夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その56 発行日 2004年10月24日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 毎年この時期に札幌へ帰るのだが、今年はいつもと風景がちょっと違っていた。札幌では、街路樹としてナナカマドが多く植えられているのだけれど、今秋は、赤い実を付けてはいるが、まだ葉は青々としていた。
 10数年前のこの時期、セータを着込んで帰ったものだが、今は普通の秋服を着て帰るだけである。そう言えば、今年は、吐く息も白くなることさえなかった。雪虫もこれからみたいである。
 沼津では、秋の風物詩となりそうなツマグロヒョウモンが暖かい昼間翔び交うのが目に付くようになっっている。
  言いたい放題
 10月3日付の新聞に、“昨年度のサービス残業による不払い総額が238億円に達している”との記事が載っていた。記事の中には、“サービス残業は、長引く不況で多くの企業が合理化に取り込む中、人員削減のしわ寄せが従業員に及んで問題が顕在化した”と原因を分析しているが、なんと能天気な解説であろうか。多分某新聞社でも、サービス残業は、常態化しているのではないだろうか。サービス残業は、確かに長引く不況で拡大化していることだろう。しかし、それ以前からサービス残業は、人件費を抑えるための一番有効的手段として、企業の中で巧妙に行われていたのである。
 企業において残業というのは、当然のように行われてきている。企業にとって労働者が定時で帰宅するなんて以ての外で、残業しないと利益が上がらないような仕組みが作り上げられている。そして企業がもっと利益を上げるためには、労働者にサービス残業を強いればいいのである。弱者である労働者に雇用、肩書きを条件に、文面に残らないような方法で、やんわりとサービス残業を強要すればいいのである。
 競争至上主義、成果主義が浸透すればするほど、サービス残業は、形を変えてさらに増加するであろう。
  つくしんぼの詩
 インターネットを介在した集団自殺がニュースを賑わした。多分、人は、一度は、“死にたい!”と思ったことくらいあるのではないだろうか。若い頃は、良くあることだと思う。でも、数日もするとそんなことを忘れて、いつもの通り暮らしているというのが以前のことだったと思うのだが。
 でも、今は違う。インターネットを介して、そんな仲間のグループがすぐ出来上がってしまう。一人だと、いつしかしぼんでしまうようなことが、行動に移すまでに発展してしまう。
 文明の利器とは、そう言う物である。
  虫尽し
 街中から緑深い山が、すぐ近くに見えるのだが歩き始めると、山はだんだん遠くへと去ってゆくように思われた。田園風景の向こう側に広がる里山を目指してラオス北部の町を歩いていた。
 小さな村を通り過ぎ、山道へと向かっていると女性3人と擦れ違った。手に持った大きな網を説明していると、いつの間にか取り上げられて網を振り始めた。相手が納得してくれて初めて私もここで安心して昆虫を採集できるというものである。・・・ダメ!ダメ!そんな振り方じゃ!?
  情報の小窓
『もしも価値の基準が消滅してしまうとどうなるか。ひとつは、ありとあらゆるものを疑い、何かを信じて行動することができなくなります。すべてのものに情熱を傾けることはできなくなるでしょうし、世界をきわめて冷ややかに眺めるだけに終始するでしょう。これは「冷笑主義(シニシズム)」ですね。世の中の出来事をただ冷ややかに批判し、嘲り、建設的な参加はいっさいしない。』
 PHP新書「人間は進歩してきたか「西欧近代」再考」佐伯啓思

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