夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その15 発行日 2000年7月17日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 紫陽花も冴えなく萎れ始め、梅雨が明けたような天気が続いているが、夏本番は、これからである。5月、6月と翔んでいた春型のアゲハチョウは、姿を消し、もうそろそろ一回り大きな夏型のアゲハチョウが姿を現すだろう。
 そう言えば、私は夏というと、ギース・チョンと啼くキリギリスを思い浮かべる。子どもの頃、自作の大きな竹籠の中には、夏になると10匹位のキリギリスが夜通し啼いていた。風流を通り越して五月蠅いほどであるが、何故かぐっすり眠れる。残念ながら、ここ沼津近辺では聴こえてこない。
  言いたい放題
 なんと刺激や誘惑が多い世の中になったのだろうか。自由奔放な経済は、金儲けのためには、倫理観は二の次である。売れれば、それでよいのである。テレビ、雑誌、ゲーム、インターネットなどは、人間の本能をくすぐる刺激で満ち溢れている。こんな楽しいことはない。苦しみ悶えることはないし、なんと言っても自分のペースで楽しんでいられるのである。でもそれは、あくまでも仮想の世界である。しかし、いつしかそれを現実の世界で表現してみたくなる。自己の確立した大人は、善悪の判断が付くのかも知れないが、思春期の子どもは、このように氾濫する多様な価値観(情報)の中を、揺れ動くことになる。なんと言っても子どもにとって、魅力的な刺激で一杯なのである。
 子どもにとって、最初に出会う価値観や善悪の判断基準は、親からなのです。そして、子どもを取り巻く周囲の社会からなのです。ところが、その親や社会の価値観が怪しくなっている。また影が薄く(父性欠如等)なっている。子どもは、何を基準に自己の価値観を築いてゆけばいいのでしょうか。氾濫するメディアに、あなたの子どもを任せてしまっていいのでしょうか。
  つくしんぼの詩
 先日、衆院選があった。国の有様を決める選挙である。今、子どもの犯罪が日本を騒がしている。少年法の改正、教育制度の見直し等々政治に課せられた課題は大きい。然るにである、投票率は60%程度。子どもの明日を憂い、この国の明日を憂うならば参加すべきである。
 子どもを批判することは、容易い。政治(家)を批判することは、もっと容易い。しかしそれだけでは、片手落ちである。そんな大人を、子どもはしっかりと見ている。
  虫尽し
 クジャクチョウという、北方系のタテハチョウがいる。北海道では平地でも見受けられ、ごく普通にいるチョウなので、翔んでいても余り気にしていなかった。ところが本州中部では、このチョウは、山の中腹以上に棲みついている。林道を歩いていると、足元から突然舞い上がり近くに止まる。そして、”どうだ!”とばかり大きな目玉模様を見せびらかすのである。
  情報の小窓
 『日本的秩序ははっきり言って、我々の自我の弱さを基にしている。いや、自我の弱さを補うものとして機能してきたとも言える。なれあい、甘え、小さなサークルを作ってもたれ合う、などなど。しかし、最近、それが厳しく批判されてきた。・・・そこにギャップが生じる。それが現代のノイローゼの根幹を成しているのではなかろうか。』
 PHP新書「「心の悩み」の精神医学」野村総一郎著(医学博士)

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