夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その193 発行日   2017年11月19日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 木々は、すっかり葉を落としてしまった。歩道いっぱいにうず高く積もっていた落ち葉は、清掃されはしたが、相変わらず歩道にへばり付いているのもある。そろそろ雪の季節であるが、今年の秋は暖かい日が続いていた。
 私の部屋には、今年5月に種から育てた百日草が、今、一番多い10輪の花を咲かせている。せいぜい40〜50センチ程度だと思っていた草丈が、150センチ程まで成長している。こんなに大きくなるとは、思ってもいなかった。夏に付けた花は大きかったが、今はその3分の2程度の大きさだろうか。一年草だから10月には枯れてしまうと思っていたのだが、今が最盛期である。一方、母の所の菊は、先日の暴風雨でなぎ倒されてしまっていた。花は、もう室内だけである。
  言いたい放題
 最近、頻繁に聞くニュースは、「キレて、不祥事を起こした」事件である。多分、このような事件は最近多くなった訳ではないと思っている。ボイスレコーダーやドライブレコーダーが一般的になって、何処でも録音・録画される御時世になったからだと思っている。キレる人によって、以前から多くの不祥事が起きていることだろう。ただそれが、記録されることは稀有なことだったのだろう。
 安価なメモリが出てきて、監視カメラ・防犯カメラも一般の人でも入手できるようになって、どんどん社会は監視社会になってしまった。インターネットの普及も、それの追い風となっている。あの衝撃的な、“このハゲっ!”は、漫才の一場面ではなかった。自民党の元衆議院議員である。札幌のタクシー内での暴力もそうである。自分の思い描く道路と違う道を通ってるからといって、あの騒ぎようは尋常ではない。先の衆議院議員の言動を彷彿させるような事件であった。加害者は、人格者であることが求められ社会的責任が重くのしかかる弁護士であった。当然、国会議員もそうである。
 キレる人というのは、やはり病人なのだろうか。突然、自分自身を制御できなくなるということは、精神構造が未熟なのか、精神疾患を持った病人のように思うのだが、どうであろうか。大人になりきれなかったというならば、再教育を受けるしかないのではないだろうか。病気だとしたら、病院で治療を受けるしかないだろう。インターネット上のSNSなどの情報を見ていると、“なんでこんなに心が育たなくなってしまったのだろう!”と思ってしまう。ただ、心が育つ前に犯罪に巻き込まれないような社会にしなくてはならない。
  つくしんぼの詩
 去年の交通事故で入院したが、その後退院してから早1年が経った。尾てい骨のひびで、雪が舞う中、びっこを引きながら横断歩道を渡ったことを思い出す。今年も、また冬の季節が訪れようとしている。
 買物やバスを利用する人たちは、若い人たちよりも高齢の方たちをよく見かける。滑りやすい雪面を、恐る恐る歩く姿を見て、若い人たちや車は、それを急かしてはならない。どんな元気な人たちも、いつかは歳を重ね老いてゆくのである。皆で助け合って、楽しい日々を送りたいものである。
  虫尽し
 今年もベランダでの昆虫採集は、かなり楽しめた。私の住んでいるところは、札幌の郊外なのだが、住宅も多く、でも緑も多く残っている。毎年雪融け後は、ベランダにいろんな虫さんが飛んで来るのでなかなか楽しい。
 6月、小さな虫を見つけたので顔を近づけて良く見ると、ヒラタカメムシの仲間である。“なんだ!”と思ったが、良く見ると触角の一部が白かった。初めてのヒラタカメムシである。9月、エンマコガネの雌が来ていた。“多分、クロマルエンマコガネだろう!”と思ったが、念のため掴まえて標本にしたら、初めてのエンマコガネだった。ただ、緑の中を歩き回っての昆虫採集が一番だけど・・・。
  情報の小窓
『いくつか考えられることはありますが、ここで特に具体策を論じる必要はありません。いまいいたいことは思考の転換なのです。価値の転換です。「グローバル競争に勝たなれば成長できない」そして「成長しなければ幸せになれない」という思い込みからわれわれ自身を解放することです。このことに特に必然的な意味はないのです。それぞれの反対命題を考えてみればよい。「グローバル化しなくとも国内でお金を回せばある程度成長できる」そして「無理な成長追求よりも安定した社会にあってこそ幸福だ」という命題だってなりたつでしょう。どちらがよいのか、それこそ価値選択の問題なのです。』
 新潮新書「さらば、資本主義」佐伯啓思著

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