夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その192 発行日   2017年10月22日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 10月半ばを過ぎ街路樹のイチョウの葉も、ここに来てかなり黄葉し始めてきた。また、もうすっかり葉を落としてしまった木々も見受けられるようになった。
 母の所のダリアの花は、今が一番花開いているようである。9月でもう終わりかなと思っていたのだが、10月になっても菊の花と一緒に咲いている。朝の最低気温が5℃を下回るというのに、意外と寒さに強そうである。でも北海道では、球根でさえ冬を越すことができないので、霜が降りる前に球根を掘り出さなくてはならない。
  言いたい放題
 「米ラスベガスで1日夜起きた「米国史上最悪」の銃撃事件は、殺傷能力の高い銃器が容易に手に入る銃社会の問題点を再び浮き彫りにした。・・・(省略)・・・米国では、銃規制は国論を二分する微妙なテーマだ。与党共和党は米国民に自衛の意識が強いことを尊重し、伝統的な銃規制に慎重な立場。一方、民主党は銃被害防止の観点から積極的な銃規制を求めている。(読売新聞より)」
 どうなっているのだろうか。銃は、人を殺すための武器である。犯罪者から身を守るために銃を持つことを許せば、結局、犯罪者にも銃が渡り、誰でも、何処でも銃撃事件が起こってしまうことは明々白々であろう。バカでもチョンでも銃を持てば、当然、気分次第で発砲ということになってしまうだろう。アメリカでは、そんなに人を信用することができないのだろうか。武器を持てば、必ず殺傷事件は起き、そして重大なことになる。日本でも銃の所持が認められたら、毎年重大な事件が起こってしまうだろう。
 また自動車も武器である。テロリストにより自動車を使って、多くの人たちが殺傷されている。テロリストでなくても、自動車という武器によって殺傷しようと思わなくても、銃の暴発と同様、不注意な運転により市民が市民を殺傷し続けているのである。どうであろうとも銃や自動車という凶器を扱う者は、慎重にも慎重を重ねる必要があろう。でも絶対に大丈夫ということはなく、人の命がかかっているのだから、そのような物を利用しなくても生活できるように工夫すべきではないだろうか。
  つくしんぼの詩
 やっとあおり運転などの悪質な運転が、メディアに取り上げられてきている。バカでもチョンでも取れる運転免許に問題があると思っている。運転技能が求められるのは当然だし、交通法規を学ぶことも当然である。
 そして問題となるのは、凶器である自動車を操る運転者の貧しい倫理観である。自動車に乗ると性格が変わるなんて、以ての外である。運転の不適格者であろう。そう言うところまで運転免許を発行する際は、判断する必要がある。そして悪質な運転をする者には、二度と運転させてはならない。私利私欲のためとか、あいつが気に喰わないからとか、人が人を殺すなんてことは、許されることではないのである。
  虫尽し
 10月に入って、かなり寒くなってきた。冷たい風も強くなっている。ベランダに置いた鉢の中の落ち葉は、強風に吹かれて囲いの中で、あっちに行ったりこっちに行ったりをして、蛾の蛹たちは丸裸になっている。エゾスズメは土に浅い窪みを作ってそこで蛹になっているので心配してないが、クロスキバホウジャクとバイバラシロシャチホコの蛹は葉っぱを粗い糸で綴ってその間で蛹になっていたのだが、今は、土の上に投げ出されてしまっている。
 先日確認したら、エゾスズメの蛹は体を捻ってまだまだ元気のようだった。ベランダには、始終雪が積もっていることはないので、冬の寒さに耐えられるかどうか心配してしまう。
  情報の小窓
『入に認められたいという願望は一種の中毒であり、麻薬の常用と似た危険をはらんでいる。一定量を服用し続けないかぎり、気分が悪くなって自己嫌悪におちいるからだ。人に認められようと躍起になって日々を過ごすのは、たいへん疲れる生き方だ。
 人に認められようとする習慣をやめるには、どうすればいいだろうか?確実な方法はひとつしかない。自尊心を育てることだ。自分で自分を認めれば、もはや人に認められる必要を感じなくなる。』
 ディスカヴァー携書「心の持ち方 完全版」ジェリー・ミンチントン著

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