夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その24 発行日 2001年6月17日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 先日、伊豆の寒村を歩いた。田畑の土手には、外来種の花々が咲き乱れているが、さっぱり花の名前が分からない。名前が分からないのはいつものことだが、初めて見るような花が多い。綺麗でいいのだが、違和感は拭えない。そんなたわいもないことを考えながら歩いていると、どこからともなく”ジー”という音がしてきた。懐かしい音である。
 すぐには気付かなかったが、子どもの頃、良く聴いた音である。仄かな土の香りとともに聞こえてくるのは、ケラの啼き聲であった。子どもの頃、手の中で、指を掻き分けるのが、何ともむず痒かったことか・・・。
  言いたい放題
 GW前、自民党の総裁選があった。進化の止まった岩石みたいな生き物の集団だと思っていたのだが、後に引きずっていた尾が、あれよあれよという間に、化け物の胴体を身動きできないように締め付けてしまった。昨年尾っぽの一部が、野党と同調しようとしたが、単なる党内のじゃれ事に過ぎなかった。これこそが、進化することを拒んでいる生き物の所以である。でも、今回は違った。
 さて小泉首相は、自民党を変えられるのだろうか。この最後の切り札でも、自民党が変わらなければ、生き物を辞め、岩石になって貰うしかない。さりとて、今の野党では、一部を除いては、迫力に欠ける。
 日本を何処に導いてゆくのか。それが、問われてくる。私は、自由と競争社会を標榜し、節度に欠けたアメリカへの追随は望まない。日本には、日本の良き伝統がある。企業は業績が悪くなった途端、終身雇用制を廃止だとか、能力主義、成果主義だとか言い始め、目先のことしか考えない。日本の文化に見合った、精神文化に見合った形で、終身雇用制などは、存続されなければならない。日本の企業に内在する問題とは、信念に欠け、倫理観に欠けていることである。全て、政治の問題である。
 さて、自民党はどうなる。
  つくしんぼの詩
 携帯電話をしながらの運転が目立つ。法による罰則が施行されて、暫くは、ながら運転を見かけなかったのだが、今は、そんなこと、何処吹く風。対人事故は、相手を含めて、全てを失うというのに。高校生が、携帯電話を見ながら、自転車に乗っているのを見る度に、彼らの心の危うさとだぶってしまう。車の場合は、それどころではない。
 会社の帰り、2度ばかり擦れ違う車をチェックしてみた。72台中2台、85台中5台。この数字は、低いだろうか。人が人を傷つける。傷つけ合う。避ける術を知っているなら、絶対避けたいものである。
  虫尽し
 エルサルバドルの朝である。昨日買っておいたパンを食べて、そして採集に備えて身支度をする。4畳半程度の部屋に、ベッドと机と椅子、そして床にファンが置いてある。扉と窓は鉄製、コンクリートの壁に波形の丈夫そうな鉄板製の屋根、これでは暑い。
 右足を靴に入れ・・・。”あれ!”“痛っ!””サソリかな!ラッキー!!”靴を脱ぐと中から4cm位のクモが出てきた。・・・あれから1ヶ月半。私の右足を返してくれ!・・・え!!?
  情報の小窓
 『子どもに乞われるまま、食べものでも何でも大ていすぐに与えてやれる。いわば子供の、人間としての一番大切な要件、耐える、こらえる、ということを阻害してしまっている。親たちがその責任を放棄して、学校に押しつけているというのが現状です。』
 文藝春秋2001年3月号「親こそ真の教師」石原慎太郎著(作家)

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