現在の浪花銭湯
銭湯の先進国「大阪」
銭湯は「ゆ」と書かれたのれんをくぐれば、左右にゲタ箱があり、そして「男湯」「女湯」の戸を開けると、番台があり、脱衣場があり、浴室がある。現在大阪府下では、約1200軒の銭湯があるが年間40軒〜50軒廃業している。現在の浴室においては、サウナやスチーム・泡風呂・超低温水風呂・電気風呂・漢方風呂・打たせ風呂・各種入浴剤風呂などを備えた銭湯も現れ、まるで温泉に行ったような気分になれる。我が大阪は、銭湯業界の先進国なのだ。
北陸出身者が九割
大阪のど根性精神は、銭湯業界においても健在であり、と言いたいところなのだが、大阪の銭湯経営者の九割近くが、北陸出身者である。特に石川県出身者が過半数以上を占めている。北陸地方には、昔から温泉が多いために、このような特定現象が起こるのかと思えばそうでもない。小松市などの出身者が圧倒的に多い。農業県だった石川県の次男・三男が、大阪に出てきて、現金商売で日銭の稼げる銭湯を始めたのが、そもそもの始まりである。
銭湯の仕事は、朝早く夜遅い。しかも、かなりの重労働である。しかし農作業に比べれば,さほど苦にならない。故郷にいたのでは、自分の土地や財産を持つことは容易ではない。その彼らにとって、土地も建物も自分の財産になることは大きく励みになり、その為にセッセと働いたのである。そして、同じ村から大阪に出てくる。下足番からたたき上げられ、やがて独立して自分の銭湯を開業するに至る。そうした積み重ねが、結果として、同郷の出身者が多くなった。そういう村の属する県が、北陸そして石川県だったのである。
大阪と東京の違い
東京の銭湯が「松の湯」「梅の湯」など、めでたい名前に「湯」と付けたものが多いのに対し、大阪は、出身地や地名に「温泉」と付けたものが多い。大阪では半数以上が「○○温泉」という名前である。
て、そこでよくおじいさんなどが体を洗うでもなしにべチャラべチャラとコミュニケーションしている光景が見受けられる。その段差も東京にはない。浴槽の回りに人が集まるというのは、大阪独特のものなのである。また、驚いたことに、東京の「女湯」にはイスさえもない。女性がイスに座って足を広開げて体を洗うというのは、はしたないということらしい。片ひざを立てて洗う。大阪はその点でも実質的であるといえよう。
銭湯の壁画は芸術作品
銭湯に壁画はつきもの。富士山に三保の松というのが多いが、最近ではモザイク模様やモダンアート風の壁画も見受けられるようになった。江戸時代に湯舟への出入り口〔ざくろ口〕の板壁に、富士山や三保の松原、唐獅子牡丹などの錦絵を描いたのが始まりである。ところが、明治に入ってこのざくろ口が廃止されて一時なくなっていた。今の型になったのは、大正元年。東京・神田の銭湯が、浴室が殺風景だというので周囲の板壁に絵を描いたのが評判となり、全国に広がった。東京では、ペンキで絵を画くが、現在このペンキ絵を画ける人は、数人足らずしかいない。それに1回の書き替え費用のコストが高い。大阪では長持ちするようにと,タイル絵が主流である。
銭湯の重要性
門真市内では、守口門真保健所から分離した門真市保健所が設立された当時、四十八軒の銭湯(公衆浴場)がありました。しかし現在では九軒の銭湯(公衆浴場)に減少しています。その理由は、年々家庭風呂が増え銭湯を利用する人が減り経営が困難になった。また、後継者不足が原因と言われています。皆さんもご存知と思いますが神戸の大震災では、避難住民が自衛隊の架設風呂に何日かに1回しか入れず、たくさんの人が困っていました。そして、遠い大阪の銭湯まで毎日かよったと聞きました。お風呂の大切さが銭湯の大切さがひしひしと感じられました。
近年世界で資源の無駄使いが指摘され環境問題も大きくクローズアップされている中で現在の銭湯では、設備や規模にもよりますが1日、五百人から二千五百人ぐらいの人の入浴が出来るといいます。一件の銭湯を多くの方が利用したら、各家庭で風呂に溜める大切な水がどれだけ使わなくてすむのかはりしれません。また、お湯にするために必要な資源がどれほど助かるのか、まさに銭湯は地球に一番やさしい施設ではないでしょうか。
また、現代の人間関係においては、最近近所付き合いが少なくなり閉鎖的な家庭が増えている中で、今「マジ切れ族」「とじこもり」といわれる子どもたちが増えています。なぜなのでしょうか。銭湯は、赤ちゃんから老人まで隔たりなく誰でも利用できる施設です。失われつつある裸と裸のふれあいコミュニケーションを今一度考えてみてはいかがでしょうか。そして地域の銭湯を利用してみてはいかがでしょうか。
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