三岐鉄道 ハフ10形14〜16
ハフ10形(14〜16)
 ハフ10形は6輌存在したが、ここでは第二次大戦後に相模鉄道から譲り受けた3輌について紹介する。定員50人程度と極めて小型のため気動車に増結されて活躍していた。塗装は、最初から気動車と同じ緑色に黄色帯で登場した。
 ハフ14・15は、1930(昭和5)年5月、日本車輌製造東京支店で竣功した神中軌道のガソリンカーキハ10・11である。1933(昭和8)年5月に神中軌道は神中鉄道と改称。1939(昭和14)年5月にはガソリンエンジンを降ろして客車化ハ10形10・11となった。その後、1943(昭和18)年4月には神中鉄道が吸収合併され相模鉄道ハ10形10・11となった。1949(昭和24)年4月に廃車となったものを譲り受けて、翌年3月に三岐鉄道ハフ10形14・15として竣功した。半鋼製車で、当初一段上昇式窓であったが、1954(昭和29)年12月に二段で上段固定に改造された。120形電車の導入に伴って1959(昭和34)年7月に2輌とも廃車になり、別府鉄道へ売却されハフ1形5・6として竣功した。1968(昭和43)年にハフ6は廃車解体されてしまったが、ハフ5は1984(昭和59)年1月末の廃止まで活躍し、廃止後は同鉄道跡に建設された播磨町郷土資料館に保存されている。
 ハフ16は、1926(大正15)年4月、汽車製造(現川崎重工業)で竣功した神中軌道ハ20形24である。相模鉄道に吸収合併後の1949(昭和24)年4月にハ10・11と共に廃車となったものを譲り受け、翌年3月に三岐鉄道ハフ10形16として竣功した。オープンデッキ車で、当初は木造車体で一段上昇式窓であったが、1954(昭和29)年に外板に鋼板を張り二段で上段固定窓に改造された。1959(昭和31)年7月にハフ14・15と共に廃車になり、別府鉄道へ売却されハフ1形7として竣功した。1984(昭和59)年1月末の廃止まで活躍し、廃止後は相模鉄道に引き取られて、同鉄道かしわ台工機所(現かしわ台車両センター)でハ24に復元保存されている。

ハフ10形の神中鉄道・相模鉄道・別府鉄道時代の詳しい情報をご存じの方、写真をご提供頂ける方はご連絡(メール)お待ちしております。特に、三岐鉄道のカラー写真お持ちの方是非ご提供お願いします。
2016.8.13 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 定員(席) 走り装置 備考
ハフ10 14・15 9347×2620×3654 8.00 50(26) 2軸
16 9790×2550×3689 9.00 48(22) 2軸
車輌画像
別府鉄道売却後の画像へ

三岐鉄道 所蔵

水野照也氏 撮影


三岐ハフ15+ハフ14

1959.4.10

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

水野照也氏 撮影

ハフ15

1954.10.14

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

水野照也氏 撮影

ハフ16

1954.10.14

富田機関区

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