夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その201 発行日    2018年9月23日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 9月に入って暖かい日が続いている。8月は寒い日が多かったので、帳尻合わせだろうか。やはり、どうも地球規模での異常気象が起きているようである。暖かくなったり寒くなったりと気温は大きく変動しているが、日の長さは毎年変わらず、今は、だんだん短くなってきている。
 街路樹下では、コスモスが風に揺れている。今日は、イヌサフランがぽつんと一輪咲いているのを見た。もう、そんな季節である。そして、ちゃっかり根付いてしまったと思われるセイタカアワダチソウが民家の庭で黄色い花を咲かせている。
  言いたい放題
 私の庭は、6m×2mの長方形である。このままだと、中に入って作業も出来ないので、2m×1mの小区画に分割して管理することにした。2m×1mといっても、中で歩くための径も必要なので、もっと小さくなっている。植付け始める時には、もう6月中旬になっていたので、春植えの球根の花は、もう売っていない。
 家庭菜園として、2区画に各々ミニトマトとピーマンを植えることにした。もう1区画には、菊の花を植えた。ミニトマトは、何とか実を付けて、それなりの収穫があったが、台風21号の影響で、かなりダメージを受けてしまった。ただ脇芽取りが甘かったので、一本仕立てにはならなくて、あっちこっちに枝が張り巡っていた。ピーマンは、9月に入っていっぱい実を付けたので、なかなか食べても減らないのが困ったものである。多分、来年は、ミニトマトとピーマンで1区画となりそうだ。菊は、9月中旬になって、思ったより花が次々に咲き始めている。
 残った3区画には、宿根草を植えるつもりだったが、球根が手に入らなかったので一年草の花の種を買って蒔いては見たが、保水力のない土で、芽は出たものの、全然成長はしなかった。そのことに気付いて、水撒きを増やしたが、ポンポン咲きのダリアは全滅、エゾギクと百日草が一部、ここに来てやっと花を咲かせ始めている。よく行くホームセンターから買ったいろいろな花も植えているので、少しは見栄えのする庭となっている。今は、来年に備えて、植え替え、株分けや挿し木などを考えているところである。
  つくしんぼの詩
 地震が起きた。私の住む区は、多分震度4ほどだったと思われる。震度4というのは、私が中学生のとき、十勝沖地震で味わったのと同じ震度である。このときは、札幌市東区に住んでいた。今回の胆振東部地震では、震度6弱だった東区である。
 今、ここで震度6弱に見舞われていたら、昆虫の本は散乱し、もしかしたら昆虫の標本箱も散乱していたかも知れない。標本箱が棚の上から落下していたら、硝子は粉々に砕け、標本は台無しになっていただろう。ただ、これを防ぐ安価な方法は思い浮かばない。災害に備えて、もう一度考えなくてはならないと思っているのだが。
  虫尽し
 私の庭も、やっと9月中旬になって花たちで少し賑わってきた。モンシロチョウは、どちらかというと蜜を吸うよりも産卵に来ているようである。ただ私の庭には、モンシロチョウが好むような草花はないので、諦めて翔んで行ってしまう。
 9月中旬以降は、キアゲハ、クジャクチョウそしてモンキチョウも訪問して来るようになった。以前から、キアゲハやモンキチョウは、この辺りでも見かけていたので気にもならなかったが、クジャクチョウには少々驚いた。クジャクチョウは珍しい訳ではないが、この辺りにもいることに驚いたのである。
  情報の小窓
『協力し合うということは、重要なポイントです。人間には、他人の協力なしに生きていられない。他人に協力してあげないと、協力してもらえない。この協力関係がうまくいくと、楽して楽しく生きていられる。「協力する」ということは、「好き」とも「嫌い」とも関係ないものです。ただ、正しい生き方なのです。好きな人と一緒にいられることは幸福だと普通に思う。人間同士が仲良くすること、互いに協力して生きることは良いことですが、この「好き」が問題を引き起こす。人を好きになることは、猫を好きになることとは訳が違います。必ず執着が生まれる。互いに離れられなくなる。自分の幸福が相手に握られて、管理されているようなはめになる。自分が相手の奴隷、相手が自分の奴隷という、東縛関係が現れる。好きな人が離れていくことは我慢できない苦悩になる。逆に、嫌な人と一緒にいることも同じです。嫌な人と一緒になる必要はないが、好きな人に執着することも危険です。』
 サンガ「一日を変えるブッダの教え」アルボムッレ・スマトサーラ著

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