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今回は、機関車・貨車を主に製作することにしました。貨物輸送量が私鉄では第2位(平成3年)である三岐鉄道は、機関車・貨車の種類、輌数が多く、車種選びに困りましたが、今回はこれらの中から竣工図表などの資料や写真のあったものを主に製作しました。 ED452・ED222・ED301 ED452は、三岐鉄道が昭和29年3月電化されたのに伴い、東洋電機で3輌新造されたED45形のうちの1輌です。ED45形は昭和29年〜48年に7輌が製造されましたが、現在は台車が東武のものに交換されたりしてかなりイメージがかわりました。模型では、一次車の最新スタイルとしました。 ED222は、昭和31年に国鉄より譲り受けたもので、主に関西本線富田駅での入れ換え作業用として、昭和59年まで活躍しました。その後は三岐鉄道大安駅近くの公園広場に保存されています。 ED301は、ED222の代替車として南海電鉄のED5202を譲り受けたもので、現在は小野田セメント藤原工場内で入れ換え作業用として活躍しています。 < 車 体 の 製 作 > 3輌とも、基本的にt0.3プラシートを切り抜いて作りました。まずED452はTMS497号の図面、ED222は私鉄電車プロファイルの西武A1、ED301は同誌南海ED5201より寸法を割り出し、プラシートの表へ硬めの鉛筆でケガキ、窓などを抜いていきます。側板が仕上がったら、内張りを接着します。側面エアーフィルターは、t0.5プラシートをPカッターですじ彫りしてはめこみます。 ED452のデッキは、t0.3プラシートの貼り合わせで、手すりはφ0.4洋白線で、ステップはt0.3プラシートで自作します。カプラーはKATOカプラーを利用しますが、重連などのことを考慮して片側のみKATOカプラーBタイプをねじ止めして首振り構造にしておきます。 ED222、301の手すりはφ0.3真鍮線です。ED452、222のテールライトは、Gマックスの西武451系キット付属のガイコツテールライトを利用し、ED301は京急のものを切り出して取付けます。 屋根板はキットのものを利用しますが、配管類のついていないものを使うと便利です。ED452と301は張り上げ屋根のため、最初に屋根板と側板を接着し、写真を参考に角をまるく加工します。そして、前面を接着して仕上げます。車体側面ステップは、ランナー引きのばし線を利用します。ED222はキャブの上に、タヴァサのヘッドライトを付けます。 < 屋 根 の 加 工 > ED452のベンチレーターはGマックスキットの屋根から成形して作ります。配管は、φ0.3真鍮線です。パンタグラフはED452、222 はトミックスの名鉄用を、ED301はKATOのPS16を用います。雨樋は、t0.3プラシートで作ります。ED452は、オデコの部分にGマックスの西武451系キット付属の三岐用ライトを取付けます。ED301は、銀河モデルの2灯シールドビームを付けます。 < 下 ま わ り > ED452の動力ユニットはTMS497号の三岐ED5001と同様に、トミックスのDF50のものを利用します。ダイカストブロックを車体の長さ、幅共現物合わせで切り詰め、モーターは片側に寄せました。よって片側は、非動力台車となります。台車は、ペアーハンズの東武ED5060用を利用します。床下へはATS車上子などを取付けます。 ED222、301は動力ユニットを入れるスペースがないのでユーレイ貨車の動力としました。ED222の台車はKATOのEF58の先台車を利用し、写真を参考に改造し、ED301の台車はトミックスのDF50のものを改造しました。ED222、301のステップは銀河モデルのパーツです。 < 塗 装 > まず、ボディーをマスキングし、屋根につや消し黒を吹き付けます。乾燥したら、屋根をマスキングし、ボディーにグンゼのレッドブラウンを吹き付け、乾燥後にGマックスの西武イエローを吹き付けます。 床下、台車はED452はGマックスのダークグレー、ED222、301と ED452のデッキはつや消し黒を吹き付けます。ダイカストブロックもつや消し黒に塗っておきます。 < 仕 上 げ > まず窓ガラスを両面テープかプラ用接着剤で貼り付けます。エアーホースなどは銀河モデルのパーツを取付けます。 ED452、222のナンバープレートはt0.2プラシートを金色に塗装し、乾燥したらインレタを転写し、朱色4号を塗装し、乾燥後にインレタをはがすとできあがりです。ED301は数字のみなので、インレタを転写するだけです。社紋はペアーハンズの東武ED5060用を流用しましたが、結構似ているので満足しています。以上で完成です。 三岐通運DL 三岐通運DL、昭和46年日立製作所製のHG−25Bで、関西本線八田駅構内にある小野田セメント名古屋サービスステーションで入れ換え作業を行っていましたが、平成元年8月の名古屋S.Sの閉鎖に伴い廃車となりました。その後は、小野田セメント藤原工場のお膝元の三岐通運藤原営業所に保存されています。(三岐通運=三岐鉄道グループの会社) < 車 体 の 製 作 > これも、t0.3プラシートを切り抜いて作りました。この車輌は三岐鉄道のものでないため、図面・資料共手に入れることが困難なため、写真のみを参考に寸法を割り出して、プラシートへケガキ、窓などを抜いていきます。手すりはφ0.3・0.4真鍮線で、前面エアーフィルターはφ0.3真鍮線です。 < 下 ま わ り > 軸受け部分は、トミックスのTR217台車によく似ているのでそれを利用しました。ステップは銀河モデルのパーツです。 床下機器は手持ち部品から似たものを選び出して取付けてます。カプラーはKATOカプラーを接着します。 この車輌は、最初から保存展示車輌という方針で製作(後に保存展示のレイアウト製作予定)したのでスカート部分にレールとの固定金具を付けておきまた。 < 塗装・仕上げ > まず、運転室窓から下の部分をアサヒペンのカリフォルニアピーチを吹き付け、上部はGマックスのクリーム1号と白の混色を筆塗りします。下まわりは、つや消し黒を吹き付けます。スカートは、ゼブラ模様を黄色ステッカーを貼って表現しました。 次に、窓ガラスですがサッシ部分だけ既製品のガラスを成形してはめこみます。それ以外の窓はGマックスキットのアクリルガラスを両面テープで貼り付けます。 最後に、車体と下まわりを接着して完成です。 C111 C111は、昭和28年に江若鉄道のC112を譲り受けたものですが、早くも翌年の電化で羽幌炭鉱鉄道に売却されてしまいました。 < 車 体 の 加 工 > 車体はKATOの C111の利用です。ナンバープレートを C111に切り継ぎしはめこみます。銀河モデルのステップ、手すり、つかみ棒、解放テコを付けてグレードアップしました。 2軸貨車 ト101形はすべて国鉄などからの譲り受け車輌で18輌ありましたが、晩年、ト112・114・116・118の4輌が残り、あとはすべて解体されました。 ト112、118は江若鉄道のト2、有田鉄道のト171で、ト114、116は有田鉄道のワ153、163で昭和32年に大鉄車輌の改造により誕生しました。さらにト114、116は三岐鉄道のPC枕木化に伴い、枕木運搬車に改造され、クレーンなどが取付けられました。 しかし、それぞれ不要になりト112・118は昭和62年、ト114・116は昭和59年に解体されました。 コトラ500形は、三岐鉄道が黒部第四ダム建設用セメントバラ積輸送用に昭和36、37年に日車と東洋工機で20輌新製したもので、国鉄のトラ35000形 と同様です。黒四ダム建設に際して三岐鉄道は41万7千tのセメントを運びましたが、黒四ダム工事完了と同時に、すべて解体されてしまいました。当時は、三岐鉄道の電機不足で、国鉄ED38形、名鉄デキ400形、近鉄デ31形などが借り入れられました。 ワ1形は開業時に10輌新製され、さらに国鉄より譲り受け、全部で46輌ありましたが、小型のため昭和40年代ごろから廃車、売却されました。27号のみ救援車として残されましたがこれも傷みがはげしくなり昭和61年に廃車となりました。模型では廃車時の姿としました。 ワフ1形は、ワ50形からの改造により誕生したものですが、車掌車廃止で廃車となりました。 テム700形は、国鉄より2輌譲り受けたものですが、国鉄直通車に認定されず、社線内のみで使用されました。しかし、これも傷みがはげしく廃車にされました。 ワム200形は、新造と無蓋車などからの改造で54輌が在籍しました。晩年は、ワム219〜230の12輌が残っていましたが、昭和61年に国鉄よりワム80000形を三岐ワム700形として12輌購入したことによりすべて引退しました。229号のみワ27の代替として救援車になり現在も使用されています。 < 車 体 の 製 作 > ワム229とワム700形以外の2軸貨車は、車輌竣工図表より寸法を割り出しt0.3プラシートより自作しました。 有蓋車の屋根はGマックスのキット利用です。ト114、116は枕木運搬車のためクレーンを付けておきます。4角にはφ0.4真鍮線による照明柱を付けます。積荷の枕木は、KATOのフレキシブルレールより切り出しグレーに塗装し、取りはずし式にしておきます。コトラ500形のカバーはアルミ箔を灰色9号に塗装し、かぶせ上から黒糸で止めておきます。ワム229、ワム700形はトミックスの完成品でワム229は扉のアングルの形状を変更します。手すりはランナー引きのばし線です。 < 下 ま わ り > 下まわりは、KATOのチビ貨車かトミックスの香港貨車のものを利用します。 コトラ500形とワム200形の1輌ずつを、ユーレイ貨車とするためKATOのチビ客車の動力ユニットを現物合わせで切り詰めて車体におさめます。 解放テコは銀河モデルのパーツで、ステップはトミックスの香港貨車から切り出して付けておきます。 < 塗装・仕上げ > 塗装は基本的にはつや消し黒を吹き付けます。ト114・116はベースを茶色に塗り、クレーンを黄色に塗ります。ワ27は車体の下から0.5mm程を黄色に、ワム229は下から3mm程を黄かん色に塗っておきます。ステップは白に塗ります。 カプラーをすべてKATOカプラーに交換し、最後にレタリングを入れて完成ですが、ない文字と社紋は似たもので代用します。 ホキ3000形・JRホキ1000形 ホキ3000形は三岐鉄道が、昭和29年と31年に東洋工機で8輌新造したもので、構造は国鉄のホキ3100、3500形同様にエアースライドとなっています。ホキ3000形はそれ以前に試作したホキ2000形の改良型でホキ3000形は2000形より3mほど短くなり、積荷が下ろしやすくなりました。後にはさらにホキ4000、5000、6000形と改良、増備を重ねましたが、ホキ3000形も傷みがはげしいことと荷重が30tのため、昭和62年に廃車になりました。しかし、一部が西濃鉄道に売却され現在も同鉄道の昼飯駅に放置されています。 JRホキ1000形は小野田セメント用貨車で日本では珍しい積荷が往復で異なるということで(小野田セメントから炭酸カルシウム、中部電力碧南火力発電所からフライアッシュ)平成2年に試作車が日本車輌で登場しました。しかし、試験走行の結果、エアースライドの角度がゆるいため、積荷が降りにくいということがわかり傾斜が変更されることになりました。よって試作車を1000-901とし、量産車を1000-1〜というナンバーにし、平成2年10月〜3年4月に31輌が製造されました。試作車は使いにくいため、現在は予備車となっています。模型では量産車を製作しました。 < 車 体 の 製 作 > ホキ3000形は車輌竣工図表より寸法を割り出し、t0.3プラシートより自作しました。屋根はRが小さいので、Gマックスの客車キットの寝台車用を利用します。ハシゴとブレーキハンドルはシバサキのパーツで手すりはφ0.3真鍮線です。 ホキ1000形は車輌設計図より寸法を割り出し基本的にはt0.3プラシートより自作します。車体タンク部分はプラシートをガスレンジであぶりながらゆっくりまるめていきます。内部補強はt0.5プラシートの4枚重ねを10mmピッチで配置します。デッキ部分の手すりとハシゴは、トミックスのタキ5450形のものを切り取って利用します。屋上ふみ板は、80番真鍮メッシュを使います。 < 下 ま わ り > ホキ3000形の台車はKATOのTR41を用いますが、カプラーが長いため根元から切り取りKATOカプラーBタイプを車体にネジ止めし、首振り構造にしておきます。 ホキ1000形の台車はKATOのTR214を用い、ホキ3000形同様の改造をしておきます。ステップは銀河モデルのパーツを利用します。床下機器は手もち部品をならべておきました。 < 塗装・仕上げ > ホキ3000形はつや消し黒を吹き付け、ハシゴののぼり口を黄色に塗っておきます。ステップと手すりは白に塗ります。 ホキ1000形はGマックスのねずみ色9号と白を1:2で混ぜて吹き付けます。ステップを黄色に塗装し、台車はねずみ色9号です。 最後にレタリングを入れて完成です。ホキ1000形の小野田セメントのマークと文字は、写真をカラーコピーして貼り付けておきました。 以上で完成ですが、今後は資料の少ない蒸機などにも挑戦していきたいと思います。 |
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