夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その64 発行日  2005年9月18日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 ナミアゲハが庭先を翔び廻る光景を、良く見かけるようになった。今年、最後のナミアゲハたちである。秋が始まっている。
 先日、山間で見つけたスジグロシロチョウの幼虫が蛹となり、そして羽化してきた。多分、今回が今年最後のスジグロシロチョウなのだろう。フクラスズメの幼虫や名前の分からないシャクトリムシが何とか無事に蛹になった。来年の羽化を待つ。そして、一匹ゴマダラチョウの幼虫が、いつも迷惑そうな顔をして、タッパウェアの中でじっとしている。
  言いたい放題
 全く政策論争がなされないまま衆議院選挙は、自民党の圧勝で終わった。郵政民営化、民にできることは民にと、中身のない決まり文句をただ繰り返しながら、社長小泉の率いる(株)自民党が演じるバラエティ番組に、多くの大衆がチャンネルを合わせた。そう選挙番組よりもバラエティ番組の方が、何も考えなくてすみ楽しいから。まだまだ、日本には、民主主義は根付いていないように思えてくる。
 文化が違う、歴史の全く違うアメリカに迷うことなく追従してゆく小泉首相、自民党の姿勢は、ひとりの日本人として非常に危うさを感じてしまう。この危うさを最初に感じたのは、昨年、イラク人質事件における家族の人たちの記者会見、北朝鮮拉致被害者家族の人たちの記者会見での政府批判に対して、多くの国民から非難の声が挙がったとき、私は、日本人がこういう国民性だとは思ってもいなかったので強い衝撃を受けたそのときであった。
 自己責任が求められ、競争至上主義が浸透してゆく中で、毎年3万人以上の人々が自ら命を絶ってゆく。そして今回の自民党圧勝で、更にこれに拍車が掛かってゆくように思われる。心が二の次の社会になってしまった。
  つくしんぼの詩
 取り締まりが強化された一時期下火になった携帯電話のながら運転は、やはり時間の経過と共に、また元の状態へと近付いてきているように思える。私は運転しないので、会社への通勤は徒歩である。そこで最近、また良く目にするようになってきた。狭い道を携帯電話をしながら走ってゆく。交差点を右折、左折時でも、平気で携帯電話をしながら片手運転している。ごく当たり前のように。
 自由奔放主義、競争至上主義、訳の分からぬ改革で社会の秩序は、崩壊の一途を辿っている。
  虫尽し
 セネガルの首都ダカールからミニバスに4時間揺られて、カオラックという町に行って来た。町は、残念ながら森林地帯ではなかったため、サバンナの昆虫を求めてバイクタクシーに乗って、チョウがいそうな所に連れて行って貰った。
 ところが、チョウも殆ど見当たらない。草地を歩き回っても、アフリカでは何処にでもいそうなチョウが、ときどき現れるだけである。そして、足が止まった。目の前には、皮だけになったぺっちゃんこの大きな牛の死体が横たわっていた。“クサイ!”
  情報の小窓
『人間は観念的な意味や物語だけでも生きられないし、刺激的な強度や体感だけでも生きていくことができません。一人一人の人間が、自分のからだの実感に触れながら、自分なりの生きる意味や物語を紡ぎ出し、また変容していくプロセス。これこそまさに濃密で、リアルな体験の世界であり、カウンセリングや心理療法が生み出そうとしているのは、こうした体験です。したがって意味か強度か=A物語か体感か≠ナはなく、濃密な体感を伴う意味と物語の創造のプロセス∞体感される意味≠アそ、今、私たちが求められているものなのです。』
 PHP新書「生きていくことの意味」諸富祥彦

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