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ホキ2000形(2001・2002) ホキ2000形は1954(昭和29)年7月に東洋電機製造・東洋工機で試作された、30トン積セメント専用エアースライドホッパ車で、全長が長いためデッキを持たずブレーキは車側にあった。全長の割に荷重が少ないため量産に及ばなかった。1976(昭和51)年3月に廃車解体されている。 ホキ3000形(3001〜3008) ホキ3000形は1954(昭和29)年10月(3001〜3005)、1956(昭和31)年6月(3006〜3008)に東洋電機製造・東洋工機で製作された、30トン積セメント専用エアースライドホッパ車で、ホキ2000形の改良版で荷重を変えずに全長が短くなりデッキが設けられた。ここで特筆すべきなのがブレーキハンドルの取付け位置で、国鉄型が右に対して三岐では逆になっている。寝台客車のような深いR屋根が特徴であった。1975(昭和50)年に工場積込設備が改修されたため中央の丸型ハッチが追加された。三岐鉄道では最後まで他の私有貨車と共に活躍した自社ホッパ車であるが、荷重が少ないため1987(昭和62)年10月に廃車となった。3003〜3006は解体されずに西濃鉄道沿線の清水工業へ売却され、ドロマイト輸送に使用する予定であったが車体状態の不良のため使われなかった。結局、西濃鉄道昼飯線も営業休止となり終点の昼飯駅に国鉄ホキ3100形と共に放置されていたが、1997(平成9)年に解体されてしまった。3003は西濃鉄道内専用のコンテナ運搬車103に改造され市橋線で活躍した。 ホキ4000形(4001〜4005) ホキ4000形は1957(昭和32)年9月に、東洋電機製造・東洋工機で製作された、30トン積セメント専用エアースライドホッパ車で、車体形状はホキ3000形とほぼ同形であるが全長が若干延びて、台車がTR41Cになった。三岐鉄道のホッパ車ではこの形式から、東洋電機製造と米国General American Transportation(ゼネラルアメリカントランスポーテイション)社との間に結ばれた粉粒体荷役装置のライセンス契約の下で製作され、「LICENCED BY G.A.T.C」の銘板が付けられていた。1970(昭和45)年11月に廃車となり、翌年1月に小野田セメント(現太平洋セメント)私有車に編入され国鉄ホキ7300形7300〜7304となった。この時点で左側にあったブレーキハンドルを右側へ移設している。常備駅は東藤原で結局三岐鉄道で活躍していた。その後、国鉄で全車廃車となり西濃鉄道沿線の清水工業へ売却され、ドロマイト輸送に活躍した。さらに、7302・7303は西濃鉄道内専用のコンテナ運搬車102・101に改造され市橋線で活躍した。(吉岡心平氏ホームページ「私有貨車外観研究所86偏」参照) ホキ2000,3000,4000形の写真をご提供頂ける方はご連絡(メール)お待ちしております。 |
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2006.2.13 更新 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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