●三岐鉄道 キハ1形 |
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キハ1形(1〜5)
1931(昭和6)年7月の三岐鉄道の開業に合わせて、日本車輌製造本店で新造された小型ガソリンカーで、少し前に竣功している滋賀県の江若鉄道キニ3と同図面で製作されたものである。江若鉄道キニ3は、戦後大型車導入でエンジンを下ろされてハフ3として活躍したが、1969(昭和44)年10月末、国鉄(現JR)湖西線建設に伴って廃止となり廃車解体されている。
半鋼製車で、全長11.32m、客室は2扉で藤原側にある荷物室にも扉を備えていた。台車はホイールベース1,500mmの菱形、エンジンはウォーケシャ6SRL。しかし、1940年代に入りガソリンが配給制となり確保が難しく、代用燃料として木炭ガス発生装置が取り付けられた。木炭ガスの頃には、満員時に富田駅からの国鉄オーバークロスの坂を登れずに、何度も富田駅へ引き返して登り直したという話も聞いている。1951(昭和26)年12月になって、終戦で不要となった戦車のエンジンである相模N-80を払下げ、全車ディーゼル化したのは大きな改造点である。また、車体の更新もいろいろと行われた。竣功時、客室窓が一段上昇で保護棒付であったのが二段で上段固定に変更されている。また、車体両端に代燃台を兼ねた荷物デッキが取り付けられ全長が1.6m伸びて12.92mとなった。塗装も竣功時は茶色1色(扉・窓はニス塗り)であったが緑色に黄色帯に変更された。
1956(昭和31)年12月からの、国鉄関西本線(富田〜四日市)乗入れ以外の旅客輸送の電車化により次々と廃車となっていった。まず、1957(昭和32)年4月にキハ3が廃車となり青森県の津軽鉄道へ売却されキハ2404として竣功した。翌年2月にキハ2、11月にキハ1も廃車になり津軽鉄道キハ2405・2406となった。その後、津軽鉄道でも大型車導入に伴い1960年代に早くも全車廃車された。そのうち、1967(昭和42)年4月に廃車となったキハ2404は、埼玉県の上武鉄道へ売却されキハ2400となったが1973(昭和48)年1月、同鉄道の旅客輸送廃止で廃車となった。1965(昭和40)年1月にはキハ5が廃車となり兵庫県の別府鉄道へ売却され同年6月にキハ2(2代目)として竣功した。しかし1984(昭和59)年1月末、同鉄道の廃止に伴い廃車となった。その後長らく沿線で放置されていたが、1991(平成3)年に修復され、円長寺駅跡で保存されている。キハ4は、電車故障時の予備車や救援用として気動車で最後まで残されていたが、気動車を運転できる乗務員も減少し、1975(昭和50)年2月に廃車となり解体されてしまった。
キハ1形の津軽鉄道・上武鉄道・別府鉄道時代の詳しい情報をご存じの方、写真をご提供頂ける方はご連絡(メール)お待ちしております。特に、三岐鉄道のカラー写真お持ちの方是非ご提供お願いします。 |
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2016.8.13 更新 |
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形式 |
車号 |
最大寸法(長巾高) |
自重(t) |
定員(席) |
内燃機関 |
馬力(HP) |
回転数 |
台車 |
キハ1 |
1〜5
(開業時) |
11320×2720×3555 |
13.50 |
60(32) |
ウォーケシャ6SRL |
79×1 |
1500 |
菱形台枠 |
1〜5
(晩年) |
12920×2720×3555 |
15.70 |
60(32) |
相模N-80 |
80×1 |
1300 |
菱形台枠 |
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●津軽鉄道売却後の画像へ |
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●別府鉄道売却後の画像へ |
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三岐鉄道 所蔵
牧野俊介氏 撮影
キハ1(旧塗装)
撮影日不明
富田機関区 |
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三岐鉄道 所蔵
水野照也氏 撮影
キハ2
1954.10.14
富田機関区 |
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日比義也氏 所蔵
キハ3(旧塗装)
1931.7.25
梅戸井 |
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三岐鉄道 所蔵
キハ4
1971.12.
保々車両区 |
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三岐鉄道 所蔵
キハ4
撮影日不明.
保々車両区 |
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三岐鉄道 所蔵
水野照也氏 撮影
キハ5
1959.4.10
富田機関区 |
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