第203号     2006. 5. 1  
 
 ながれ研究集団 発行
 
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   飽くなき執着領土         佐藤 浩
 
0.はしがき
 今月の話題は領土です。国が国として成り立つためには領土が必要です。人類の長い歴史の中で、領土の確保を目指して数多くの戦争が始まり、貴重な血が流されました。領土を拡げることが国の繁栄と同意語になりました。飽くなき執着です。ここで最近の我が国の領土問題について考えてみます。考察の対象は北方千島の諸島、日本海の竹島、尖閣諸島を含む東シナ海の3つです。
1.問題は何か
 我が国はこの前の敗戦で広大な領土を失いました。失ったものの中には戦前に無理矢理に強奪したものもありますが、合法的に獲得したものもあります。ポ−ツマス条約で獲得した南樺太はその例です。しかし合法的に、日露戦争の結果として獲得したこの領土は今回の敗戦で、ロシアに返されました。もう一つの例はパレスチナとイスラエルとの争いです。2000年以上もの昔から、領土を取ったり、取られたりの繰り返しで、どの部分がどの民族に属すべきかを客観的に判定することは不可能です。ヨ−ロッパではフランスとドイツの間にあるアルザス・ロ−トリンゲン地方が有名です。繰り返されたドイツとフランスとの戦争の結果として、ドイツに属したり、フランスの一部になったりを繰り返しました。”最後の授業”という有名な話も残されています。領土のやりとりは力による取り合いの結果す。歴史的にどの地方はどこの国に属すべきであるなどという議論は全く不毛なのです。別の言葉で言えば、古証文はまったく役に立ちません。
2.基本的な考え方
 領土問題が難しいのは、話が進むと共に国民が冷静な判断失って、何が何でも領土を自分たちのものにしたがることです。普段は政治にさしたる興味のない人が、領土の話となると、急に熱狂的な愛国者になってしまいます。下手をすると戦争になってしまいます。ですから、もめたときにどちらかが一人勝ちしないで、両方がまずまずの分け前で冷静に満足することが重要です。
 私がここで提案するのは、日本が基本的に”名を捨てて、実を取る”という考え方です。領土についての昔の歴史をいくら蒸し返しても、水掛け論です。結局は領土をめぐって戦争が始まった例は歴史の中にいくらでもあります。それで大量の若い人の血を流すというのは馬鹿げきっています。現在の日本にある、3つの領土問題は、幸いにして国の存亡に関わるほどのものではありません。それらは我が国の隣国の、韓国、中国、ロシアとの関係です。何とか領土問題を平和な外交交渉で解決して、仲良く暮らすように考えなければなりません。
3.竹島
 3つの領土問題の中で一番簡単なのがこの竹島です。現状は韓国が、建物を建てたり、兵隊を駐留させたりして、実質的な支配をしています。島そのものには経済的な価値はなく、軍事的にも重要性はありません。最近、日本の測量船の派遣で日韓の緊張が高まり、マスコミも騒ぎました。結局、両方が譲歩した形で合意が出来ました。日本側の測量船は元々捨て駒で、日本も譲歩したという形を作るだけのものでした。日本人は急に愛国者になり、竹島は元々日本のものだという古証文を持ち出しました。この合意は領有権という難問を先送りしただけのもので、何にも解決にはなっていません。島の周囲で過去において、どれほどの漁獲があったのか、はっきりしませんが、日本としては、この島が韓国のものだという事を正式に認め、その交換条件として、過去の実績を元にした漁獲量の確保を認めて貰えばよいのです。それで韓国と仲良くしていけるのなら安いものです。ただ我国の漁業については全然別の問題があります。このことについては後で述べます。
4.東シナ海
 沖縄の沖の東シナ海では最初の仕事は国境の確定です。海の国境は難しいのです。ここでは海岸からの距離と、大陸棚の問題が複雑に絡みます。いわゆる排他的経済水域です。日本は海岸から200浬を主張しますし、中国は本土からの大陸棚がずっと延びていると言います。どちらに勝ち目があるかについては諸説紛々で、双方が頑固に主張している限り、解決はありません。結論としては両方の主張の中間に線引きするしかありません。その付近に天然ガスの埋蔵があることが分かって事柄が面倒になりました。
 非常な勢いで発展する中国に取っては、この海域の天然ガスはとても魅力的です。日本もガスは欲しいのですが、立地条件に大きな差があります。中国側はガスパイプを大きな消費地の上海まで引けば十分なのに対して、日本側は主要な消費地までのパイプはやたらに長く、それを建設したとしても、採算がとれるかどうか疑わしいのです。埋蔵量が少なければ、この建設は全く無駄になってしまいます。日本政府が試掘を許可しても、民間企業が本気になって手を出さないのは採算性が疑わしいからです。中国はどんどんと試掘を重ねて、本格的な生産に近づいています。日本政府はそれを止めてくれと言うばかりか、中国が莫大な労力と、お金を使って調べ上げた試掘の結果を見せろという、子供のおねだりか、国際的には常識はずれの要求を続けています。日本として、どうしてもここの天然ガスが欲しいのであれば、中国に負けないほどの大規模の試掘を進めるべきでしょう。民間企業がそのリスクに耐えられないのなら、適当な手段で国が何らかの経済的援助をするか、新しく法律を作って国の力で推し進めるべきでしょう。そして試掘がある段階になったとき、対等な形で中国との協同開発に乗り出すべきでしょう。自分は何もしないで、中国に止めろとか、資料を見せろなどというのは卑怯です。
 尖閣諸島の領有についてもさしたる重要性はありません。竹島と同じように、近海の漁業権を確保して、島を中国のものと認めたらいいでしょう。日本の島になったからといって何の利益もないのです。
5.北方諸島
 北方の4つの島は元々日本のものだった、歴史を見ればそのことは明らかだ、などという主張には説得力がありません。先に述べたように古証文は何の役にも立たないのです。戦争で取られた領土を平和的に取り戻せることは歴史の上でも稀です。日本は戦争に負けたのですから取られても仕方がありません。
 私の提案はハボマイとシコタンだけを取り返して、後は漁業権の問題にします。エトロフとクナシリを断念する理由は住民の問題です。島が日本領になっても、今住んでいる人の大部分はそのまま住み続けることになるでしょう。強制的に追い出すことは出来ません。島に残る住民は日本人になります。それが何千人になるかは分かるませんが、その人達の暮らしぶりは、平均の日本人から見ると、可成りの割合が生活保護の対象になり、それが日本政府の大きな負担になります。おまけに日本語教育を始めとする教育も大変です。
 一方で日本人の元島民が島に帰って行く数はほとんどゼロでしょう。何故かと言えば、敗戦の時に10歳だった人が現在では70歳です。それより高齢の人々の中に昔が懐かしいからといって、島へ帰って新しい生活を始める人が何人いるでしょうか。昔はこの土地と家が自分の物だったと主張しても、現在は誰かが住んでいるのですから、追い出すわけにはいきません。また、本土で生まれ、育った人が本土での安定した生活を捨てて、島に渡るというのは、普通の過疎地の逆で、起こりえないことです。政府は帰島者の住宅や、学校や、病院や、水道や、電気などの基本的なインフラストラクチュアを整備するために莫大な投資を迫られます。その投資に見合うほどの利益が上がるとはとても思えません。現在でも日本内地で過疎に悩む村を見捨てておいて、北方諸島にだけ巨額の投資をすることは許されません。こう考えると、島が日本に帰ってくるということは納税者に大きな負担を強いるだけのことです。そうであれば負担を少なくするためにも、返して貰うのを、小さなハボマイとシコタンだけにするのが賢明というものです。そして、領土問題の解決と共に平和条約を締結すれば、ロシアとの貿易の拡大や、ロシアに対する投資の増加などの大きな利益が得られるでしょう。
6.我が国の漁業について
 現在の3つの領土問題はすべて海に関係していて、共通な話題は漁業です。我々は条約で漁業権が確保されれば、魚は殆ど自動的に我々の口に入ると思いがちですが、実際にはそれほど簡単ではありません。というのは漁業が後継者の激減という大問題を抱えているからです。
 考えてみると魚取りは趣味としては面白く、人気の高いものですが、生活の手段としてはそれほど有利なものではありません。先ず漁業収入は不安定です。いつも同じ所に十分な数の魚がいるとは限りません。何か分からない原因で、魚が姿を消すことがあります。たとえ魚がいても、風や雨で漁に出られないことがあります。収入を上げるために悪天候でも無理して出漁すれば生命の危険があります。労働は大抵、深夜、未明になります。しかも網を引いたり、釣りをすることは、綺麗とは言えない、烈しい労働です。これらのことを考えると、若い人が漁師という職業に魅力を感じないのは当然です。若い人は安定した、綺麗な職を求めて漁村を離れ、都会に向かいます。若い女性も夫としての漁師を好みません。漁村に嫁が来ないのです。最近、漁業協同組合の元組合長と会話をした事がありますが、その人の考える最大の危機はやはり漁業後継者の不足でした。農村の結婚難はよく話題になりますが、漁村でも全く同じ事が起きているのです。
 農林水産省の水産白書によると、過去15年間に55歳以下の漁業従事者はほぼ半減しているのに対して、65歳以上では50−100%増加しています。著しい高齢化です。漁船の数も減っていますが、特に大型船はひどく減っています。結果として言えることは漁をしているのは沿岸で、年寄りばかりという形です。あと10年もすると、日本の漁業は壊滅状態になるでしょう。
 これらのことと、現在広まりつつある出産の減少を考えると、漁場の権利さえ獲得すれば、魚はいくらでも獲れると思うのは全くの間違いです。事は日本全体の漁業をどうするかという、広く、長期的な課題です。魚の国産生産量は最盛期の1980年代のほぼ半分になっています。漁に出る人が少なくなるからです。一方では国内の魚の消費量も年々減り、食に対する漁の重要性はどんどんと小さくなっています。
 日本人に魚を供給するには、輸入を増やすことに加えて、国内では養殖を主とすべきです。養殖の仕事は出漁に比べて、安定した、安全で、綺麗な仕事です。頭が働く割に、烈しい労働が嫌いになった日本人には適していると言えましょう。魚の養殖技術の世界一を目指すべきです。考えてみると現在の農業はすべて養殖で、食べる農産物には天然の草や、果物は殆どありません。魚の養殖も、この農業の後を追うのが自然の成り行きです。技術が発達して、養殖の魚が天然のものよりおいしいというところまで行けば、それこそ万々歳です。このように考えると、遠い将来では日本周辺の漁場の重要性は減ってきます。漁場、漁場と騒ぐ必要はないのです。
 もう少し高い立場で考えると、世界的な規模では、日本人は農業や漁業を他の国に任して、国際的な分業を進めるべきでしょう。日本人は得意の、物作りで世界経済に貢献すべきなのです。一つの国だけで食糧の自給自足を計画するのは間違いです。分業が進めば、国と国の結びつきは強くなり、戦争の危険性を少なくすることが出来ます。
7.むすび
 日本政府の外交の不手際には呆れるほどです。何でもかでも、アメリカに追随して、気に入ってもらえれば、あとは何もしなくていい、という時代はとっくに過ぎています。しかも政治家がそれに気が付かない醜態です。領土問題はその例です。何時までも先延ばしにして、あっけらかんとしています。
 領土については、それがどのように片付いても、当事者は必ず国民には弱腰と非難されます。特にいわゆる愛国心が理性を失わせます。しかし、囂々たる非難を甘んじて受けて、日本の将来のために、”火中の栗を拾って”外交交渉をするのが政治家の本懐というものでしょう。しかし、そのような政治家が今の日本には見出せません。残念です。