本州の方から、チョウの写真を撮りに来ていた人たちだった。“ちょっと、この坂きついな!”と言いながらも歩いていた。私も多分、70歳になっても網を手にして歩いているのだろうと思ってしまう。
  情報の小窓
『サンデルをはじめとする、コミュニタリアニズム論者に対しては、「コミュニティの多数派が間違った正義を信じていたらどうするか?」という批判的な問いが提起されることがある。これについて彼は、前述のように、相対主義的・多数派主義的なコミュニタリアニズム支持者でないことを明言している。サンデルにとって重要なのは、コミュニティにおける多数派の信念ではなく、あくまで「善」との関係における「正義」であり、このような「善」と「正義」は特定の時代の特定のコミュニティの多数派の考え方を超えたものである。』
 平凡社新書「サンデルの政治哲学 <正義>とは何か」小林正弥著

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