夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その186 発行日    2017年4月23日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 先週から日当りの良い民家の庭には、福寿草やクロッカスの花が咲き始めていた。日当りの悪い親の庭には、先週はまだ30cmほどの雪が残っていたのだが、あっと言う間に融けて土が顔を出していた。これから遅い春の準備が始まる。
 豊平川の日当たりの良い土手では、フキノトウがかなり伸びてきていて、雪はもう、日当たりの悪いところにしか残っていない。街路樹の根元の土からは、チューリップの芽があちこちに出てきている。ゴールデンウィークまでには、あっと言う間に花々で彩られることだろう。
  言いたい放題
 “なぜ、人はこんなにも便利さを要求するのだろうか?何故、人はこんなにも物を欲しがるのだろうか?”大量生産・大量消費によるゴミ問題然り、高齢者による交通事故の問題然り、配達業などの残業問題然りである。自由と民主主義のせいなのだろうか、自分が一番というパンドラの箱を開けっぱなしにしたままのようである。自分さえ良ければという利己主義の蔓延である。
 何事にも善し悪しはある、表裏がある、長短がある。自分に都合のいいことだけを考え、そのことが社会にとって何をもたらすか考えることを停止してしまっているのである。思考停止状態である。マイカーは、その典型的な例であろう。便利で楽であることは誰でも認めるところだが、どんなことより優先しなくてはならない人を殺傷し、大気を汚染し地球環境を破壊することには見て見ぬ振りをする。24時間営業するコンビが出て来たときには、大きな違和感を持ったものである。
 人間性を喪失させる欲望の開放は、いつまで続くのだろうか。欲と欲とのぶつかり合い、きな臭さを増している戦争も然りである。社会が成り立たなくなり、国も成り立たなくなってしまう。自分だけではなく他人をも思いやる心が育たなくなったのだろうか。
  つくしんぼの詩
 4月になって自転車に乗り始めた。新しい自転車なので最初に乗ったとき、なんか前のとは感じが違っていて、ハンドルさばきが上手くいかなかった。すぐに止まって、まずはサドルの位置が低かったので少し高くした。勿論、座ったままでも、両足がしっかり地面に着く高さである。ハンドルが少し下がり気味のようであるが、最近の自転車は、みんなこんなもののようであった。慣れるのを待つしかないようである。
 私は、スピードを出さない。脚力には自信はあるけど、突然子どもが飛び出して来ても止まれるように徐行運転をしているのである。後ろに眼は付いていないので、極力車と並走する道路は避けるようにしたが、それが無理な道が多い。困ったものである。
  虫尽し
 冬も終わり最初に見かける昆虫は、大体がユスリカやハエなどの双翅目の虫さんである。私は、昆虫なら何でも好きで掴まえては標本にしてしまう。しかしながら名前を調べようとすると、なかなか双翅目の図鑑はない。
 昔からある昆虫全般が掲載されている図鑑では、一般的に良く見かける昆虫しか載っていない。でも最近では、今まであまり注目されて来なかった昆虫たちの図鑑が出版され始めてきた。もうそろそろハエやアブなどの双翅目の図鑑が出始める頃だろうと待っているのだけれど。
  情報の小窓
『それでも資本主義は資本が自己増殖するプロセスですから、利潤を求めて新たなる「周辺」を生み出そうとします。しかし、現代の先進国にはもう海外に「周辺」はありません。そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしているのです。
 象徴的な例が第一章で述べたように、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和です。サブプライム・ローンでは「国内の低所得者」(周辺)を無理やり創出して、彼らに住宅ローンを貸しつけ、それを証券化することでウォール街(中心)が利益を独占していました。日本では労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた社会保険や福利厚生のコストを利益にするわけです。』
 集英社新書「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著

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