夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その72 発行日 2006年6月25日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 今週、梅雨の晴れ間を利用して、紀伊半島へ歩きに行ってきた。渓流を流れ落ちる水音を聴きながら、ゆっくり歩くのが好きである。木漏れ日の中をニシカワトンボやミナミカワトンボがひらひらと翅をばたつかせながら飛んでゆく。
 林道の脇には、小さな池がある。青い紋の尾が輝いて見えるクロスジギンヤンマや水面すれすれに飛んでいる。突然、針葉樹の林から、ヒメハルゼミの聲が聞こえてきた。ただ私は、この植林された針葉樹林は、どうも好きになれない。暗く鬱蒼とした林は、植生も昆虫も貧弱である。
 ああ!いい天気だ!もう少し歩きたいな・・・
  言いたい放題
 村上ファンド代表の村上氏が、インサイダー取引容疑で逮捕された。堀江氏同様、株取引で世間を騒がしてきた人物が、また一人刑務所入りである。
 ファンドの運用基金は、私たちの老後のために蓄えている年金基金が充てられていることが多い。高い利回りを期待して、年金を運用する会社が、投機ファンドに委託するのである。預けた私たちの意志とは関係なく、年金の運用は投機ファンドが行っている。法の網をかいくぐりながら、投機ファンドは高いリスクの株投機に年金基金を充てている。高い利潤を期待して。
 村上氏も初めは、法の範囲内で利潤を上げ、お客にそれを還元して、喜んでもらおうとしていたに違いない。ところが、いつしか目的と手段が逆転してしまったようである。いつもいつも順調にいくと、いつしかそれがプレッシャーとなって、どうしても失敗する訳にはいかないと。そして、法の網をすり抜けてしまった。
 村上氏は言っていた。“金儲け、悪いことですか?”私たちに問いかけていたのだろうか?それとも、自分自身に問いかけていたのだろうか?私には、彼の幼げな表情が眼に浮かぶ。人生の目的を金儲けにしたとき、豊かさを感じない心にいつしか気が付く。“金儲け、悪いことですか?”自問自答が続く。
  つくしんぼの詩
 年間3万人以上の自殺者を8年間続けて、やっと自殺対策基本法が今国会で成立した。自殺の背景には、さまざまな社会的要因があると認め、自殺防止に向けての対策が国の債務として遂行される。
 どんな対策が行われるかは、これからである。国としての裁量が、問われる一年になるだろう。サラリーマンの自殺には、企業に対する強権の発効も持さない態度が要求される。さて今年は、自殺者が3万人を割ることができるだろうか。
  虫尽し
 石垣島の林道を歩いていた。“今年こそは、ベニモンアゲハの幼虫を見つけよう!”と思いながら、路傍の食草を探していた。そして、食草に目立たぬように止まっていた大きな幼虫を見つけた。
 タッパーウェアに入れて宿で育てていたら、いっぱい食べる大食漢だった。毎日、葉っぱを探してきてはあげていた。やっと大人しくなったので、蛹になるかと楽しみにしていたら、幼虫の両脇から白いうじがうじゃうじゃ出てきていた。“あんたたちを育てていたわけではないんだけど!”
  情報の小窓
『ジョージ・オーウェルの「鯨の腹の中で」という文章があります。鯨に海水と共に呑み込まれてしまった人々についての寓話ですが、そこで、人々の居心地がさほど悪くない、とオーウェルは書いている。鯨の口から出ていって、大海原にまた泳ぎだすよりは。鯨の腹の中にいる、つまり食べられているわけですが、しかし、居心地は悪くないというのです。これが、セネットのいわゆる「自殺的隷属」かもしれません。制度とは、この鯨の腹のようなものではないか、と思います。』
 中公新書「社会の喪失 現代社会をめぐる対話」市村弘正・杉田敦

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