夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その38 発行日 2002年10月20日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 今年も、この時季、いつものように北海道に行って来た。もう10数年になるが、やはり暖かくなってきたことは確かなような気がする。以前は、セーターを一枚バッグに押し込んで行ったものだが、今年は持って行かなかった。
 札幌郊外では、真っ白な雪虫がいっぱい雪が舞うように浮かんでいた。こんなに飛び交う光景は、久し振りである。
 ニセコの温泉郷では、まだハネナガキリギリスが元気良く鳴いていた。そして、大きなクスサンがホテルにやってきていた。我が家のクスサンも今、元気良く飛び廻っている。
  言いたい放題
 車が、車道を真っ直ぐ通り過ぎてゆく。しかし、歩行者はと言えば、あちこちに段差のある曲がりくねった歩道を歩くことを強要される。何が、歩行者優先なのだろうか。非常に不思議な光景である。
 例えば、あらゆる面で優れているスーパーマンが車道を走り、障害者が田圃の畦道を歩かされているみたいな光景である。
 段差のない真っ直ぐな歩道があり、それを前提に、車道側に段差や曲線を描くような道路が、人に優しい道ではないのだろうか。何故、このような道が造れないのだろうか。根本的に社会の在り方を考え直さなければならないだろう。経済優先、効率優先は、人々の心も体も悉く蝕んできたことを、再度肝に銘じて、新しい社会の在り方を創造していかなくてはならない。人とは何かを、真剣に考えてゆかなくてはならない時になっている。
 年間100万人以上もの死傷者を出し続けている社会の構造的問題は、私には、どう考えてもまともとは思えない。自分もマイカーの恩恵に浴しているからといって、この問題を隅っこに押しやってはいけないのである。社会は、人々で成り立っている。決して、車で成り立っている訳ではないことを肝に銘じるべきである。
  つくしんぼの詩
 北朝鮮に拉致されていた5人が、一時帰国した。笑顔の帰国だったが、北朝鮮での20数年に亘る心の有り様は、私には察することが出来ないほどの辛く重苦しい日々であったことだろう。それは、日本に帰国した今でも、北朝鮮の監視下に置かれ続けているはずである。
 私は、彼らとは同世代である。私が社会人になったとき、彼らは北朝鮮に拉致された。そのようなことを考えていると、ふと次のようなことが脳裏をかすめた。社会人となり会社人間となった人たちは、ひょっとすると北朝鮮に拉致された人たちと、心の有り様では同じではないかと。過労死、過労自殺は、まだまだ続く。
  虫尽し
 東南アジアのミャンマーには、セミがいっぱいいると思って期待していた。ところが途中立ち寄ったヤンゴンでもマンダレーでもセミの啼き聲は聞こえてこなかった。今回の目的地である標高1100mほどに位置する東北部のピン・ウー・ルウィンでも聞こえてこなかった。ところが夕方近くになってくると、何処からともなくセミの聲がしてきた。それも2種類いる。
 採集を終え自転車で帰ってきたとき、今日もセミが啼き始めた。坂道をゆっくり上っていると、街路樹からセミの聲がしてきた。先を行くガイドを放って自転車を降り、幹に止まっていたセミを見つけた。素手で鷲掴みである。今夏は、これで2回目だ。
  情報の小窓
 『個人の意志を通そうとすると孤独になりますから、自我が確立してない人、つまり、それに耐えられない人は、しがらみの中で融合して暮らすよりしようがない。そうやって、暮らしてきたのが日本の家族の基本的な姿だったと思います。日本人は会社などでも同じような形態でやってきました。』
 講談社+α新書「人の心はどこまでわかるか」河合隼雄著

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