夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その94 発行日 2008年11月23日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 窓の外は真っ白な銀世界、今も、雪が深々と降っている。駐車場の車も、白い雪で埋もれてしまい、景色はモノトーンの世界になってしまった。美しい物も醜い物も全て分け隔てなくすっぽりと覆い尽くす雪、そんな季節が始まったようだ。
 先々週の初雪から、一気に、木の葉が舞い散り、今は、数えるほどの葉が、木々に纏わり付いているだけである。今朝は、その葉の上に、白い雪が降り積もっていた。
  言いたい放題
 ここ最近、車による悪質なひき逃げ事件が多発している。事故を起こし、気が動転した加害者が、被害者を思いやることより、自己の保身に走るのである。昨今の飲酒運転の厳罰化も、飲酒運転する悪質運転者にとっては、事故を起こしたら逃げるしかないという方向に向かわせているのであろう。犯罪者への厳罰化は、社会崩壊の現われであり、モラル低下の一端であると私は思っている。
 この問題は、車社会の根源的な問題であり、そして、崩壊してゆく倫理観の問題である。車社会に異を唱える人は希有であり、多くの人は、車社会を否定することを微塵も心に抱くことはない。人々にとって、マイカーの所持は、疑わざる権利となっている。車は、銃と同じく凶器となりうるものであるが、車の長所ばかりに光を当て、車の重大な短所には、目を瞑る。毎日、交通事故で多くの人が傷付き死んで行くが、マイカーを手放す人はいない。銃の所持は規制されているが、一方、マイカーは、無法状態のままである。
 それに加え、人々のモラルが低下していることが原因での交通事故も多発しているようだ。飲酒運転で、事故を起こした上、逃げてゆく。モラルの低下した人間、モラルのない人間が車という凶器を持つことによって起きた悲劇であろう。車がいくら便利なものであるとしても、銃と同じ凶器であることを忘れてはならない。人は、車を完璧に操ることはできない。
  つくしんぼの詩
 今年、札幌で路線バスが撤退するという騒動があったが、路線バスの撤退は、全国各地の自治体で起きていることのようだ。人口減少に伴い、路線バスを利用する人が、年々減少してきているのである。
 路線バスが廃止されることによって、不便を強いられる人は、お年寄りなどマイカーを持たない交通弱者である。ここでも利己主義の象徴である強者マイカーは、交通手段を持たない弱者に対して不利益を押し付けているのである。マイカーを利用している人たちも、公共の乗り物であるバスなどを利用すれば、路線バス業者もその恩恵に供することができ、その上、便数が増えることにより利用者の便利さも増し、地域の活性化にもつながってゆくだろう。
  虫尽し
 ジャワ島での最初の採集日は、森林が見つからなかったので、畑の脇を流れる小川沿いの小径での採集となった。
 ときどき現われるシロチョウを採ったり、小川でイトトンボを探したりしていた。そこに、一人の男性が洗面器を片手に現われ、小川へと降りて行った。インドネシアでは、川や湖で体を洗ったりする。そんなところの横で網を振るのもなんなので、少しの間、その場から移動して採集した。女性の場合は、一枚衣をまとって洗っていた。
  情報の小窓
『多くの現代人の問題行動は、実は、この躁的防衛が関係している。ギャンブルにしろ、飲酒にしろ、不倫にしろ、浪費にしろ、薬物乱用にしろ、非行にしろ、そこには、現実に向かい合わずに、楽しいお祭り騒ぎに逃げることで、自分を守る躁的防衛のメカニズムが働いているのである。現代社会には、この躁的防衛の手助けをする装置が潤沢に用意されてているといってもいい。苦しみや問題に向かい合うことよりも、楽しいことで忘れてしまうことが良いことだという思い違いが、現代人の通念には広まっている。』
 平凡社新書「人格障害の時代」岡田尊司

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