夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その59 発行日   2005年2月13日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 2月中旬、例年通り、三寒四温が始まったように思える。沼津では、日当たりの良さそうな民家の庭では、紅や白い梅の花が咲き始めた。春の甘い薫りが漂う日が、もうすぐそこまで来ている。
 しかし、今冬の北国の景色は、雪に埋もれている。何処までも続く、白い大地を、私は、もう何十年も見ていない。
  言いたい放題
 先日の朝刊に、某新聞社実施の世論調査がトップで載っていた。学校の「ゆとり教育」に反対する人が増加しているとのことである。「ゆとり教育」は始まったばかりのような気がするのだが、そう言えば最近テレビで中山文部科学相が「ゆとり教育」を批判していた。学力の低下があちこちで叫ばれる中、「ゆとり教育」が悪者にされてしまった。多分、「ゆとり教育」を導入していなくても、学力の低下は避けられない現実となっていたのではないかと、私は思っている。
 同じ朝刊の社会面に、内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」の結果で、初めて「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方に反対する人が多かったとのこと。
 この二つの世論調査の結果は、非常に関連性があると私は思う。「ゆとり教育」の前提では、学校・教師の在り方ではなくて、地域社会・家庭の在り方が問われているのである。その家庭が、家庭としての役割を果たしていない、いや、放棄しているように思えるのである。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」に反対することには、私もこだわらない。但し、子どもが社会に出るまでの間は、しっかりと家庭としての役割を果たすことが前提となる。学校や教師のせいにする前に、自分の足下を見つめ直すことが大切だろう。
  つくしんぼの詩
 月曜、いつもの通り日が暮れた夜道をジョギングしていた。前方の信号は、ちょうど青である。塀や家が舗道ぎりぎりまで迫っている見通しの悪い交差点に差し掛かった。突然、斜め前からスピードを出しながら無灯火の自転車が。
 男子高校生は、反射神経はいい。私もスピードは出ていないので、足はぴたっと止まった。しかし、ほんの少し接触しながら、上半身だけが前のめりになって、地面に手を付いて指先を怪我してしまった。高校生は、多分数ヶ月は注意するだろうが、また元に戻ってしまうだろう。
 千葉では、無免許運転の猛スピードの車が、8人をなぎ倒して、4人を死亡させた。皆、自分のことだけを考えて行動すればいい社会になってしまったようだ。
  虫尽し
 エチオピアでの採集は、子どもたちの対応で大変であった。外人を見ると手を差し出してきてしつこく付きまとってくる。
 アワサ湖の畔で採集していたら、やっぱり子どもたちが走り寄ってきた。5〜6人の子どもたちに取り囲まれたら採集どころではない。“ノー!”と言っても通用しない。その中の女の子が私のTシャツを指差している。ふと見ると孵化して間もないカマキリの子がへばり付いていた。“おっ!可愛いね!”と思っていたら、女の子が差し出した手に乗り移った。その瞬間女の子はびっくりして、そのカマキリを振り落とそうとしている。不思議なものである。こんな所に住んでいてカマキリが怖いなんて!
  情報の小窓
『今日の子どもたちは我慢して大人に従うのではなく、このように自分を大切にして「今を充実させる」生き方へとそのスタイルを変えてきたのです。こうした姿を「わがまま」ですとか「自己中心主義」などと批判することは簡単でしょう。しかし、子どもたちはすでに、大人世代が持ち出す「良い子」像や「企業人間」「会社人間」には未来がないと完全に見限ったのです。私たち大人が、将来の幸せのためにと自己犠牲を強いた生き方をとってきたのに対して、若者たちはそのベクトルを徹底して内側へ、つまり現在の自分自身に向け始めています。』
 岩波新書「子どもの危機をどう見るか」尾木直樹

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