夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その74 発行日 2006年8月20日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 毎日、セミの声で目を覚ますと云う夏の日が続いている。今年は、なかなか梅雨が明けずクマゼミの初鳴きも7月終わりであった。そう言えば、5月の終わりに石垣島でクマゼミの初鳴きを聴いてから、2ヵ月後の沼津市であった。
 クマゼミ、アブラゼミが喧しく啼く、その喧騒に掻き消されそうなニイニイゼミのか細く染み入る聲が聴こえてくる。この3種が夏の沼津市内を賑わしている聲の主である。山では、既に秋の聲ツクツクホウシが啼き始めている。そして、まもなく秋の虫たちも夜長を彩り始めることだろう。
  言いたい放題
 無造作に空き缶、包装紙を路傍に投げ捨てるなど、モラルの低下を多くの人が嘆いてきたことだろう。ところが今や、モラルの低下を通り越して、モラルの崩壊に至っている。NHKの番組で、高速道路料金を支払わないで強行突破してゆくなどのモラル崩壊続出について報道していた。私なら、そういう悪質な運転手は、すぐに逮捕、運転免許剥奪するのだが、何故か一回位では、悪質とは言わない。
 モラル低下は、物が豊かになり、便利な物を追い求めるに従って顕在化してきたように思える。例えば、ごみの不法投棄は、以前から見受けられた。空き地、原っぱが広がっていた時代から、ごみが捨てられていたが、余り目に付かなかった。ところが道路が整備され、住宅が整然と立ち並んでくると、そのごみが気になり始める。一方、物が豊かになり、使い捨て時代に突入してきた。今は、修理するより、安く新品が手に入るので、すぐに捨てられる。個人主義(利己主義)が浸透する中、公共の意識が薄らいできた。また便利な物が世間を席巻するたびに、モラルはさらに低下していった。ペットボトル、自動車、携帯電話・・・、モラルよりも便利なものを優先する社会となってしまった。
 自民党総裁選が始まろうとしているが、相変わらず経済べったりの政策しか出てこない。小泉政権の政策を引き継ぐならば、更に悪化の一途を辿るように、私は、思う。
  つくしんぼの詩
 日本人の男親は、世界の中でも子供に接する時間が、非常に少ないという調査結果が出ている。日本のサラリーマンの労働時間が極端に長いということと反比例することは、至極当然のことであろう。
 20年ほど前、労働組合は年間総労働時間1800時間を目指していた。しかし、企業側の強い抵抗とその後の長期に亘る不況の煽りを受け、脆くも砕け散ってしまった。企業がこの国を牛耳っている。そして、モラルの崩壊が始まる。
  虫尽し
 山梨県の甘利山を下ってきた。麓近くに辿り着くと、キリギリスが賑やかに合唱していた。"久し振りに、写真を撮っておこう!"と思い、キリギリスを探し出して写真を撮っていた。
 "さて、帰ろう!"として歩き出したら、また足元からキリギリスが跳び出してきた。"キリギリスとしては、精悍さが物足りないな!"と思い、じっと見ていると、ヤブキリの雄である。"あっ!そうだ!!"以前、ジョギングの最中に見つけたキリギリスの雌は、実はヤブキリだったのである。久し振りだったので、頭の中が錆び付いていたみたいである。
  情報の小窓
『精神医学の世界でも、「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」と二分法で世界を切り分け、その根拠を考えようとしない「ボーダーライン人格」の増加が指摘されて久しい。しかも、この「好き、嫌い」は、根拠がないだけに、何らかのきっかけで逆転してしまうことがある。・・・(省略)・・・このように、社会が「感情優位」で動くようになっている昨今だが、人びとがもっとも気にしているのは、じつは「私はこれが好きか、嫌いか」ではなく、「周りの人たちはこれが好きか、嫌いか」である。それを正確に見極めて、自分が周りの感情の波から浮いてしまわないように、ふるまうことが、重要なのである。』
 PHP新書「貧乏クジ世代」香山リカ

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