夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その93 発行日 2008年8月24日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 週末、また、定山渓の林道を歩いてきた。今朝、稚内市では、最低気温が1.5℃だったと言う。8月の下旬になったばかりなのに。本州では、毎日、焼け付くような真夏日が続いている。テレビでその光景が映し出されると、バックグランドにクマゼミやアブラゼミの喧しい聲が響いてくる。
 4日前も近くの林道を歩いていたが、僅かであるが、まだエゾゼミの聲がしていた。ところが今日は、もうセミの聲は、聞こえてこない。季節は、早くも秋になってしまったみたいである。
  言いたい放題
 夕方、テレビを観ると、オリンピックの映像が流れてくる。ニュースを聞こうと待っていても、オリンピックばかりである。待ちに待ったニュースが始まったと思ったら、その中でも、やはりオリンピックの話題を取り上げている。4年に一度だからと思いながら、半ば諦めて聞いている今日この頃である。
 そう言えばオリンピックばかりだと思っていたら、開催国が1時間しか時差のない中国だった。アメリカやヨーロッパだと、早朝や真夜中の開催なので、生中継で観ることはなかったから、余りオリンピックを観た記憶はなかった。今までは、ニュースで観るダイジェスト版だけで、事足りていた。
 今回もオリンピックを観る予定はなかったのだが、ついテレビを観ていると、競技にいつしか夢中になって、ときどき手も頭も動かなくなっている自分がいた。国の期待を一身に受け、その重圧の下で競技する選手たちには、勝敗に関係なく拍手を送る気分となる。ただ余りにも肥大化したオリンピック、国の威信をかけて、ここまでする必要があるのか疑問に持ちながら、今夜も、ちらちらっと目を遣ることになるだろう。
  つくしんぼの詩
 私は、マイカーの乗らないので、遠出のときは、バスを利用する。去年、札幌に引っ越してきて、バスに乗ると各席の背に、「バスを降りるとき、バス停に着いてから席をお立ち願います」というステッカーが貼ってあるのに気付いた。お年寄りや体の不自由な人にとっては、なかなか良い事である。
 ところが、バスに乗るとき、まだ危なげに歩いているお年寄りが席に着く前に、走り出すバスが多いのである。降りたとき、気にするのなら、乗るときも、それ相応に気を使って欲しいものである。
  虫尽し
 定山渓の林道を歩いていた。山は、もう秋の装いを始めている。木々の葉は、瑞々しさを失いかけていたが、成虫で越冬するキベリタテハが真新しい翅で翔んでいた。
 ふと、耳をそばだてると雨が降っているような音がしてくる。空を見上げると青い空である。傍に大きな松の木が聳えていたのだが、葉っぱが透けて見える。マツケムシの仕業のようだ。網を差し出していると、小さな糞がいっぱい入っていた。丸裸になるのも、時間の問題であろう。
  情報の小窓
『日本におけるアメリカ型社会というのは、リコウがバカよりはるかにいい思いをできる社会であるだけでなく、リコウがバカを平気でだまし、それが非難されるどころか、ほとんど正しい考え方のように思われる社会である。バカでもいいという人は、、それを覚悟の上の話にしてほしい。昔と違って、世の中がバカに優しくないのだ。』
 幻冬舎新書「バカとは何か」和田秀樹

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