夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その42 発行日  2003年3月9日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 先週の日曜日は、ぽっかぽかの春の一日だったのだが、次の日は一転して春の嵐が駆け足で通り過ぎていった。冷たい風が舞う中を狭苦しい路傍にも、つくしんぼがすくすくと背伸びをしている。雑草たちの瑞々しい葉は、冷え切った中でも生き生きとしている。そして、また雨が訪れた。
 春。あちらこちらに春らしさが頭をもたげてきた。今年の啓蟄は、あいにく雨だったが、まもなく降り注ぐだろう春の陽気に虫たちも蠢き始めることだろう。
  言いたい放題
 昨年末だったか、今年初めだったか忘れてしまったが新聞に、“週60時間以上働く労働者が急増している”と云う記事を目にした。私は、いつもならその記事を切り取って暫く持っているのだが、この時はそうはしなかった。何故ならば、近いうちに大きな記事へとなるだろうと思ったからである。
 ところが待てども待てども、この労働時間に対する論評は現れなかった。私の誤算である。しかし先月、やっと文芸春秋でこの件に関する論評を見つけた。「二〇代、三〇代社員があぶない」玄田有史(東京大学社会科学研究所助教授)と。
 長引く不況で仕事は減っているが、社員の数はそれ以上に減っている。全てが残された社員の肩にのしかかってくる。当然の如く残業時間は増え、そして仕事に対する責任が重くなってくる。
 企業はサービス残業、過労死、過労自殺と労働に対する負のイメージの部分は、極力表沙汰にならないように隠し続けようとする。そして新たな犠牲者を、次から次へと生産してきているのである。
 報道機関は、“それらにメスを入れ、新たな犠牲者を出させないようにする義務がある”と私は思っているのだが、しかしその報道機関も利潤追求の企業である。・・・
  つくしんぼの詩
 毎週のように静岡県では、お年寄りが車の犠牲になっている。道路を横切っているだけで、自転車に乗っているだけで、たったそれだけのことで何の造作無く車に撥ねられる。弱者が、ほんの少しルールを無視したからといって、強者が弱者の命を踏みにじっていいはずがない。
 そもそも道路は、強者側に立った造りになっている。その上ルールまで、弱者にとっては非常に不利になっている。その内、事故防止の最善策は、“お年寄りは、外出しないこと!”となってしまうだろう。
 車は、必要悪そのものである。現代の人々の心、そのものかも知れない。
  虫尽し
 サンティアゴから飛行機とバスを乗り継いでアタカマ砂漠にあるカラマという町までやってきた。砂漠の中にある町なのだが、意外と街中にいると、ここが砂漠の中とは思えない。
 こんな砂漠に来て、虫を採るなんてことは誰もが想像しないだろう。いつもの通り脇道に入り込んでは採集場所を探していた。どんどん奥に入ってゆくと、子どもたちが遊んでいる。更に近付いてゆくと、そこの民家が行き止まりみたいで、中からおばさんが出てきて、何かぶつぶつ言いながら、道に大きく開いた門を閉じてしまった。この善良な私が何をするというの!?近くでは、ハチが紫色の小さな花に止まっていた。
  情報の小窓
 『私自身は、最近の日本でしばしばなされる“生涯現役”という議論に基本的疑問を感じることがある。それはそうした場合に念頭に置かれるのがもっぱら(カイシャ勤めの延長的な)「賃労働」であることが多いからだ。・・・・引退ということや、賃労働以外での社会参加に価値を見出せるような社会への転換を図っていくべきではないかと考える。』
 岩波新書「定常社会 新しい「豊かさ」の構想」広井良典著

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