夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その 発行日 1999年12月22日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 この冬一番の寒波が到来した。暑い夏、暖かい秋だったが、やはり毎年、間違いなく冬が訪れる。
 数年前、私の住むアパートの南側の小さな庭に、大家さんが丁度その時期流行っていたアロエを幾つも植えていた。それまでは、そこはドクダミの住処であったのだが。その頃アロエは小さかったので、気にもしてなかったのだが、今やアロエは、窓ガラスのところまで成長している。この寒い最中、赤い花を元気に咲かせている。洗濯物を干すと、この赤い花に触れて服に紅がぺったりと付いてしまう。困ったものである。
  言いたい放題
 ”もうすぐ2000年”と云っても、”まもなく21世紀”と云われても、大した実感がある訳ではない。100年、200年と生き抜いてくれば、その実感も湧くのかも知れないのだが、私はまだ50年も生きていない。2000年に改まって、こうしよう、ああしようなんて考えていないが、されど私も自分の人生に関しては、それなりの夢を持っているし、夢に向かっての計画もある。子どものときに抱いていた夢と比べれば、大分現実に即した形に変化してきたのかも知れないが大人になってからも夢を追い続けているし、また夢が私自身を衝き動かす原動力ともなってきた。
 そして夢は、子どもと大人を結ぶ共通の言葉となり得る。瞳を輝かせて夢を語れない大人の話を子どもは、何処まで真剣に聞くのだろうか。夢を通して将来を担う子供たちに、生きることの楽しさを伝えられれば、これに勝ることはない。
 私にとって2000年は、夢を実現できるかどうかの終盤における大事な年になりそうだ。さて、私のことを述べてきたが、あなたにとっての2000年とは、どういう意味を持つことになるのだろうか。
 人偏に夢と書いて、はかない(儚い)と読むが、はかないのは夢ではなく現(唯物)ではないのか。
  つくしんぼの詩
 NHKを見ていると、”静岡の海に、暖流に乗って美しい熱帯魚がやってくるが、寒い冬を乗り越えられないで死滅してゆく。そこで、ダイバーたちが、その熱帯魚を捕って大事に育て、沖縄の海などに放してあげている。”という美談が放映されていた。
 私は、この報道に疑問を持たざるを得なかった。生物は、生息地拡大のため、風に乗り、海流に乗り遠くへと移動する種もいる。その地が適応不可能な環境であっても、いつかはそこに適応できる個体が辿り着くかも知れない。その生物の繁殖戦略なのである。
  虫尽し
 6月に千葉県房総半島の中央部を歩いた。荒れ果てた水田とその脇を流れる小川。草茫々の水田の上を一匹のトンボが輪を描いて飛んでいた。サラサヤンマである。昆虫採集を始めて32年目にして、日本に生息する200種類余りのトンボのうち、やっと142種類を掴まえた。その気になれば、5年もあれば9割方採集できる。32年かけて142種類。これが私の自慢なのである。歩くのが好きだから。
  情報の小窓
 『愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美に対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。・・・』
 文藝春秋12月号「ふたつの世界大戦を超えて」エリ・ヴィーゼル著(作家)

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