夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その151 発行日     2014年4月20日
編集・著作者       森 みつぐ
  季節風
 去年に続いて、今年の冬も雪が多かったが、その雪も、日当たりの悪い民家の庭からもそろそろ消え去ろうとしている。そして日当りの良い庭や街路樹の下では、もうすでに福寿草やクロッカスの色とりどりの花を咲かせている。
 私の母が昨年、庭に植えた鉢に入っていたバラの木は、枝にいっぱい新芽をつけていた。雪の積もった冬を越せるかどうか心配していたが、しっかり庭に根付いたようである。もう一つ、塀際に昨年植えたカザグルマは、どうなっているのだろうか。今も、まだ雪に埋もれている。
  言いたい放題
 「少年により重大犯罪の厳罰化を柱とする改正少年法が11日午前、参院本会議で与野党の賛成多数で可決、成立した。成人なら無期懲役に当たる罪を犯した18歳未満の少年に言い渡せる有期刑の上限と、判決時20歳未満の少年に言い渡せる不定期刑(刑期に幅を持たせた刑)の上限を、いずれも5年引き上げた。5月にも施行される。(読売新聞より)」
 犯罪に対する厳罰化が様々な方面で進んでいるようだ。例えば、飲酒運転に対する厳罰化も、重大事故が起きるたびに進んでいる。ただ私は、厳罰化には疑問を抱いているので、良くは思っていない。厳罰化は、犯罪に対する強力な抑止力を期待してのことだろうが、厳罰化は、犯罪者を取り巻く社会に起因する要因を取り除くことを後回しにしていないかを考えてしまうのである。
 少年犯罪は、その少年の生まれ育った環境に、大きく影響を受けての結果であろう。少年犯罪は、少年の更生とそれを取り巻く社会に問題はないか、問題があるとしたらどう見直すかを考える機会とすべきであろう。犯罪者に対して厳罰という一面だけを捉えていては、社会そのものは良くなっていかない。まして少年が犯した罪に対しては、未来ある子どもたちを育んでゆかなくてはならない大人が、厳罰だけという対応では、全く話にならない。
  つくしんぼの詩
 以下の文は、「ユニセフ・ニュース vol.241」からの抜粋です。
 「昨年12月、ユニセフ・イノチェンティ研究所と国立社会保障・人口問題研究所は、「イノチェンティ・レポートカード11 先進国(31カ国)における子どもの幸福度―日本との比較 特別編集版」を発表しました。・・・日本の総合順位は6位しかし分野ごとのばらつきが目立つ・・・今回の報告書で浮き彫りになったのは、「物質的豊かさ」分野の順位の低さ(21位)で明らかになった、日本の子どもたちの貧困の問題でした。所得の面から、貧困状態にある子どもの割合を示す「相対的貧困率」は14.9%で22位、また、貧困の深刻度を示す『貧困ギャップ』では、26位となっています。さらに、所得だけでは表されない子どもの実際の生活水準を物質面から比較するために用いられた「子どもの剥奪率」においても18位と、子どもの貧困を測るいずれの指標においても、日本は下位に位置づけられる結果となりました。」
  虫尽し
 札幌でも、アカタテハとヒメアカタテハを見かけることがある。移動性の強いアカタテハの仲間だが、札幌で一年を通して生息しているのだろうかと思っていた。札幌の戻って来てから定山渓の林道を歩くようになって、アカタテハは、春から秋まで見かけている。
 アカタテハの幼虫の葉を綴った特徴的な巣は、エゾイラクサに見つけることができる。ただ残念なことに、この変わった性質のために札幌では、一度も蛹化や羽化に至っていない。そしてヒメアカタテハは、札幌に戻ってから一度も見ていない。
  情報の小窓
『つまり自分の不利になること、自分の不都合になることをやっているのは、すべて自分なのです。われわれは自分で自分の首を絞めています。それらはすべて無智がやらせているのです。私たちは「怒ってはいけない」と知っているのに怒ってしまいます。なぜだと思いますか?それが無智が隠れて怒らせているからです。無智が裏で手を回して怒らせるのです。
 自分の中にある無智というものが自分の敵なのです。「自分が自分を敵にまわしている」のです。「私が私の敵である」「己の敵は己である」というのはすごい言葉です。認めたくないと思われるでしょうが、これは自分を守ってくれるすごく格好いい言葉です。』
 サンガ新書「バカの理由」アルボムッレ・スマナサーラ著

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