夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その70 発行日 2006年4月23日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 最近、ジョギングの距離を延ばした。新しいルートをジョギングコースに組み込んだのだが、そのジョギングコースに植えられている立木がハナミズキであった。ちょうど今、その花の見頃となっている。白やピンクの大きな花が、爽やかな風に揺られて咲き誇っている。
 そしてコース脇では、ツツジの花が咲き始めた。あちこちの路地で蚊柱が立ち始めた。そしてツバメもまた、路地を低く飛び始めた。
  言いたい放題
 スーパーで受け取るレジ袋に対して、有料化してゴミ削減を目指そうとする動きが活発化してきている。ひと昔前みたいに、買い物籠をぶら下げての買い物が望まれるところなのだが、コンビニエンスストアなどでは、スーパーとは次元が違いすぎて悲観してしまう。
 私は、週3回ほどスーパーで買い物をして、ゴミ袋として使用できるレジ袋をもらう。コンビニエンスストアも利用するが、大きな買い物をしないのでレジ袋は受け取らない。ただスーパーなどでは、頼んでもいないのに食べ物と他の物を区別して小さなレジ袋に詰め込んで渡されたりする。“いいです!”と断っても、“臭いが付くので”とレジ袋に詰め込む。私は、すぐ捨ててしまう物は必要がないので、大きな袋に全て詰め替えて、持ち帰ることにしている。スーパーとしては、お客様へのサービスのつもりなのだろうが、買う側が不要だというのに無視される。レジ袋の削減を目指しているのに、スーパーも言っていることと行っていることは正反対のことをする。不可解な世界である。
 やっぱり無料というのは考えものである。使え捨ての時代から、早く脱却しなくてはならないだろう。
  つくしんぼの詩
 私のジョギングコースは、極力走りやすい整備された舗道である。とは言っても、そんな道は、全体の20〜30%程度である。後は、道幅が狭い、傾斜している、段差が大きい等々、非常に走りにくい道である。
 最近、そんな道で高齢者用車イスや障害者用電動車イスを見かけるようになった。歩くことでも大変な歩道だというのに、電動車イスは尚更である。一番良い道を走って楽しているのは、強者の自動車だけである。社会とは、そんな矛盾で一杯である。それともそれが、当たり前なのか?
  虫尽し
 ウルグアイの地方都市ミナスで採集していた。ウルグアイの森林で採集することは難しいと思っていたのだが、やはり予想通り、町の周囲は牧場だった。
 その牧場の柵付近で採集していたら、大きな2匹のシェパードを引き連れて牧場内を歩き回っていた少年がいた。ときどき近くに寄ってきては採集しているのを見ている。そして、彼は、牧場内にある小さな林に案内してくれた。“ここにいるよ!”
  情報の小窓
『このニューエコノミーは人びとの労働と生活を一変させる。ライシュによれば、これまでの経済は、「予想可能な賃金上昇を伴う安定雇用」「限られた労働強度」、そして「賃金格差の縮小と中産階級の拡大」によって特徴づけられていた。しかし、今や事態はすっかり変わった。安定した仕事は一握りの人々を除けば消え去ってしまった。一日八時間、週四十時間労働は過去のものとなり、週七日×二十四時間体制にとって代わられる。けっして眠らないグローバル市場がビジネスの二十四時間化を要請する。こうなるといきおい労働時間はより長く、仕事はよりきつくなる。』
 岩波新書「働きすぎの時代」森岡孝二

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