第157号   2002.7.1
 
ながれ研究集団  発行
 
 
   吾 八十にして立つ
   活き活きとして百歳を迎えるための、二十年計画
 
                              吉田周明
 
 我ながら厚かましい事を言うかなと思いつつ最近一念発起したことを書いて見ます。
 
 私は、昨年の10月11日に満八十歳になりました。よくも生きたものだと思います。気持ちだけは頗る若いつもりでいて、人様からも「随分お若いですね、六十と言っても通用します」など言われ、悪い気がしない反面、体力の衰えを切実に感じる昨今です。
 
実状 先ず、歩行が困難になりました。若い頃は、一日中歩き回っても平気でしたのに歩くことが億劫で、歩行速度も極端に遅くなりました。自宅から最寄りのJRの駅まで約800mあり若い頃は7分位で歩きましたが今は17~8分もかかります。はやい話、同じ途を歩く人を追い越すことはあっても追い越されることは先ずありませんでした。ところが今は、後ろから来る人に全て追い越されます。かなり年輩のご婦人にもです。
 また一昨年までは、平地を歩くのは遅くても階段の上り下りは人よりも速く駆け上がり駆け下りることが出来ました。ところが昨年半ば頃から右膝痛が高じたのと、地下鉄の階段を急いで下りようとして左の膝をギクリとしてから、階段の上り下りも不自由になりました。 自宅は、44年前に新築で入居した公団住宅ですがトイレは和式なのです。以前は何に不自由なく使っていたのですが、最近はしゃがむこと、としゃがんだ姿勢から立ち上がることが誠に困難になってきました。新聞広告で見ると和式から洋式に一日で工事すると言うのが目に付きます。洋式にすれば楽なのは分かっていますが、益々蹲踞の姿勢から立ち上がる能力が衰えると思いそのままにしています。ただ右前の柱にハンド・グリップを付け立ち上がる助けにしています。それと、身長が年々低くなることです。壮年時173cmあったのが5mm、1cmと縮み今では166cmになってしまいました。それと脊椎が前屈したことです。歩いていて店のショーウィンドーのガラスに写る自分の姿を見ると情けない思いがします。健康器具で木製の腰椎や胸椎を伸ばす弓形の器具を買ってきて、時々試すのですが、背中に当てて横になると脊椎がその弓形に馴染むまで2〜3分はかかります。そのとき骨と骨が軋んでボキボキと不気味な音を立てます。そして2〜3分そのままにして起きあがると暫くは良い姿勢を保てますが、すぐ元に戻ってしまいます。最近では、夜寝るとき寝床の上で仰向けに寝ると脊椎が寝床の水平に馴染むまで暫く時間が掛かるようになりました。
 それと忘れてならないのは肥満です。一昨年は体重70kgコンスタントで、それでも4~5kgは減量したいと思っていました。それが昨年半ばから75kgコンスタントになり、
今年に入ってからは80kgを上下するに至りました。7〜8年前と食生活は殆ど変わっていないのにこれはどうしたことでしょう。これこそ不健康の最たるものだと言わなければなりません。
 まあ、欠陥をあげつらうと以上のようになりますが、少しはましなところもあります。
老化の指標として俗称される三点セットがあります。「歯、目、魔羅」と。
 歯は、八十歳二十本が健康の標準とされているようですが、最近、歯の定期検診があり、歯医者さんに数えてもらったら随分補強されているものの自分の歯が23本まだあることが確認されました。この幸せには原因があります。昭和36年、勤務していた
「くろがね小型自動車」の技術部が国電五反田駅に隣接した東急ビルに仮住まいしていたことがありました。たまたま同じビルに歯科医院がありました。何時にも歯医者に行ったことがないので虫歯だらけでした。たまたま歯痛に悩まされていたので、職場帰りに寄ってみました。普通、歯医者と言うと神経を殺すだけでも何回も通わなければならないのに、青野さんと言う若い歯科医がテキパキと処置してくれ、一本の歯を二日位で済まし、短時間に全部直してくれました。青野さんはその後日本橋の白木屋内の白木歯科に移り、ずっと面倒を見てもらい、白木を退職して日本橋際に独立してからも付き合いは続きました。しかし最近、老齢化されたせいか処置が不確かになってきたので、娘の紹介で一昨年、船橋の歯科に換えました。久々に徹底的な補修を受け、今は完璧と言えます。それでも毎年定期点検に呼び出され、駄目出しをしてもらっています。
 今は耄碌したとはいえ、40年間歯の健康を維持してくれた青野医師には感謝しています。
 次ぎに目ですが、強い近視に乱視が混じり、更に遠視が重なると言う複雑な症状ですが、通い付けのメガネ屋任せでマアマア不自由なく過ごしています。
 小学校の頃は、視力2.0で、友達が視力表を読めないのを不思議に思ったものでした。
それが中学に通う頃から近視に悩まされ、軍人志望それも飛行機乗りになりたかつたのが視力のため不合格になり、近視を呪いました。視力表や色盲検査表を創案された東大眼科教授の石原忍先生にどうしたら近視が良くなるか相談にも行きました。先生は「軍人になるだけが能ではないよ」と諭して下さいました。その時は無念でしたが、今生きているのも近視のお陰と思っています。もし軍人で飛行機乗りにでもなっていたら、要領の悪い私は必ず戦死していただろうことは確かです。
 最後は魔羅です。子供3人、孫大勢いるのだから捨てたものでもないでしょう。前にも書きましたが、未だに雑誌プレーボーイの愛読?者で、若い女性のヌード大好きです。
八十にして心の欲するところに従えば矩を越える畏れ多分にあり。です。
 
 身体の何処に不具合があるという訳ではないし、若干の右膝関節痛が有るくらいで、言ってみれば幸せな老人と言うべきなのでしょう。
 八年前に亡くなった妻が、三途の川の彼岸で待っているし、この世にもう未練はない何時死んでもいい、しばし人生の黄昏を楽しもうと言う心境でいました。
 
動機 ところが最近、端午の節句で孫達と会って遊んだりする機会がありました。そしたら、この子達が成人した姿を見届け、一緒に酒杯を傾け、人生を語り合いたいと言う気持ちが勃然と沸いて来たのです。一番若い孫は、昨年12月26日生まれなのでこれが成人するには、後二十年掛かります。すると私は百歳ということになります。しかし唯生きているというだけでは仕方がありません。活き活きとした百歳でいたいのです。
 甲斐性のない私は、財産と言うべき物も金も蓄える事が出来ず、遂に妻子を自分の家に住まわすことすら出来ず今日に至り、そんな環境の中で最愛の妻の献身に報いることなく、その妻を見送るはめに立ち至ったのです。妻を失った悲しみの中から立ち上がる事が出来たのは、妻が残してくれた3人の子供とその孫達の存在でした。これこそ妻が残してくれた遺産でなくてなんでしょうか。この子や孫達を支えもり立ててゆくことこそ亡妻に報いる唯一の途だと思い定めました。それ以来、朝夕神仏に祈る時「私に子供達を支える知恵と力と勇気をお与え下さい」と念じることにしてきました。
 その延長線上に今回の発想はあります。百歳まで元気でいるなどと豪語しても、明日死ぬかも知れないのです。自分はもうそう言う年齢にあることを心底に据えながら、もしもこの目標が達成出来るとすれば、自分の前途には二十年と言う洋々たる歳月が横たわっているではありませんか。言い換えれば、三十代、四十代全部に匹敵する時間があるのです。もちろん三十代、四十代の体力はありませんが、ぼけない限り知力と人生経験があります。急いだり慌てたりする必要はありません。やりたいことを着々と悠然とこなして行けばよいのです。私について言えば、青春期に読み落とした本が無数にあります。それをじっくりと読んでみたいのが一つです。もう一つは、政治経済を勉強して、国の行く先についての提言が出来る見識を養いたいのです。それからもう一つは、多年の夢ですが、絵を描いて見たいのです。風景、静物もさることながら人物画が究極の目標です。長年写真を撮って来ましたが、写真では表せない表現をしてみたいと思っています。
 
対策  さて大風呂敷を広げては見たものの先ず現状の改善から取りかからなければなりません。差し当たって減量と楽に速く歩けるようにすることです。
 早速ウォーキングをすることにしました。幸い家から10分程の所に都立水元公園があります。妻の生前はよく一緒に歩いたものです。江戸川が昔、大きくうねっていたのが取り残された小合溜と言う長さ2km程の池の周辺に造られた公園で以前は粗雑なものでしたが国の発展と共に整備され緑の多い素敵な公園になりました。6月には菖蒲園が花盛りとなり菖蒲祭が行われます。第一週は5000歩コース、第二週は9000歩コースを歩きましたが膝痛がひどくなったので、第三週からは自転車にしました。
 5000歩コース、9000歩コースと言っても、以前は、4000歩、7000歩で歩いたコースで最近歩幅が小さくなったことを示しています。自転車では以前10000歩弱で歩いた公園の最外周を回るコースを取り更に、西端部の小山(一週約1.5kmの草原 災害時住民の待避所)を2周します。往復約7kmのコースに3kmプラスするので約10kmのコースになります。時速15km位で走ると結構脚に負担が掛かり良い運動になります。走っていて感じるのは、マラソン選手は凄いなあということです。こちらは自転車で時速15kmなのに。連中は脚で走って平均時速20kmなんですから。
 減量にウォーキングが効くことは実証済みなのです。10数年前,姪の結婚式が有りました。通知を貰ったのは一月半くらい前でした。当時も体重が75kgを上下していたので式服を着てみました上着は着られるもののズボンの前が6~7cmどうあがいても合いませんよほど服を新調しょうかと思いましたが、待てよこれを契機に減量すれば健康にもよいではないか、ということで公園最外周コースを毎日夢中で歩きました、式の一週間位前には体重68kg、約7kgの減量を達成。ズボンが楽に穿けたのは勿論でした。そんなことで目標体重68kgです。次ぎに、しゃがんだり、座ったり楽に出来るようにすることです。減量して脚が細くなることもいい方向になりますが、柔軟体操と膝周辺の筋力の増強に徐々に努めようと思っています。
 又、健康は食からと申しますので、出来るだけ多種類の健康に良いと思われるものを取るようにつとめています。唯、老人の一人暮らしですから手の掛からないメニューにすることがポイントです。一日の標準の献立を書くとザット次ぎのょうです。
 朝:トースト、コーヒー、ヨーグルト、トマト、レタス、胡瓜、ハム、スクランブルエッグ。
 昼:流水そば(刻み海苔かけ)、たれ(卵、山葵入り)、レタス(マヨネーズ、レーズン)
 夜:豆腐、納豆、ミックスナッツ(ピーナッツ、アーモンド、コーン、カシューナッツ、マカデミャンナッツ、柿の種等)、スープ(キャベツ、ベー コン)、ポテトチップス、主菜(日替わり、唐揚げ、焼き魚,鰻、ポークソテー等)、ビール720ml1本、30種には欠けるかも知れませんが、20種は軽く越えていると思います。10年程前、老人健診で胃の噴門部に異常が認められ再検査で胃カメラを飲まされました。結果は胃液が食道の方に逆流して若干爛れているとのことでした。特別の注意や処置の指示がなかったので。それ以来胸が焼けたら「胃健錠」を飲むことにして、今も常用しています。
 最後に、精神面です、生来のんきで鈍感に出来ているので緊張して胃が痛くなると言うような経験がありません。一緒に仕事をしている人達が胃痛を訴え薬を多用しても、こちらは平気で、申し訳ない思いをしてきました。私が八十年の人生を通して覚悟したのは、先ず、愚痴や泣き言をいわないことです。思うようにならなかた日には、明日があるさと思うことにしています。
 
百歳クラブへの御案内  皆さん、元気で百歳を迎えようと思いませんか。そうすれば、皆さんの前途には洋々たる、日々が広がっています。慌てず騒がずやりたいことを悠々とこなすことが出来ます。私が申し上げたことに共感して下さる方は、今日からもう百歳クラブの会員です。難しい会則もないし入会金も要りません
 
  唯、現在闘病中の皆様、どうか勝手な戯言とお許し下さい。
 
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