夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その43 発行日 2003年4月20日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 2〜3日前から昨年の秋に蛹化したアゲハが、黄色い翅の色が透けて見えてきた。“いつ、羽化するかな?”と思いながらしょっちゅう見ているが、なかなか羽化してくれない。
 沼津では、桜の花が散り、ピンクやオレンジ色のツツジの花が咲き始めた。我が家の窓は、今、ピンクに染まっている。近くの小さな公園では、鮮やかな紫色の藤が、藤棚いっぱいに蕾をほころび始めている。そしてその近くを、子どもたちが叫びながら走り回っている。
 我が家のアゲハ君は、いつ羽化してくれるのやら。また、ちょっと見てきます・・・まだだ!・・・。
  言いたい放題
 自由を履き違えた個人主義の横行で、確実に悪化の一途を辿っている。
 自由や資本主義の象徴であった車は、大衆化して所狭しと日本中を我が物顔で走り回っている。それに伴いモラルは、低下する一方のような気がする。そして最近では、片手に携帯電話を持ちながら、何かを行っている人が増えてきた。そして、また、それに伴いモラルは、更に低下してきているような気がする。モラルが低下してきたから、便利な物の目に余る利用状況となっているのかも知れないが、私には、便利な物が登場すると、それによって、モラルの低下に拍車が掛かっているように思えてならない。
 イラクのバグダッドが陥落すると、人々は略奪に奔走し始めた。今までは圧制とはいえ、フセイン政権下ではなかったことである。人々とは、そう言うものである。
 最近、商店街とか店内においてでさえ、この低下したモラルを抑え付けるが為に、あらゆる場所に監視カメラの設置が始まっている。人々を監視することによって、悪事の抑止力としようとしているのである。
 これって独裁政権下や核の抑止力と何がどう違うというのだろうか。人間には、結局最後は、このような形態でのモラル維持しかないのだろうか。
  つくしんぼの詩
 新学期が始まった。
 夕方、ジョギングをしていると、暗闇の中を無灯火の自転車が無秩序に走り抜けてゆく。注意散漫の状態でジョギングをしていたら、必ず怪我をする。舗道一杯に広がって歩いている群れた学生たちは、前からやってくる私を認識しているかどうかは、全く分からない。道を譲ろうという素振りを、これっっぽっちも示さない。
 もう、この時から大人の世界と少しも変わりがない。いくら嘆いても仕方がない。大人が大人だから。
  虫尽し
 チリ南部パタゴニアの風光明媚な町バルディビアで採集していた。採集最後の日、町を見渡せる丘の上の草地を歩いていた。
 隣は森林豊富な場所で柵で囲われ管理されていて、よそ者が入り込むことはできない。そんな折り、馬に乗って見張りをしていた男性が近付いてきて、言葉の通じない者同士、何かしら会話?が弾んでいたら、他にも2〜3人やってきて賑やかになってしまった。その内の一人が私の網を持って近くを飛んでいたルリボシヤンマを掴まえてしまった。ここのルリボシヤンマは、イトトンボみたいに採れてしまう。なんと情けないトンボだこと!
  情報の小窓
 『私たち日本人は、もう少し「孤独」や「ひとり」の持つ積極的な価値を認めていくべきではないか、と思います。孤独は、これからの時代において、そう「なってしまう」否定的な現象ではなく、現代をタフに、豊かに、クリエーティブに生きていくために必要となる、積極的な「能力」である、と考えているのです。』
 NHKこころをよむ「生きがい発見の心理学「自分」を生きる「運命」を生きる」諸富祥彦著

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