195号     2005.9. 1
 
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   天 皇 考       佐藤 浩
 
 今月の話題は天皇です。天皇についての論評は戦前、戦中は、きつい御法度でした。下々の人間が何かを言うことは畏れ多いことですし、不敬罪で逮捕される可能性がありました。今ではもっと自由な言論が許されるようになりました。しかし日本人の間には何となく天皇について、ものを言うことを躊躇する雰囲気が漂っています。変なことを言うと右翼に襲われる、と忠告する人も居ます。けれども私には天皇や皇室の現在のあり方が理想的なものとはとても思えません。思いついたことを述べてみます。
1.明治憲法
 天皇の権能が明確に成文化されたのは明治23年に公布された、大日本帝国憲法です。その中で、天皇については
 第1条 大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。
 第3条 天皇は神聖にして侵すべからず。
 と書かれています。第1条で天皇の権能は、天皇が、日本という国を作った神武天皇の直系の子孫であることに基ずく事をはっきりと述べています。第3条の侵すべからず、というのは、よく分からない所がありますが、天皇のなされ方に対して、少しでも異議を挟んではならない、と解釈されます。
 戦前には天皇が現人神(あらひとがみ)、即ち神様であることを信じていた人は少なくありませんでした。天皇の命令は絶対で、我々は天皇のために生き、天皇のために死ぬのだと教えられました。そして天皇家は万世一系で、3000年近くの間、国民を統治したと言われています。しかし歴史をひもといてみるまでもなく、天皇が親政した期間はそれほど長くはありません。特に近世では幕府が権力を握って、天皇は形だけのものでした。徳川幕府が倒れて、明治維新で権力がやっと天皇のもとへ還ってきたのでした。
2.戦争責任
 若い人には分かりにくいでしょうが、戦争が終わってから間もなく、この戦争を始め、そして戦争に負けた責任者は誰だ、という議論が始まりました。当然の戦争責任の追及です。ここで、はっきりさせなくてはならないのは、この責任には二つあることです。その一つは国内に対するもので、何百万という日本人が死に、何百万坪の国土が焼け野原になった事への責任です。もう一つは日本軍が進出し、占領をしたり、戦闘をしたことで外国の人を苦しめたことの責任です。最初は職業軍人がやり玉に上がりました。戦前に、腐りきった政治の改革を実現して歓迎された軍人に対して、今度は手のひらを返すように非難が集中しました。しかし庶民の声だけでは誰の罪が重く、誰は軽いと決め付けることは出来ませんでした。戦争の始まりというものは、物凄く込み入っているからです。そこで別の人達から、”一億総懺悔”という、責任は国民すべてにあるという、いささか怪しげな議論が始まりました。これは際立った犠牲者を出さないような陰謀です。一方で、連合国による極東軍事裁判が始まりました。これは主として、二番目の、外国に対する責任の追及です。勝者による敗者の裁きです。これが理不尽なことは誰の目にも明らかです。しかし人類はその長い歴史の中で、このことを繰り返してきました。負けた石田三成は勝った家康によって斬首されたのです。長い裁判ののち、戦争犯罪が確定して、いわゆる戦犯は絞首刑になり、決着がつきました。しかし明治憲法によって最高の権力者とされた天皇が罪に問われることはありませんでした。宣戦の詔勅に署名した天皇に何のお咎めもなかったのは歴史の不思議です。最高位にある天皇も実は戦争を始めたり、止めたりする実力がなかった、などと、まことしやかに言いふらす人がいます。絶対の権力者と見える昭和天皇も、本当はお飾りだったと言うのです。もしそれが正しいのであれば、天皇の名のもとで徴兵され、戦線に送られて戦死した人々はどうなるのでしょうか。この何としても理解できない分かりにくさをそのままにした日本国民は怠慢としか言いようがありません。
 私は天皇に戦争責任がないとは思いません。確かに取り巻きの人々によって間違った方向へ導かれたかも知れませんが、判断力のない子供ではないのですから、天皇も責任の一端は負うべきでしょう。もっと具体的に言えば、例えば戦争を避けるための最大要件である、大陸からの軍の撤退を命令できるのは、天皇以外にはありませんでした。天皇が御前会議などで、どんなことがあっても米英との戦争はやらないと宣言すれば、それを押し切って戦争を始めることは出来ませんでした。天皇が無能力者であったというのは天皇に対する最大の侮辱です。 私は最小限の責任の取り方として、昭和天皇は適当な時期に自発的に退位をすべきだったと思います。それをしなかった本人と、させなかった内閣や宮内省の人々の責任は糾弾さるべきです。
 天皇の戦争責任についての、この曖昧な姿勢が今日の中国、韓国の反日感情の基になっていると私は睨んでいます。ドイツが戦争の全責任をヒットラ−に負わせたのに対して、日本では東京裁判で絞首刑になった人達は天皇の命令に従っただけではないか、という考え方が国民の中に強固に残っています。それが靖国参拝を正当化しているのです。
3.人間宣言 
 終戦後のある日に天皇がマッカ−サ−を訪問して、戦争のすべての責任は自分にある、と言ったとか、言わなかったとか取り沙汰されています。マッカ−サ−はそれに感動して、天皇に戦争責任は無い、と言ったことになっています。しかしこの話は眉唾です。裁判で自分を有罪と認めた被告が無罪になることなどはありません。これは日本人の浪花節的な心情につけ込んだ作り話です。それに関係した一つの裏話があります。
 私の古い友人に重光胖(しげみつ、ゆたか)という人がいます。一緒に乱流を研究していました。彼は敗戦後に降伏文書に調印した重光葵(まもる)外務大臣の甥です。彼がおじさんから聞いた話です。日本に乗り込んできたマッカ−サ−将軍は最初は彼の命令による日本の直接統治を計画していて、重光外相に意見を聞きました。重光さんは、それも良いが、そうなると日本で暴動などの不祥事が起きると、それらはすべてが将軍の責任になります、それでもいいのですか、と言いました。この言葉にマッカ−サ−は恐れをなして、大まかな指令を出して、それを日本政府に実行させるという間接統治の形ににしました。そして、すべての責任を日本政府に負わせることにしたのだそうです。その為に天皇を温存して利用することにしたのです。
 戦争が終わってから昭和天皇は国民に向かって有名な”人間宣言”を出しました。自分はただの人間であって、神などではない、という宣言です。明治憲法に代わる新しい憲法を作るとき、アメリカ軍を中心とするGHQ(最高司令部)は天皇の処遇について色々と迷いました。日本に民主主義を与える以上、最も簡単なのは厳格な主権在民を打ち出して、天皇を無くしてしまうことです。しかし連合国がポツダム宣言で日本の降伏を要求したときに、日本政府が最後までねばったのは、国体の護持、即ち天皇制の継続でした。結局、降伏は無条件だということに落ち着き、連合国はなんでもできることになりました。しかし国民の強い希望に反して、無理矢理に天皇制を壊してしまうと、国民は激しい恨みを抱いてしまうでしょう。これはとんでもない騒動の原因になりかねません。そうなったらアメリカ軍もひどい損害を受け、占領政治はめちゃめちゃになってしまいます。かといって従来通りの天皇制にしておいては本当の意味の民主主義とはいえません。烈しい議論の末、最後は国王のいるイギリスも民主主義の国とされているではないか、という主張が通って最小限の天皇を残すことになりました。
4.象徴天皇
 日本人は現在の天皇の地位や役割について十分に理解していないようです。例えば天皇制という言葉が安易に使われます。”共産党が政権を握ったら天皇制は無くなってしまうだろう”といったあんばいです。今の民主主義政治の時代に天皇制などという制度はありません。天皇の権限は一般の国民が考えているよりずっと制限されているのです。それは我が国が主権在民の原則を守っているからです。天皇は内閣や国会の指図に無条件に従いますし、逆に、承認の無い行為をすることは出来ません。 
 天皇については戦後の憲法の中で”国民統合の象徴”と定義されています。そして天皇の仕事として、いくつかの”国事”が挙げられています。どれも政治権力とは関係の無い形式的なものばかりで、あってもなくてもいい、三流の役者でも演じることの出来るものばかりです。天皇に思慮や判断は全く要請されていないのです。新しい憲法に天皇をどのように填め込むかについてGHQはかなり苦慮しました。そしてどこかの知恵者が、この、象徴という言葉を発明したのです。この言葉については、憲法が出来たときに色々な議論がありました。というのはこれは明治憲法の”天皇は神聖にして犯すべからず”というのに比べて、いかにも軽すぎるからです。憲法学者の議論は議論として、この言葉が国民に分かりにくい事だけは事実です。ただGHQは天皇を無条件に賛美することは許しませんでした。そしてまだまだ人気の高い天皇に実質的な権限を与えることを慎重に避けました。しかし正直に言えば、私は天皇が気の毒でたまりません。現在の天皇も自分が天皇であることをエンジョイしているとは到底思えないからです。天皇には自由というものが全くありません。いわゆる国事は政府からの命令です。例えば大臣が交替すると、認証式が宮中で行われますが、それが深夜になることもあります。しかし、天皇には”今日は疲れたから明日にしてくれ”という自由はないのです。このことは昔、強力な幕府が天皇の一挙手一投足を縛り付けた状態にそっくりです。天皇の自由や人権は完全に無視されています。
 今の天皇は従順なので、政府に反対されることはないようです。しかしいつか個性の強い天皇が現れて、だだをこねたらどういう事になるのでしょうか。政府と天皇の対立です。これこそ日本の歴史の中で頻繁に見られる、幕府と天皇の戦いに他なりません。例えば外国の要人を迎えた宮中の晩餐会で、天皇が政府の考えと正反対の発言をされたらどういうことになるのでしょう。マスコミは無責任に”皇室外交”などという言葉を使いますが、本当に天皇による外交が具体化したときのことを考えると背筋が寒くなります。天皇の発言が不適切だからと言って、それを政府が訂正することはひどい不名誉ですし、天皇に罰を与えることも出来ません。現在の憲法では天皇はこれをする、あれをする、と決められていますが、それをしなかったらどうなるということは決められていません。不都合な天皇だからといって、退位を強制することは考えられません。国民が黙っていないでしょう。
 天皇は自由な新聞記者会見を開くことは出来ません。考えを国民に伝えることはできないのです。庶民に与えられている自由な言論は天皇からは奪われています。歌舞伎を見に行ったり、銀座を散歩することも考えられません。軟禁状態です。しかも、もっとも悪いことに、天皇はこれをしてはならないということが明文化されていないことです。はっきり言えば天皇は象徴どころか、無権利のロボットです。皇室にかぶせられた、この怪しげな、不条理な行動規制が皇太子妃、雅子さんの神経衰弱の原因であることは確かです。
5.将来像
 もし本当に天皇を大切に思うなら今の状態を放っておくことは出来ないはずです。正月や誕生日に宮城の中に入って日の丸を振るだけが能ではありません。
 私の大胆な提案を紹介します。基本的に私は天皇には極端な善意も、敵意も持ってはいません。中立です。しかし今の、人権を無視した、いじめ状態にも、天皇が反乱を起こす可能性にも我慢できません。一方では、天皇家は長い間続いた名家として、日本にとって歴史的に貴重な存在です。それをこわしてはなりません。
 天皇をもっと国民に親しいものにします。市中の散歩や、国民との話し合いの機会を多くします。そのために形式的だけで、何の実効もない天皇の”国事”のほとんどをやめてしまいます。議会の開会式だの、大臣の認証だの、勲章の授与などです。その中には憲法で決められたものもありますが、適当に省略すればよいでしょう。伝統の色々な宮中行事は国民の宝として出来るだけ保持していただきます。そして暇な時間に好きな研究をして頂きます。生物学でも、考古学でも、数学でも、何でも構いません。必要な研究費を差し上げます。皇居で面白い実験が行われているという話題はほほえましいではありませんか。
 もう一つ、今の宮城はいかにも広すぎます。一部を公園や道路にします。あるいは東京から京都の御所に移って頂くのも良いでしょう。騒々しい東京よりも、古くて良い物の残っている京都の方がずっと天皇に似合います。要するに天皇家は歴史の古い家として保存し、天皇や皇族方には政治から遠く離れた立場で、悠々と生活をして頂くのです。憲法を改正して、天皇を国家元首にしようなどという贔屓(ひいき)の引き倒しのような、危険な考えには私は真っ向から反対です。