夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その89 発行日 2008年4月20日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 札幌にも春が来た。コンクリートの壁とアスファルトの歩道の隙間から、タンポポの黄色い花が覗いていた。つくしんぼも、すっくと太陽に向かって伸びている。北海道では、花粉症の原因の一つである白樺の花も満開となっている。
 民家の庭では、さらに鮮やかになっている。白、黄、紫のクロッカスの花が咲き、それに混じって黄色い福寿草も元気に咲いていた。そして早くも、エゾムラサキツツジも咲き始めている。濃い黄色のチョウセンレンギョウの花も、もうそろそろ咲きそうである。
 そして、花たちに誘われてモンシロチョウも舞い始めた。
  言いたい放題
 後期高齢者医療制度が、4月からスタートして大きな波紋を広げている。小泉政権時に小さな政府を目指すとして、国民にも痛みを伴う改革の一つであった。その痛みを受ける世代は、より弱者である人たちであり、後期高齢者医療においては、75歳以上の僅かな年金で暮らす高齢者たちだった。
 制度が始まるまでの説明も、新聞や広報誌もあったものの、高齢者には(私にも)理解しにくい内容であり、また、それ以前に高齢者の衰えた視力では読む気にもなれないものだった。まして、なけなしの年金から天引きされるとは思ってもいなかったことだろう。また、今まで子どもの扶養家族で支払っていなかった高齢者も含めて全員から徴収するのであった。
 私の両親は、80歳を超えている。家には、後期高齢者医療保険証が送られてきていたが、今までの古い保険証とは、書式が違っていたので、母は、"新しい保険証が来ない!"と言っていた。そして年金から天引きと言いながら、無年金の人からも、従来からの介護保険料に加えて、医療保険料が僅かな生活資金から否応なしに徴収する。
 今後、年金暮らしの高齢者たちにも、増加する医療費の負担を課してゆく姿勢だ。年金は増えないが、負担額がどんどん増え、生活費が目減りする一方である。私は、小さな政府は好まない。一般の国民や企業の税負担が増えたとしても、弱者に優しい福祉国家を目指すべきだと思っている。
  つくしんぼの詩
 3月いっぱいで年金問題は解決するはずだったが、案の定、4月になっても終了の目途が立っていない状況である。消えた年金を取り戻すことは、僅かな年金で暮らす高齢者にとっては、何よりも望まれるものだろう。
 3月末、私の父にも年金特別便が送られてきた。ただ、80歳を超える両親には、その内容が良く分からない。多分、このような高齢者たちも多いのではないだろうか。自分の年金なのに取り戻すことができないことは、非常に口惜しいものだろう。父の年金は、私が保険事務所に行って、僅かであるが年金を取り戻すことができた。しっかり事務処理をしておけば、このようなことにならなかった。もし確認をしていない高齢者がいたら、社保庁から電話連絡して年金の確認をする必要がある。
  虫尽し
 グァテマラのパナハッチェルは、標高1500mほどに位置するアティトラン湖に面した風光明媚な観光地である(1994年10月)。
 乏しい森林の湖に面した道を行くと、いろいろなチョウたちが現れる。今日の採集も、そろそろ終わり近付いてきたとき、一匹の大きなアゲハが出現した。何回も振り逃げられても私をからかっているかのように、繰り返し同じ道を行ったり来たりしていたが、やっとの思いで掴まえることができた。その一部始終を近くで見ていたインディヘナの男性と、思わず握手してしまった。
  情報の小窓
『もともと働く意欲に燃えて入社したのに、気がつくと萎えており戦力になっていない人たち。これは個人に問題があったというより、環境に問題があったと見たほうが妥当だろうとわたしは思います。なぜなら、そうした現象はかつてから不断にあったわけではなく、短期的な成果を強引に求められたり、スキルアップ、キャリアアップと騒がれだしたあたりからにわかに増えているからです。』
 ちくま新書「職場はなぜ壊れるか」荒井千暁

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