夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その99 発行日 2009年4月26日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 少し春が足踏みしている、今日この頃の札幌である。まだまだ殺風景な庭々で黄、紫、白のクロッカスの花が咲き乱れている。エゾムラサキツツジの蕾も膨らみ、淡い紫の花が今にも弾けそうである。黄色のスイセンの花も、すくっと立って太陽に向かって咲いている。
 先日、やっとタンポポを日当たりのいい道路脇で見つけた。杉や檜の少ない北海道にも花粉症がある。今の時期は、ハンノキやシラカバの花粉である。まだ若葉が萌え出していない木々に、ネコヤナギのふさふさした花のように風に揺れている。
  言いたい放題
 何とか国民の1500兆円の貯蓄を取り崩そうと政府は、躍起になって矢継ぎ早に政策を発表している。親から子への贈与税の減免も然りで、お金を使わない高齢者から若い世代にお金を移して、消費を拡大させ景気を回復させようとしているのである。
 先月、新聞(読売)に、「今の日本では、将来への不安―消費抑制―景気低迷―更なる不安、という悪循環が起きている」として、「そうした意味では景気対策の本丸は、国民が自主的に消費や投資を拡大するように仕向けるような政策を行うことである。過剰な貯蓄を消費に仕向ける政策、つまり、「貯蓄から投資」ではなく、「貯蓄から消費」への転換が求められるのだ。」と載っていた。政府が進めてきた政策は、「貯蓄から投資(投機?)、消費(過剰な?)」である。アメリカ人の所得以上の過剰な消費生活に、日本人を誘導するような政策が続いていることに、私は、疑問に持っている。
 私は、これからの日本は低成長経済で十分だと思っている。毎年、僅かでもいいから確実に成長することができるようになれば、それで十分である。将来のことが計画できて、必要な物を必要なだけ消費して、豊かな心を育む時間と空間があればそれでいい。物や金に固執した生活は、若い世代の一時期だけでいい。
  つくしんぼの詩
 昨年(2008年)、私が排出した二酸化炭素を計算してみた。電気、ガス、水道、灯油、交通のみであるが、一年間で約1670kgであった。もし私がマイカー(燃費20km/L)を利用して、1年で5000km 走行していたとしたら、どうなるかを計算してみると、排出量は、約2220kgとなった。
 この差は、なんだろう。年間走行距離5000kmは、特別な数字ではない。マイカーとは何かを、もう少し真剣に考えなければならない時期に来ていると私は思っている。
  虫尽し
 去年、ヒョウモンチョウの幼虫用として、ベランダに小さなプランタを置いてタチツボスミレを植えていた。山野で採ってきたミドリヒョウモンの餌にしていたが、晩夏には、孵化した幼虫を10匹くらい放した。
 4月初め、二葉の小さな芽を見つけた。雪に埋もれることも少なかったので大丈夫かと思っていたが元気にしていたようだ。そして先日、いっぱい出ていた二葉を見ていると、少し齧られているのを見つけた。近くの枯れ草に、小さな黒い幼虫がしがみついているのを見つけた。"元気だった?!"
  情報の小窓
『教育について考えることは、人間―人間の尊厳と優れた能力―を開発問題の関心の中心に復活させる唯一の方法でもある。環境への配慮、遺伝子組換えトウモロコシを食べて死んだオオカバマダラチョウの救出、ボルネオの森林保全などはたしかに重要だが、人間の福祉が優先順位の一番目にあって初めて意味をもつのだ。』
 洋泉社新書y「環境活動家のウソ八百」リッカルド・カミョーリ、アントニオ・カスパリ著

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