夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その200 発行日    2018年8月26日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 極端に変動する気候の中でも、草木は季節とともに歩んでいるようである。近所の畑に植えられていたジャガイモは、葉も枯れ取り除かれていた。多分、土の中にはいっぱい芋が実っていることだろう。
 街路樹下には、コスモスが咲き始めている。もう秋なのである。去年の秋に挿し木にしたハイビスカスに、小さな蕾が一つ付いていた。極端に低い気温の夏だったが、草木はしっかり季節を感じているようだ。でも、草木ももう少し夏の装いを続けていたいだろう。
  言いたい放題
 どうしたのだろうか。8月だと言うのに、2日続けて20℃以下になった。早朝は、室内の温度も20℃を下回ってしまった。毛布だけだと寒いのだが、何とか風邪もひかずに乗り越えた。早朝はひんやりしてストーブを点火したいところだったが、じっと我慢するだけだった。ほんの2週間前までは、うんざりするような暑さだったのに、気が付けば、一気に秋の空気に入れ替わったようである。
 昨年から極端から極端へと変動する気候が続いているように感じていたが、ここに来て更に、気候変動の巾が大きくなっているように思われる。7月下旬に夏が来たと思ったら、8月中旬には秋になってしまった。そして下旬には、また夏がぶり返している。かなり気温の変動が大きいので、体への負担が大きい。
 でも、この気温の変動は、昆虫や草木にとってどうなのであろうか。変温動物の昆虫にとって気温が20℃や15℃になっても、動作が鈍くなりエネルギーを使わなくなるだけで、大した問題ではないかも知れない。草木も北海道では15℃位で、発育不全に陥ることなどないだろうから、然程、問題にならないだろう。1週間や10日間の気温変動で問題になるのは、人間と人間に関係する農作物や家畜だけなのかも知れない。自然は、もっと大きな気候変動に影響を受けるのだろう。
  つくしんぼの詩
 週に一回位は、しゃがみ込みながら家の周りの雑草取りをしている。それでも、無くなりはしない。コンクリートで埋めてしまえば楽なのかも知れないが、そんなことをしようとは少しも思わない。壁際やアスファルトの隙間に吹き溜まった、ほんの僅かな埃みたいな土からも芽を出してくる。感心してしまうだけである。
 一番はびこっている尊敬すべき雑草は、カタバミやハコベであろうか。丈の伸びるアカバナやヒメジョオン、そしてセイヨウタンポポも顔を出してくる。ざっと10数種類の草花である。ほどほどの大きさならばいいのだが、目立ってしまうと抜くしかない。今はまだいいのだが高齢になってくると、しゃがみながらの作業が苦痛になってくることだろう。
  虫尽し
 先日、庭に植えているミニトマトを見ていたら、葉を斑入り模様にしているテントウムシを見つけた。“えっ!なんだ、こいつ!!”と思って調べてみると、オオニジュウヤホシテントウだった。山で見かけるのは、エゾアザミテントウだけである。平地でも、母の所で一度も見たことはなかった。
 害虫扱いにされるオオニジュウヤホシテントウだが、私の所では、どうでもいい。見つからないように食べていればいいのである。この前もプランターに植えてあるタチツボスミレの葉の間に潜り込んでいたオオニジュウヤホシテントウを見つけた。ふわふわの葉っぱの間で何をしていたのか分からないが。
  情報の小窓
『人はそれぞれいろいろなことを好きになる。みな同じことを好きになるということは、決してあり得ない。自然や動物と触れ合うことが好きな人がいて、暴力や戦争などを好む人もいる。自分が好きなことをやっていると、確かに楽しいのです。苦などは感じないのです。ですから、好きなことには強烈に執着するのです。好きなことをその人から取り上げると、半狂乱になるのです。怒りが湧いてくるのです。生きることが苦しくなって、嫌になるのです。ということは、人は好きなことから離れられないのです。言うまでもなく、この状態は「依存症」なのです。
 依存症」というのは、人を成長させるものではありません。人の能力、理性などを破壊し、人格の向上を阻害するものです。依存症(好きなことをやること)は、人の本来の幸福を蝕むのです。一時しのぎの快楽に目が眩んで、延々 と続く不幸の砂漠に陥るのです。』
 サンガ「一日を変えるブッダの教え」アルボムッレ・スマトサーラ著

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