第162号  2002.12.1
 
ながれ研究集団発行
 
 第三回海外出張   
     マツクフアーソン特許と N600との旅
                             吉田周明
 前回で無事N360は量産を開始して胸をなで下ろしたところでした。所がここに問題かおこりました。N360に使ったマックフアソン式のフロント・ストラットがセネラルモータ−のもつマックフアソンの基本特許に抵触すると言う問題でこれと対抗するためフランスでド・カルホン氏と連携を取る必要か起こりました。
 それと時を同じくしてN360に600CCのエンシンを乗せ欧州向けにつくつた車のヨーロ
ッバでのテストをしたいそれには昭和からも人を出してほしいとのことたった。
 そこで人選されたのが私でした。日にちを決めずにでかけたのですが昭和42年10月2日から11月28日までの約2ケ月間になりました。
10月2日(月)雨のパリに09:12到着。空港バスの中で辻山氏の来られない旨のメツセ−ジを聞く。通関し荷物を受け取り両変えをしているとM deCalbon来られる。途中込んでいたと弁解される。換えって恐縮する。本田さんへ電話するがかからない。新しいBensSEでお宅までゆく。新型ピストン付き乗り心地すばらしく安定性抜群だ。GMのPatentの件GMの英国のWilliamson氏と話し合う事になる。3時半にじきよ。
 本田の早野氏にTelするがHotelはなく本田のアパ−トに泊まってくれとのこと。辻山
氏とバニヨレのHONDA FRANCEへゆく東の郊外で近所は古い家を壊し新しいアパートを建てています。本田も本日は午後記者会見がありごつたかへしていた。白井常務とのお打ち合わせで9時半までshow room 付近で待たされる。
馬淵重役とお打ち合わせをし4日ブラッセルに行き5、6と向こうの面倒を見て、9、10
パリでsettingをやる、又15に中間テストをするのでそれをみせていたたくこととする.
 12時近くアパ−トへ行くが未だ電球がなく廊下の電球を失敬する。.疲れてすぐ眠る.
10月3日(月)晴、夜雨。6時起床、8時、早野氏と出発、事務所によりメトロまでフランス人に2Cvで送ってもらぅ、Port de Lilaでカルネが6フランになつているのに驚く。
なつかしいジョルジュXで降り日航で明日のブラッセル行きをブックM deCalbon邸へ、
辻山氏来ている。M deCalbon休んでおられ10時40分頃見えて東京への電話をお願いする。11時過ぎにつながる.。社長、村田氏に昨日と今日のお話をつたえる。GMには昨日手紙を出してくださつた。社長よりの指示項目を逐条ご質問をおこなつた。
 気分がはじめから悪くて困る!食事をごちそうになつたが 途中で我慢出来なくなり,全部もどし、下からも下る。でもかえつてさつぱりして、3時過ぎまでお話をする。
5時半に再訪を約し、ちかくのカツフエーで休む、薬を飲んで気分軽くなる。
 ピクマル氏6時頃くる。プジヨー404のマツクフア−ソン試乗する。乗り心地すばらし
い。高速道路から舗装悪路を走り、7時過ぎ帰り M deCarbon邸へもどり辞去。
 ピクマル氏に一杯ご馳走になりエトワールまで送っていた。彼はシヨ−の準備で忙しいので次回を約して分かれる。シャンゼリゼーで辻山氏と食事。9時頃事務所え戻り着替えを持ってアパ−トへ戻る。欲も得もなく眠い
 風が強くカ−テンの音が大きい。フランスには珍し風雨の強い日本の台風の日のような一夜だつた。
10月4日(火)晴曇雨 6時頃起きる。夜来の雨あがる。然し風は依然強い。8時頃事務所に行きトランクアパートに運ぶ。鈴木さんがシトロエンDS21で運んで下さる。昨夜メカニックとして狭山の佐々木氏、大和の遠藤氏か来られた。一同で近くのカツフエえ行
き朝食。今朝は気分は大分良いが腰が痛む。
 事務所で馬淵重役とお打ち合わせする。 US調査でマツクフア−ソン・パテントに完全に掛かるとのこと、何とかド・カルポン氏とユーロGMで話を付けて欲しいとのこと。
早野氏の運転のVoIvo144出かけ、ナンバ−の書き込みなど手間取り11時15分頃ド
・カルポン邸に着く。辻山氏待っている
 GMのPTE。ヨ−ロツパ関係をやってる人とコンタクトを取っている。アメリカGM、
FORDが特許部門をしてPATふれてるかどうかを調査し始めている。と言うような話が
出る。食事になり馬淵さんはルノ−訪問の予定を止められ、2時半頃辞去される。
 今度は馬淵さんの運転で、、コンコルドを通り町の南よりをまわつてハニヨレに戻る。
 小生はトランクをアパ−トより取つてきてダンパ−の60−20を1setをいれる。空港へはサロンに行くと言ふ馬淵重役と早野さんが又ボルボで送って下さる。途中道を間違えたりして17:30gate開け17:40頃take offその頃より雨、お茶が済みジュースを飲んでいると18:10頃プラッセルに着いてしまう。Aalstの板橋さんお迎え下さる。ボルポで、ホテル前でお別れする。久しぶりでホテルらしいホテルに泊まる.(ホテルフラザ228号)風呂に入り疲れがとれた。街へ出る。英国祭とかでエンサインたらけ。メトロホ−ル前には人がきかできている。Maxで食事、まだ本調子ではない。
10月5日(水)曇後晴。眼が覚めたら7時25分、8時から8時半に大澤さん見えるとの
ことで、慌てて支度をしcheck out 朝飯より飲み物がほしかつたのでBreakfast roomで済ます.なかなか見えず、9時頃ラッシュで遅れたと大澤さんでなく鈴木さんご自身で来て下さる。トライアンフ2000で朝陽の中を走る。昨夜雨で洗われすがすがしくベルギ−もきれいな国だ。Aalstでは大澤さんメカンク氏に会い直ぐ車を見せて頂く。タンパ−は改良済み。ハストニエ氏はS8のクレエムを聞いてくれとのこと
 一旦、メカンク氏とホテル’アトランタ’に行き荷物を置いて工場に戻るメカンク氏
より、ベルシアン・ロードについて講義を聴き、小生もド・カルホン式のお話をする
 昼飯は大澤氏がアトランタを付き合ってご馳走してくたさる。本調子になつてきたの
でおいしい。
 午後2時頃メカンク氏とN600で第一ラツプのテストに入り、路面状況をよく見せて
頂く、石畳の悪路と言うのを初めて経験した。途中ジプシ−の群に遭う。70km余、もう
1ラップは通常の路面とハイウェーを走って頂く。前は大体良いが後ろが堅いのと音がす
る。今考えるとスプリングタイトアップだろう。かたいのは50/20のせいだ。ホイルホップもかなりある。
 6時過ぎメガンク氏にホテルまでS8で送って頂く。
 夕食後、街を歩き、室外のバスでシヤワ−を使い、11時頃眠る。色々夢を見たようだ。
10月6日(木)雨曇。今日は午前中バストニエ氏と S8の件でデ−ラーを廻る。
6時頃起きて日誌の整理をする。7時半食事。8時 バストニエ氏が迎えに来る彼の奥さんのライレ−6/80でブラッセルに向かう。彼はランチヤ・ク−を持ってる由、ロンドン・ショーに出す赤いN360(右側をこすってる)のリペイントに出すとかで一緒に行く、
Nを置いて、フランコルシヤンと言うフエラリ−のデ−ラーを兼ねる店に行く、ここは、
ベルギー既販800台中5〜600台を売っている由、ここのMr.LAMBOTとMr.DELAITと、ダンパ−クレムの話をする.。とうもダンパ−だけのせいではなくSpのkが小さくとワフワすると言う事のようだ、それに後で聞く(トルシユ氏より)とKONIの特約店な由、勿論、今のダンバーも良いとは思えないが、ダンパ−そのままでSpを強くしたらと言つたら不服そうだつた、Sp 2本貰ってくる。とにかくド・カルボンになるのだとド・カルボンの良さを説明する。そこで、髭を生やした青年が来るハストニエ氏は、これはベルギ−チャンピオンのトロシエ氏だ話を聞こうと言うので、近くのカツフエーえ行き話す、ド.カルポンには興味を持ってくれ、彼の改造したS8の話から、それをアロストえ送ってもらう事に成る。彼のガレジで改造をしたMr,Sicardに会い車の準備をして出る。リア−スタビラシザーを付け、コニーに強いSpをRにつけFもコニー車高をスプライン2つ下げて有り、リアーはタンロツプレーシングの一回り大きい物に代えてある。エンジン不調とのことで余り飛ばせこかつたが、安定繰従性は抜群、トロシュ氏の店にはSTDダンパニSpだけ強くした物あり、原型よりず−と良いとのこと。12時半頃アロストに着き別れる。
丁度、安川部長が来ておられ、鈴木さん、大澤さんとまた、アトランタえ出て食事をする。午後工場を少し見て、安川部長、鈴木さん、Mr MEGANCKの運転でテストコ−スを一周、5時頃になる。安川、鈴木、大沢のみなさんにお別れして、ガレ−ジでメカンク氏、バンバデル氏とメカニックそれともう一人とダンパ−点検する。Rは少し圧が低いように思う。50/20を早く40/20に代える必要あり。
FのSp外しに皆で一汗かく・ベアリングを洗ったら分解してニ−ドルが飛び散ったのには驚いた、メガンク氏の慧眼で全部集まった。作動OKと言うことで、7時頃ホテルに戻る。食事をここでして、町を歩き、10時半就床。
10月7日(土)曇  6時過起床。9時過 ハストニエ氏こられる。 今日のデ−ラ−はGent市のDAUWE氏の店の由AALSTより30km位の処 またハストニエ夫人のライ−6/80で行く。DAUWE氏の店はLOTUSとHONDA兼業、KONIを付けSTDSpの短い物に20mmのスペイサ−を入れた物に乗せていただく。接地性よくフルバンプは少ない。次のロ−タスエランconvertibleに乗せていただく、狭い道でDAUWE氏の運転で120km/h位出す。ドカルボンにすればもっと良いだろう。
ドカルボンの話をしたら、DAUWE氏はもう何も言わなくなり、早く出ることを期待す
ると言っていた。
11時頃ホテル迄おくつていただきバストニエ氏と別れる。
町へ出てみる、広場に市がたつてにきやかだ。食後 しばらく会社えのレポートを書き、
4時半頃から町えゆきBONMRC Hの店で娘の服を買う。
食後は飲んだので何もするきなく、10時頃就床。
10月8日(日)晴 5時起床。報告書を書き、7時半朝食、8時半頃 チェックアウト
3日間で食事もいれてBFrl,114安いので驚く、ブラッセルは1晩でBFr764。
9時過Mr.MEGANCK来、彼のVWでブラッセル空港え送ってくださる。10時には
空港え着く、ブラッセル本田の吉沢さんがパリに行かれるので同席する。メトロホリタン
久しぶりのレシプロ機だ、エンジンの横に座る。11:10発、12:10頃パリに着く。天気は雲はあるが晴間多しタクシ−で本田フランスに1時頃着く。辻山氏にTe1.M deCalbon
に電話してもらいサロンの切符取りに来なさいと,なかなか早野、板橋氏がかへられない、
”たから”に行っておられた川島常務帰られて(3時近く)皆さん会議になる。4時辻山氏にTel.M de Carbonに訪問明日にしていただく、11時の予定。
本日ショルーム盛んに人か見に来る。
近くで水道の破裂あり水かいつぱいに成るが4時過ぎ直る。
6時になり馬淵さんが皆はこの分ではかへらないと思うのでゆうしよくでもしてきたら、と言われるので、メトロでフランクリンルーズヘルトに出てブラブラとシヤンセリゼを上
つて行ったら早野、板橋、佐々木、遠藤の皆さんにパツタリお会いする。京都で食事。知
った顔か懐かしがつてくれる。10時頃アパートえ N6のD号で帰る。珍しいので人が皆振り向く。
早野さんと、いつしよに寝る。
10月9日(月)快晴 8時半、本田フランス事務所え行き、RCを2本頂き出かける。ホルト・ド・リラ迄歩き汗をかく、メトロでジョルジュサンクに出るシャンゼリゼェで朝食、家えはかきを出す、又メトロで、デ←ローニュの広場迄で出て歩いて、M de Carbonの
お宅え上がる。辻山氏と会い、M de Carbonに写真とメッセジをお願いする、奥さんがおられ、浮世絵を選んでいただく、マックファ−ソンの件、ガ−リングの件とも未だ進まない。ピクマル氏とガレンヌ工場に行き、部品の孔加工 7¢が 8¢ になつたを直す指示をして、食事に出る、4時頃迄掛かる、物のSpを外しはらして、減衰力を取るところ迄てやる、6時半頃ピクマル氏送っていただき、途中リカーを2杯も飲まされたのでのどが乾く、エトア−ルで彼と別れシャンゼリゼ−で水を飲む、腹は一杯なので京都でお茶付け。
 10時過ぎメトロでコンコルドで辻山氏と別れる際は明日からトイツに行くと伝える。
アパ←トで早野氏佐々木氏と話す。N6,N360は月フランスでFr3000他でFr3000以内とのこと。     12時過ぎ寝る。
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