第188号    2005.2.1
 
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  日本人の文化                                広 重                        佐藤 浩
0.はじめに
 今月は日本人の文化について考えます。日本文化と言えば誰でもすぐ思いつくのは、建築の法隆寺をはじめとして、能の幽玄な世界、浮世絵の傑作などです。しかしここで日本人の、と人を付けた文化は、お上から勲章を貰うような偉い人の芸ではありません。通勤電車の吊革にぶら下がったり、飲み屋で酎ハイを啜ってメ−トルを上げている人達の文化です。そんなものが文化と言えるか、というお叱りを受けそうですが、文化を担うのは一部の、特殊な才能を持つ特権階級だけでなく、数多くの庶民であるというのも事実でしょう。この日本人の文化を考えることは日本人の特性をはっきりして、日本人が世界の人々に対してどんな貢献が出来るかを調べることにつながります。もっと低いレベルでは日本人が世界市場で競争をして、何なら勝てるか、何が輸出できるかをはっきりさせることにもなります。何でもかでも世界一になることはできません。最近は政治家や経済学者が日本の産業やサ−ビスの構造が悪い。これを改革しなければと、大きな声で唱えますが、怒鳴っているだけでは駄目です。日本人の特長をつかまえなければ、何をどのように変えればよいのかということは分からないのです。文化には色々な分野があります。ここで思いつくものを取り上げてみます。 
1.日本の地理
 日本は幾つかの島で出来上がっていますが、長い歴史の中で文化を形成したのは、本州、九州、四国の三つの島でしょう。この三つは、ひどく寒くもなく、暑くもない、恵まれた気候です。その大きな原因は、3つの島が中緯度にあって、海に囲まれていることです。寒さ、暑さに厳重に注意をする必要はありません。しかし、地震と台風には悩まされます。これらの環境条件が日本人の文化に反映されていることは間違いありません。
 穏やかな気候は豊かな農産物を保証します。島を囲む海は魚という絶好の蛋白質を供給してくれます。生活は他の国に比べると、楽と言えましょう。海に囲まれているので、隣の国との交通はやさしくありません。この点では隣の国に簡単に行き来の出来るヨ−ロッパあたりとは違います。この様にして日本人は何回かの大規模な外国文化の移入を除いては、自分たちで自分たちの文化を独自に発展させることが出来ました。
 津波のように押し寄せる外国文化の移入は最初は中国から、遣隋使、遣唐使によってもたらされました。政治、経済、生活など、すべての分野に圧倒的な文化の格差を思い知らされました。しかし日本人は驚くほど速くそれらを取り入れました。文字がその一例です。日本語と中国語は全く違う言葉だのに、漢字を日本語読みにして使いこなすことを発明しました。また、漢字から仮名という表音文字を作り、それで源氏物語のような優れた作品を生み出しました。本家の中国では未だに表音に苦労しているのに、です。ここに典型的な文化輸入のパタンを見ることが出来ます。輸入、適応、消化、発展という図式です。
 次の外国からの波は黒船に乗って来ました。今度は圧倒的な技術の差がはっきりしました。鉄砲を初めとする技術的な成果です。今回も日本人はそれを取り入れて自分なりに発展させ、本家のアメリカと戦争をするほどになりました。ところが、それはとんでもない思い上がりでした。徹底的に叩かれて、もう一度、文化の違いを思い知らされました。民主主義を徹底的に教え込まれ、技術の違いを思い知らされました。しかし今度もまた、日本人は立ち上がりました。そしてどこの国にも負けない技術国家を作り上げました。
2.日本人の心理
 日本人の頭の中、即ち精神的な面に立ち入ってみましょう。日本人の考え方の中で最も特徴的なのは他人との関係です。自分が他人にどのように見られているかということが何時も気になって、気になって仕方がないのです、自分の服装なり、動作なりが他の人と違わないか、に強い注意を払います。もし違っていると、”恥”をかくからです。これが日本人が流行に弱いという結果を生みます。また世界で何か大きな事件が起こったとき、外国の政府はどのように反応するかという情報を必死になって集めます。外務省は自分たちの意見をまとめる前に外国の反応を知りたいのです。そしておもむろに、差し障りのない意見を発表するのです。そして自分独自の意見を出さないことを国際協調という言葉で誤魔化しています。他人と違った意見を出さないことが至上命令なのです。このことは会社や学校での会議にも現れます。”みなさんが賛成されるのなら、私も賛成です”という発言です。これはほとんど英語に翻訳することが出来ません。議論が白熱したときでも”Aさんの発言に反対するわけではないのですが”という前置きで自分の意見を言います。これは他人に反対することは悪いことだ。という本能に基づいています。たった一人になっても、自分が正しいと思うことを主張するという勇気はありません。またそんな人は煙たがられて弾き飛ばされます。外国人との会話でも相手の発言に対してNoと言わないで、Yes but という、肯定だか、否定だか分からないしゃべり方になります。別の角度から見ると、これは日本人の秩序信仰につながります。乱雑をそのままに許容する雅量がありません。しかし秩序への過度の信仰は独創の芽をつみ取ります。
 これに関連しますが、日本人ばかりの集団の中では自分の位置を探る行動が現れます。自分より上の人はどれで、下の人は誰だというわけです。これは思うに、儒教の”長幼序あり”という教えから来ています。まず第一の尺度は年齢で、その次は職業です。
 この、他人との関係を大切にするという文化は協力作業に役立ちます。最近の工業製品の中では、ディジタルビデオのような、総合作品には何よりも協力が必要です。個人の独立意識の強い欧米人にはこの種の共同作業を続ける根気はありません。しかしこの日本人の文化は他人の思惑ばかりを探ることだけに熱心で、自分を深く見ることを忘れさせます。
 もう一つ挙げられるのは好奇心です。”物見高いは江戸の常”という言葉がある通り、新しい物、変ったものに対する日本人の好奇心は世界一流の物でしょう。これは別の言葉で言えば、新しく作られたものが日本中に急速に広がるという特性です。世界には、新しいものが現れても、それを無視して、古いやり方、伝統的な道具で生活していく人々がありますが、日本人は新しい物にすぐ飛びつきます。善し悪しは別にして、これが日本が東洋の多くの国に先んじて飛躍した一つの原因です。      
 学問的な面では、日本人の知的レベルは世界標準では一流で、決して劣りません。しかし私は日本人の特長が創造よりも模倣にあるという、昔から言われていることは正しいと思います。外からはいってきた文化は在来のものと対立して乱雑化の状態を作りますが、それを素早く秩序化するのです。それはよく言えば吸収で、悪く言えば模倣です。そこには創造はありません。しかし私は日本人の脳の中に創造する能力がないとは思いません。昔から日本人の社会で固く信じられた、社会の中の異物を排除するべきという信仰が創造を抑圧しているのです。歴史的に見ると、聖徳太子の”和を以て貴しとす”という教えが日本人の心の中に深く澱んで、創造性を現れにくくしていると思います。そこから脱却出来れば日本人の創造を世界中に誇ることが出来るでしょう。
 しかし考えてみると秩序に相当する共同作業と、乱雑に相当する創造性とは相反する文化です。どちらを強調するかは重大な選択です。先進国に追いつくには模倣と共同作業が、世界をリ−ドするには創造性が大切なのです。
3.衣
 一番身近な庶民の文化である衣からはじめます。魏志倭人伝によりますと、2000年ぐらい前の日本人は平たい四角形な布の中心に丸い穴をあけて、其処に頭を突っ込む、いわゆる貫頭衣であったといわれます。そこに中国から立派な衣装がはいってくると、それを直ぐに取り入れました。それが奈良時代から平安時代にかけての上流階級の衣装です。庶民もそれに準じるような衣装を作り上げました。ここでも日本人は文化が外国からの擾乱で乱雑になっても、それを素早く秩序化する能力が見られます。
 江戸時代に定着した日本の衣装が現在の伝統的な着物ですが、今ではよほど特別な人、特別な場合以外には着物は見られなくなりました。私は着物の愛用者で、家に居るときは大抵着物でくつろいでいます。しかし、着物は体操や、肉体労働をするには全く不適当です。女性にしても着物では家事も、勤めもできません。それは現在の女性の着物といえば、すべてが晴着で、芸者がお座敷に出る時の衣装だからです。これでは何もできないのは当たり前です。私の母は一生涯をほとんど着物だけで通しました。昔の女性の仕事は、掃除、食事、育児など、どれをとっても今の主婦よりは何倍も大変な労働でした。それを着物を着てこなしたのです。そのかわり着物は今とは全然違います。材質は木綿か、絹織物としては頑丈で安価な銘仙というものです。縫い方も労働に適したように出来ています。それを着て、襷を掛けたり、おはしよりをして働いている母を見るのは何となく心の落ち着く感じでした。今の女性に着物を着ることを強制は出来ませんが、着物の美しさが失われていくのは残念です。今の若い女性は躊躇無くヨ−ロッパ伝来の流行の洋服を着て、スタイルを競いますが、本当に似合う人がどれだけいるかは疑問です。ヨ−ロッパの女の人に似合うように徐々に進化してきた洋服を、極東の日本人がいきなり着てみても似合わないのは当然です。背が高くてすらりとした人も増えましたが、まだまだ多くの女性は私の肩ぐらいしかありません。おまけに、曲がった太い脚です。これではパリモ−ドもへちまもありません。若い女性が鈍感で、このことに気づかないとは残念です。これに比べると着物は日本人の肉体的な欠点を巧妙に隠しています。これが日本人が育てた伝統的な美意識の表現です。
4.食
 次は食です。日本での食は、和食、中華、洋食の3つに大まかに分類されますが、どの分野も賑やかです。日本人は中華も、洋食も、平等に取り入れて日本化して、大いに楽しんでいます。伝統的な日本料理も古いからと言って馬鹿にされることもありません。これらは日本人の持つ好奇心と包容力の現れです。世界中の色々な料理を手軽に食べられるという点では日本ほど便利な国はありません。食べ物を日本から世界へ輸出した例もあります。寿司とインスタントラ−メンです。珍しい日本人の発明と言えるでしょう。
 さきの戦争の終戦後に、日本人が米を炊いて食べることについて、”欧米諸国では小麦を粉にしたパンを食べている。粒の米を食べているのは野蛮で、そんなことだから戦争に負けたんだ”という議論がまことしやかに、偉い先生の間で交わされかことがありますが、日本人は米の飯を捨てませんでした。最近では米が健康食品として欧米でもてはやされています。食については、着物を捨てて、洋服に飛びついたのとは好対照を見せています。
5.芸術
 芸術面では日本人は造形が得意です。古くから残されている絵や彫刻には世界のレベルを突破するものがありますし、江戸時代の浮世絵や、琳派や、狩野派の絵もどこへ出しても恥ずかしくないものです。それよりも大切なのは庶民が程々の絵を描くことす。これについては客観的な国際比較は出来ませんが、年賀状やクリスマスカ−ドのような庶民の芸術品を見ると、日本人の作品は大した物です。それより驚くのは日本人の陶芸好きです。あの人も、この人も、私のまわりでも、ものすごい数の人が土をこねています。そしてまあまあの作品を生産しています。これほどの造形好きは世界には無いでしょう。
 これに比べると音楽の方はあまり得意とはいえません。伝統的と言われる楽器は多くは中国伝来ですし、鎖国時代にも日本では西洋のピアノやバイオリンのような優れた楽器を生めませんでした。日本人は器用なのですから、もっと色々な音を創造できたはずなのに、です。また何十人で見事に構成される交響楽に相当する音楽は現れませんでした。これはやはり造形芸術と違う、音楽についての素質の無さでしょう。最近の日本人の中には世界レベルの演奏家が出ています。しかしその人達は主としてヨ−ロッパの人の作曲を演奏するだけで、日本人の模倣上手をあらわしただけのことです。
6.むすび
 簡単でしたが日本人の文化の一面に触れてみました。まだまだ考えてみたいと思います。グロ−バリゼイションという怪しげな言葉につられて、日本人の文化の良いところを捨てないで欲しいものです。それが世界の文化をより多面的で、より豊かなものにします。