夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その75 発行日 2006年9月17日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 短い残暑も終わり、秋の長雨の合間を縫って野山に歩きに行った。野山の緑は色褪せてきて、昆虫たちは冬に向かって最後の追い込み中である。真っ赤な彼岸花が路傍を飾り始めていた。
 林道に入ると、路肩のススキなどの草が刈り取られていた。私は、路肩の雑草が好きなのだが残念である。途中にあったカラスザンショウの若木も切られていた。この前来たとき、2令になったばかりのモンキアゲハの幼虫がいたが、萎れかかった葉っぱには見つからなかった。ツクツクホウシとミンミンゼミの聲も、来るたびにだんだんしぼんでゆくようだ。
  言いたい放題
 「2006年版厚生労働白書は、少子化の要因の一つに、30代を中心とした育児世代の長時間労働を挙げ、労働者の仕事と生活の調和を実現する働き方の見直しは企業の社会的責任であると強調した。」と云う記事が読売新聞に載っていた。私に言わせれば、何を今更と思うのだが、やっと企業責任に目が向けられたことに対して、今後の施策に期待したいところである。
 長時間労働の問題は、単に少子化の問題のみならず、モラル崩壊の問題、高止まりの自殺問題、失われてゆく安全な社会の崩壊問題等々の多岐にわたると考えられる。文部科学省は、来年度から「キレる子」の原因調査を始めると云うことであるが、長時間労働による家庭への影響が、大きいと考えられる。
 従来、上記に挙げた問題の多くは、地域社会の中で解決されてきたことであるのだが、企業の労働強化による長時間労働は、地域社会を成り立たなくしてしまい、多くの諸問題を生起させてしまった。
 豊かな生き方とは何かを、労働の在り方を含めて、私たちは、もう少し真剣に考えるべきであろう。
  つくしんぼの詩
 あの忌まわしい福岡の飲酒運転事故から、各テレビ局のニュースでは、一斉に毎日の飲酒運転事故について報道し始めた。厳罰化された飲酒運転だが、案の定、相変わらず事故は多発している。それどころか、轢き逃げが多くなっているとのことである。
 多くの人たちにとって車は、空気や水と同じものになってしまっていて、車のない生活は、考えられなくなっている。車が無くても生活できるのだが、事故の悲惨さよりも便利さの追求のほうを優先する。そうである限り、交通事故は続く。車とは、そういうものである。
  虫尽し
 私は、植物については全くの素人であるのだが、今年から花を中心に、少しずつ覚えている。昨年6月石垣島に行ったとき、アオスジアゲハが産卵しているのを見つけたが、私の家の近くに、"クスノキがないから!"と卵を持ってこなかった。
 今年も、石垣島でアオスジアゲハの幼虫を見つけたので、今度は、家に持ち帰った。採集に行く度に、クスノキの葉を持ち帰ってた。あるとき、家の前にある小さな公園横の道を歩いていたら、公園内に植えられている木に目が釘付けになった。・・・"あれっ!"
  情報の小窓
『都会の空気は最初から汚れていると思っている人は汚れた空気に驚くことはありません。それと同じように、警察官や教師が事件を起こしても、「そういうこともあるかもしれないな」ぐらいに感じてしまう。信頼すべき権威を感じていないから、それが地に落ちたところで「別に・・・・・・」としか思わない。この「別に」という感覚が、今、社会に蔓延しているように感じられます。自分たちが何かをロスとしている感覚さえ失っているから、喪失感に悶えることはないのです。社会に対する絶望感や喪失感すら失われているというのが、現代という時代だという気がします。』
 講談社「自力と他力」五木寛之

Copyright (C) 2006 森みつぐ    /// 更新:2006年9月17日 ///