141号     2001. 3. 1
 
    ながれ研究集団 発行
                         
   漢詩習作            
         
                   佐藤 浩 (号 乱風)
  
 今回は私が趣味としている漢詩の作品の幾つかを紹介します。
 日本人が漢詩を作るのは不自然とも考えられますが、我々も中国で作られた漢詩を鑑賞することもできますし、ヨ−ロッパを起源とする油絵を描いたり、交響曲の作曲をする日本人もいるのですから漢詩を作ろうと努力しても良いでしょう。
 漢詩には厳格なル−ルがあります。それは主に朗読の時の音楽的な効果を狙ったものです。句の終わりの韻を踏むことは勿論、平仄として二四不同とか、平起こり,仄起こりなどという規則に縛られます。見事に構成された漢詩はジグソ−パズルのようにも見えます。しかし我々日本人は中国語の本来の発音をすることはできませんし、四声を区別することも、韻の相違も理解する事はできません。漢語を日本読みする日本人はもともと漢詩の音楽性を楽しむことはできないのです。
 私の作る漢詩は中国の人に見せるものでなく、日本人のためのものです。そう考えると韻を踏むことも、平仄に苦労することもありません。ただ漢字の持つ視覚的な美しさと、緊迫感とは抜群です。特に対句の美しさはほかの言葉には全く無いものです。押韻や平仄から解放されることによって漢字の使用がずっと幅広いものになります。それを我々が楽しめばいいのです。
 漢詩は綺麗な幾何学的な配列を持っています。その構成要素は句といわれるもので、1つの句は5つの字(五言)、または7つの字(七言)から成り立っています。4つの句から成り立つのが五言絶句、または七言絶句です。8つの句からできているのが五言律,七言律です。それに4つの句を単位として加えたものが排律です。このほかに配列の自由な詩もあります。私は唐詩をお手本として、これらの構成を守りますが、現在の日本語からあまりにもかけ離れた文字や、使用方法は避けます。使いたくても私にはその能力がありません。初めての試みとして横書きにしてみました。いかがでしょうか。
 冒頭の写真は唐の詩人で”鬼才”と称された、李賀(あざなは長吉)の詩です。この詩人は27才で夭折しました。その詩は豊かな色彩に彩られています。私は彼に私淑しています。 
 
 
  新春詞
 
元晨清明厳気漲   元日の朝、清明の気が漲っている
初陽赫輝慈光遍   初日の出がきらきらとして
七十有年流如夢  七十年が夢のように流れた     
霜頭未忘少年志   すっかり白髪になったが夢は忘れていない
 
 
  雪中吟
 
夜来雪至暁不歇   夜に降り出した雪は朝になってもやまず
銀繍被屋装樹林    雪は屋根も木々も覆い尽くした
響音全絶閑寂漲   音という音はなにもきこえず
疑我在白玉楼中   別世界にいるようだ 
 
 
  夜思
        
重山暗
半月皎
蛙声遙不伝   蛙の声が遠くに聞こえ
孤鴉慢飛啼    鴉がゆっくり飛んで啼く
逸風越銀野    微風が銀色の野を越え
浅霜抱細草    細い草に霜が降りる
游子徐発愁    旅人は悲しくなり    
小酌欲散思   酒を飲みたくなる
古壺在緑酒    壺に緑の酒がある
傾杯三亦四    三杯、四
情空空
夜深深
 
 
 
 
 
  熱海四季
 
   
 
北面背山禦寒風  北は山で寒さを防ぐ
南側開洋導暖流  南は開けて暖流を導き入れる
熱海不識酷烈冬  熱海にはひどい寒さはない
浴泉滾々無尽時  温泉はいつも溢れている
 
   春
 
梅香既去迎桜花   梅が終わって桜の季節
陽光燦燦湾波閑  燦々とした春の光
春早伊豆山温泉  伊豆山温泉の春は早い
遊子軽衣酔軟風  軽い衣装で春風を浴びよう 
  
   夏
 
暑陽激越不容耐  夏の暑さは耐え難い
乾風過野万草伏   乾いた風で草は倒れる
日傾涼気漸漂透   夕方になるとやっと涼しくなり
雲高奔騰豪雨来   雲は高く上がってやがて夕立
 
   
 
中秋銀漢駐海上  中秋の月は海上に止まっていて
孤舟浴光不知往  光の中の舟はどこへ行くのか
遙響白装救急車   白い救急車の音が聞こえる
疑薄幸佳人落命  薄幸の美人が死にかけているのか
 
 
 
 
谷一郎先生 誄    しのびごと
 
先生宿痾在肝臓   先生の持病は肝臓でした
病昂進薬石無効   病が進んで薬も効かなくなり
痛恨遂為不帰客  残念ですがおなくなりになりました
涙滂沱不知停所   涙が流れて止まりません
先生享生於都心   先生は東京下町で生まれました
自称生粋江戸児   生粋の江戸っ子です
幼抜衆縦秀才名   子供の時から秀才で
長卒業航空学科   大学で航空科を卒業しました
先生颯爽加学界   颯爽として学問世界に入りました
戦中輔飛機設計   戦時中は飛行機の設計に協力
参画二工部設立  第二工学部の設立に参加し  
為主任鍾愛若秀   若い学生をかわいがりました
先生戦後転基礎   戦後は基礎をやることにして
濺心血乱流研究   乱流研究に専念しました
成果漸顕国内轟   結果が出てきて国内で有名になり
海外復寄賛嘆声   海外からも賞賛の声が届きました
先生業績永世耀   先生の業績は永遠に不朽です
我等不得忘声咳   先生の声を覚えています
仮令雖幽明隔界   幽冥に分かれていますが
請無絶鼓舞若輩   絶えず若い者を激励してください
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